【KAC2024⑤】玉座に在る魔王

一式鍵

無防備な玉座

 風刃乱舞シルフィード・ラピッド・ブロウ


 先生の放つ強力な攻撃魔法が、縛鬼オーガ――亜神デミゴッドの下僕ども――をまとめて打ち倒す。縛鬼オーガはなんとなく人型をしているという点以外に、各個体に共通点はない。いや、共通点はある。それらすべてが、私にとっては生理的嫌悪感の対象だということだ。


「マリーグラスタさん、前衛!」


 先生に鋭く呼ばれて、私は慌てて剣と盾を構え直した。先生の攻撃魔法を突破してきた縛鬼オーガが三体迫ってきている。その手にはゴツい剣が握られている。縛鬼オーガの腕力は人間の数倍から十数倍とも言われている。私も何度も交戦したから、まともに組み合ったらどうなるかは経験的に知っている。


 前に出た私に、縛鬼オーガが攻撃目標を変える。こいつらに知能はない。近くにいる獲物をほふろうとする、ただそれだけの行動パターンだ。だから私みたいなタンク役にとっては、仕事のし易い手合てあいとも言えた。


「……ッ!」


 縛鬼オーガの剣を受け流す。まともに受けたらこっちの剣が腕もろともに折れてしまう。


「さすがは王の間」


 勇者リアンカが手にした両手大剣クレイモアで、私に気を取られていた縛鬼オーガをいともたやすく粉砕していく。先生の攻撃魔法がさらなる縛鬼オーガの増援を牽制する。


 縛鬼オーガの発生源は、部屋の奥。紫色の魔霧ソウルミストが立ち込めているあたりだ。この部屋は魔王の玉座があると思われる部屋だが、霧が濃くて奥まで見通せない。


 そして私たちはもうヘトヘトだ。先生はどうだかわからないが、勇者リアンカも、私も、治癒師ヴェルグも、弓師ドーソンも、最後の体力を振り絞って戦っている。同行してきた騎士たちのおかげでここまで進んでは来られたが、度重なる幹部級の魔族との交戦が響いていた。


 ドーソンの放った魔法の矢が、私と組み合っている縛鬼オーガの頭を半ば吹き飛ばす。私の全身に力がみなぎる――ヴェルグの回復魔法だ。


「先生、魔霧ソウルミストをどうにかできませんか!」

「もう少し奥に。発生源を特定しないことには」


 先生は落ち着いた声で言った。先生はメンバーの中では最年長と推定される、男女不詳の魔法使いだ。過去もその全てが判然としない。わかっているのは信頼のおける大魔法使いだということくらいだ。


「マリーグラスタ」


 リアンカが私を呼んだ。


「一気に攻め入る」

「わかった」


 体力も気力も限界に近い。私たちにできるのはこの最後の突撃だけだ。あとは、先生を信じて進むしかない。


雷撃疾往サンダー・バラッジ!」


 リアンカの最強の範囲攻撃魔法が広大な部屋を照らしあげる。魔霧ソウルミストも半分近くが消し飛んだ。


「やはり」


 先生の呟き。


 霧に覆われた玉座に座っていたのは、金色の甲冑を纏った騎士だった。


「先生?」


 私の問いかけに、先生は少し悲しげに目を細めた。


『よぅ、遅かったな』


 金色の騎士の方から、男の低い声が聞こえてきた。騎士の周りに立ち込めていた魔霧ソウルミストはいつの間にか消え去っていた。騎士は立ち上がると、暗黒のマントを翻し、そして長剣バスタードソードを抜いた。ギラリと光る刃を見て、私は身がすくんだ。


「その椅子の座り心地はいかがでしたか、エルムグント」


 私の隣に立った先生が、いつも通りのゆったりとした口調で尋ねる。エルムグントといえば、魔王軍・西の大将。私たちが唯一遭遇できなかった方面軍の指揮官だ。魔王城の玉座に座っていたのであれば、それも納得だ。


は私の弟です。二百余年続いた人間たちとの平和を破壊した、愚かな弟です」

「先生……って、それって」


 私は言葉を続けられない。代わりにリアンカが私の肩甲を叩いて言った。


「つまり先生、あんたが魔王だっていうこと?」

「そう、ですね」


 先生はその中性的な顔に無表情を貼り付けて答えた。穏やかに笑っている顔しか知らなかった私は、それだけで気を失いそうだった。


「エルムグント」


 先生は私より前に出た。私は全身の筋肉を緊張させ、不測の事態に備える。


「あなたはあまりにも多くの死を生み出してしまった」

『その責任はあんたにもあるだろう、ケプトアルファ』

「……それは否定しません」


 先生は首を振る。黄金の騎士は剣を軽く振る。


「私が人間たちの国を放浪していたから、あなたはこんな暴挙に出た。その糸口を与えてしまったのは、間違いなく私です。しかし」

『くどいんだよ、あんたは。せっかく俺たち魔族が完全な平和を手に入れる機会があったのに、あんたが自らそれを潰した。あんたは俺たち魔族を裏切った!』

「それはあなたが誤っていると私が判断したからです」


 先生の言葉に、騎士はイライラと床を蹴った。


『それが同胞殺しをする理由か!』

「あなたがこんな暴挙に出なければそんなことは起こらなかった!」


 まずい。


 私は反射的に動いていた。先生の前に立ち、盾を掲げる。


 だが、盾は無意味だった。踏み込んできた騎士、エルムグントの一撃はあまりにも鋭かった。


「ぐあぁぁぁぁっ!」


 肘のあたりに焼けるような激痛が湧き起こる。吹き上がる鮮血に、私は左腕を持っていかれたことを知る。


「マリーグラスタ!」


 ヴェルグが魔法をかけてきたのがわかったが、ヴェルグの魔力も枯渇している。切断された腕をどうにかできるほどの力はなかった。


「エルムグント!」


 先生が騎士の一撃を不可視の防壁で受け止めたのがわかった。


 最初から先生に任せておけばよかったんじゃん……。


 あまりの出血量に、私の意識が薄れていく。意識に反比例するように、視界が眩しくなっていく。


「エルムグント、私の仲間を傷つけたこと。それだけであなたは万死に値する」

『笑止。仲間も守れぬ魔王。負け犬。裏切り者』

「マリーグラスタさん、少しの辛抱です」

「待って、先生」


 私の声は、笑ってしまうほど小さかった。


「彼は――先生の弟なんでしょう? もっとちゃんと……」

「話さないで、マリーグラスタさん」

「でも」

「あなたやリアンカさんたちと出会った時から、こうなることは決まっていたのですよ」

「だったら」


 私はヴェルグの追加の治癒魔法のおかげでどうにか意識を手放さずに済んだ。ぼんやりはするし、左腕のあたりは猛烈に痛むが。


「もっとちゃんと話してください、先生。彼だって、きっと」

『うるさいぞ、小娘』


 エルムグントが先生の展開していた防御壁を粉砕する。その切っ先は私を狙っていた。


 が、剣が振り下ろされる寸前に、先生がその手をエルムグントに向けた。


竜王の劫火ブラディフラッド・オブ・ドラゴンロード!」


 猛り狂う白い爆炎が騎士を吹き飛ばす。


『クッ……!?』

精霊王の睥睨ゲイズ・オブ・ユニバース!」


 先生の矢継ぎ早の――私たちが見たこともないような威力の攻撃魔法がエルムグントを襲う。その余波にさらされている私たちは、一歩も身動きが取れない。私に至っては身体を起こしていることすらできなかった。


「あなたでは、私には勝てないのです」

『黙ってやられろと!』

「自らを罰しなさい」

『結局同じじゃないか。力ある者が無いものを蹂躙する。俺が人間たちにやって来たことと、あんたが今俺にしていること。何が違うって言うんだ』


 エルムグントは相当なダメージを受けたようだ。さっきまでの余裕が見られない。しかし人間なら数十回は消し炭になっているような攻撃を受けてもなお、立っていられるのだから、さすがは高位魔族だなとは思う。


「後のことは私に任せて、あなたは――」

「せ、先生」


 私は左腕を伸ばそうとして、腕がないことを思い出す。


「先生は、逃げています」

「マリーグラスタさん……」

「罪がどうあったとしたって、先生まで彼との距離を離したら……。彼を離さないであげてください。だって、肉親なのでしょう。だから、先生は敢えて冷たく彼を葬ろうとしている……」


 その瞬間、私の首筋に冷たいものがあたった。


 あ、死んだな――感慨も何もなく、私はそう思った。


 瞬間移動してきたエルムグントの剣が、首甲の隙間に挿し込まれたからだ。鋭い痛みが走る。頸動脈は……まだ無事かもしれない。


『その傷でよく喋る。一思いに葬ってくれる』

「私の仲間を傷つけるなと言いましたよ」


 先生の声が響いたと思ったら、エルムグントの剣がバラバラに砕け散った。


『ちっ』

「マリーグラスタさん、すみません。私は彼をゆるせないのです」

「でも、先生……」

「この子だって、昔は本当に良い子だったんです。あの時、私が彼の手を離さないでいたら。玉座を無防備にしないでいたら。私がもっと彼と向き合っていたら。そうは思います」


 先生は私の頭に手を置いて首を振った。


「私は彼をどういう形であれ、赦すつもりでした。しかし、彼はあなたを傷付けた。

その一点のみに於いて、私は彼を処断しなくてはならないのです」

「先生……」


 私はぼうっとする意識をどうにかつなぎ止める。


「エルムグント。私はこうして帰ってきました。あなたの暴挙を止め、罪を償わせるために」

『うるさい! うるさい!』


 黄金の騎士は両手を振り上げた。その手の腕に暗黒色の球体が浮かび上がる。


魔神の剣ソード・オブ・イーヴル!』

明鏡ミラー!』


 飛来してきた球体が先生に直撃する寸前で消えた。


『ぐぁっ!?』


 ダメージを受けたのはエルムグントの方だった。鎧のあちこちが砕けて光と化していた。いや、エルムグントの身体ごと、光と化しているのだ。


『ケプトアルファ……!』


 エルムグントの声は子どものもののように聞こえた。私は左腕に凄まじい激痛を覚えて床を転がった。


『あの人間の怪我は治すから』


 間違いない――子どもの声だった。


『だから』

「わかりました、エルムグント」


 先生の穏やかな声が聞こえる。先程まで満ちていた殺気がすっかり薄れていた。だが――。


「罪は消えません。あなたは償わなければならないのです」


 先生の手にした短剣が、すっかり少年の姿になったエルムグントの胸を刺し貫いていた。


「エルムグント……」


 先生はその身体を抱きしめた。


『僕が眠るまで、離さないで』

「わかっていますよ」


 先生の声は聞いたことがないくらいに震えていた。


 そして私は激痛の中、意識を完全に手放してしまった。




―*―*―*―*―*―




 それからもう十年が経った。魔族はすっかり権勢を失い、人間たちは魔族を徹底的に追い詰め、差別するようになっていた。そして魔族という共通の敵を失った人間たちは、人間同士で争い始めていた。


「愚かなこと」


 勇者の称号を返上したリアンカが、林檎を齧りながら嘆く。今日は三年ぶりの再会だ。


「それでリアンカ、今日はどうしたの?」

「先生から言伝ことづて


 その言葉に私はドキリとする。リアンカは複雑な表情をしながら、その内容を開示した。


「魔族を助けてほしい。とのこと」

「魔族を……」


 詳細は城で話す、ということだった――。


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