扉の先に居たもの

秋中琢兎

扉の先に居たもの

 我が旧知の友人であるアンソニー・ビショップのその非業なる死にざまは、未だ私の網膜に焼き付いておりその残酷さたるや、地獄から這い出たどんな凶悪な悪魔でさえ、至極残酷であると認めざる負えない状況だった。しかも若干26歳という年齢で、比較的同年代と比べて筋肉もあり、健康体だったにも関わらず、久しぶりに再会した彼の手足は枯れた柳のように節だっており、全身の皮膚は干ばつ地帯のひび割れた土地を思い起こさせた。


 アンソニーと私は、プロビデンスのブラウン大学にて初めて出会った。初めて出会ったときの彼は、エドガー・アラン・ポーやアルジャーノン・ブラックウッドなどが描く幻想的かつ幽遠的な世界に魅了された私と違い、常に科学的思考および論理的思考に基づき行動しており、屋敷に取り憑く幽霊や太古から存在する古のものや、黒魔術によって生み出された名状しがたきものといった現在の科学ではその存在を証明できない類の話は、他の動物には出来ず神によって作られた人間という種のみが唯一許された想像が生み出した産物であり、またそれらは現実から逃避する為の娯楽の一つであるとよく語っていた。そんな彼がもっとも熱狂的に私に語ったことと言えば、我々の頭上に広がる宇宙の星々にまつわる学術的な話であり、私たちは大学の近くにあった潜り酒場にて手に入れた安物の蒸留酒を飲みながら、よく星空の下で語り合っていた。


 その際、私は彼に、宇宙には我々人類の想像も及ばない脅威となり得る野蛮で非文明的な種族が存在し、それらが我々が住むこの星にどんな理由であれ訪れた時には、きっと人類はすぐにその略奪者によって駆逐されてしまうだろうと話していた。だが、私の持論に対して彼は必ず論理的思考に基づいて反論した。彼が言うには-少なくともこの星に来るまでには-何万光年という長い年月が掛かるし、もしそれを短縮するための移動手段を持つのであれば、それらは我々よりもはるかに文明的であり1926年現在の最新の技術をもってしても彼らのほうが優れている事を示すことになるため、私が熱論した駆逐することしか考えない野性動物のような短絡的な考えをするはずがないとのことだった。そして私はその反論に対し、彼をどうにか打ち負かそうと話を続けこの宇宙に対する討論会は我々が学校を卒業するまで、週末の恒例行事となっていた。


 そのように仲が良かったアンソニーと私であったが、学校を卒業してからは、疎遠になりついには連絡も取らなくなった。初めは手紙などをやり取りしていたが、大衆向けのパルプマガジンへと投稿するだけのうだつの上がらない怪奇作家である私と違い、彼は卒業後アーカムにあるミスカトニック大学という大学にて天文学の教鞭をとっていたため、その忙しさからか次第に返信が来るまでの間が延び、最終的に我々は先述したように手紙を交わすことはなくなったのだ。

 彼が勤務するミスカトニック大学とは、あらゆる点でわが母校であるブラウン大学とも負けず劣らずだった。だから彼から手紙が来なくなった時、私は彼が宇宙に広がる神秘を熱狂的に語る様を思い出し、授業を受ける学生らに対して憐れんだ。


 ちょうどその頃、私は怪奇作家として2作目である作品「影の街」を執筆し終え次回作についての構想を練っていた。エドガー・アラン・ポー、アルジャーノン・ブラックウッド、アンブロース・ビアースなどの名だたる怪奇作家からの影響を受け、幽霊屋敷や黒魔術といったものを題材に18世紀頃の比較的小さな町や排他的な村を舞台にしたゴシック調な怪奇小説を執筆していたが、正直なところ編集者からの評判はあまり良くなく、次作は近代的な怪奇小説を書いて欲しいと頼まれていたからだ。私は近代的という言葉を聞いて、学生時代にアンソニーと語り合った宇宙から来たる野蛮な種族のことを思い出した。こうして「影の街」の執筆を終えたばかりということもあり、次作の締め切りまで時間があった私は久しぶりにアンソニーのもとへ訪れることに決めたのだ。


 彼の元へ訪れる前に来訪を知らせる手紙を送ろうと思ったが、突然大学時代の友人と出会った時の彼が驚く様を想像するとその考えはすぐに頭から消えた。すぐに下宿所の管理人であるアン夫人へ飼い猫のピムを預け、1週間ばかり滞在できるように服を鞄へと仕舞い込み、彼が住むアーカムへと胸を躍らせながら向かった。


 アーカムに到着したときに最初に驚いたのは、街全体に霧が深く立ち込めていたことだった。アーカムとプロビデンスとでは距離もあり天気も多少異なるが、ただあんなにも局所的に気候の変化があるということに素人ながら疑問を抱いた。私がバスをおりたところで、そのように考えているとバスの運転手がアーカムを覆うこの深い霧は3日前から発生しており、専門家の知識をもってしても原因が分からず、謎の現象と結論づけられた事を車窓越しに教えてくれた。その後運転手は使い古されたハンチング帽を掴み、私に声なき挨拶をしたあと、またプロビデンスへとバスを走らせていった。霧のせいで数メートル先も見えず、バスが深く立ち込めた霧の中に入って消え失せる様は、まるでとてつもなく巨大な未知の生物に飲み込まれているようで、巨像恐怖症である私はその光景に言い知れぬ不安と嫌悪を抱いた。


 ミスカトニック大学があるキャンパス地区へ向かいながら見たアーカムの街並みは、初めて訪れた土地であった為かは分からないが、まさに私が求めていた街並みであった。この街の歴史を象徴するかのように駒形切妻屋根や築数百年を数えるジョージア様式の家々が立ち並んでいたが、路上に生えた植物は庭師がいるのか丁寧に手入れがされており、また行きかう街の人々にも活気が溢れていたため本来であれば古臭いと感じてしまうのだろうが、この時の私はどことなく都会であると認識した。そしてたどり着いたミスカトニック大学はまさにその象徴ともいえるべき建造物で、ここで彼が教鞭をとっているという事実に学生時代からの友人として少しばかり誇りに思えた。


 早速私はアーカム、ノースエンド地区のウェスト・ハイ・レーン488番地にあるボーデン・アームズ・ホテルへとチェックインするまえに、彼のもとへ訪れようと彼が勤務するウェスト・チャーチ通りとサウス・ウェスト通りの角にあるサイエンスホールへと入った。ちょうど建物から女学生のひとりが現れ声を掛けたが、その女学生から得た返答は、私が想像していた胸躍る返答ではなく、私を混乱させるものだった。彼女いわく、我が友人であり、ミスカトニック大学で天文学を教えているアンソニー・ビショップは3週間ものあいだ大学へ来ておらず、宇宙の深淵をのぞいたばっかりに精神が病んでしまったと一部の学生が噂をするほどであった。


 私は彼の置かれた状況を教えてくれた女学生と別れたあと、アンソニーからもらった最後の手紙に記載されていた住所-リッチ・ストリート288番地-へと向かうことにした。そこはフィニアス・スミスとその妻ハリエットという旧式な堅苦しいタイプの夫妻が運営している下宿所であり、よくアンソニーは手紙で彼らへの愚痴をこぼしていた。夫婦が営む下宿所は2階建てであり、その2階の角部屋の1室が彼の部屋である。


 私が訪れた際、フィニアスの妻であるハリエットしかおらず夫人へ自己紹介とここへ訪れた理由を伝えると、夫人はすぐに管理人用の鍵を渡してくれた。今となれば、3週間ものあいだ、部屋の外へ一歩も出ていない人物の様子を知るために、彼女にとっては私という存在はちょうど都合がよかったのだろう。


 体重をかけるたび軋む木造の階段をあがり、彼の部屋の扉を叩いたあと彼の名を呼んだ。しかしどれほど待ってもアンソニーの返答はなく、ただ部屋の内側からは重い何かが引きずられるような音が聞こえただけだった。少しの間、様子を見たが私に厭な想像-まるで巨大な蛆虫が古くなった木の板の上を、その巨体をもって板を軋ませながらゆっくりと這いずりまわるような-を掻き立たせる不快な音は止まなかった。その時初めて、自分の両手が得体の知れない何かが扉の先に居るのではないかという未知への恐怖によって酷く震えているのに気が付いた。夫人から預かった管理人用の鍵を差し込み時計回りに回すと、その扉が私を再起不能までに至らしめた致命的狂気とこの時に残っていた僅かばかりの正気との間にある、最後の隔たりであることも知らずに、私はゆっくりとその扉を愚かにも開いてしまった。


 そこにいたのは、かつてのアンソニーとは到底思えない姿をした何かであり、私は湯水の如く失われていく正気の中で自分自身、いや好奇心ないし視覚聴覚嗅覚といった感覚を人間に植え付け創造した神を呪った。私が開いてしまった狂気への扉の先にいたソレは、恐らく仮にこの世のすべての言語を網羅した人物やあの冒涜的な絵を描いた悪名高き画家リチャード・アプトン・ピックマンやネクロノミコンを執筆した狂えるアラブ人、アブドゥル・アルハザードであったとしてもその姿を形容および描写することはできないだろう。私が唯一覚えているのは、扉の先の部屋がピンク色の粘液状の何かに覆われ腐敗した肉のようにそれらがカーテンのように糸を引いていたこと、床に横たわるアンソニーの変わり果てた姿、そして彼に覆い被さるように這いずり回っていたソレだけである。すまないが、これ以上この事について語ることは出来ない。こうしてこの文章を書いている今も、あの光景を思い出し手の震えと吐き気が止まらずにいるのだから。


 アーカムの聖メアリ病院の一室にて目が覚めた私がのちに聞いたところによると、2階へあがった数分後、自らの髪をむしり取りながら絶叫をあげて外に飛び出したところ、偶然居合わせた警察官に取り押さえられ病院へ連れていかれたのだという。


 私はその間も支離滅裂な言葉を吐き散らしながら、自ら爪を剥ごうとしたり髪の毛を毟っていたらしい。病院のベッドで正気を取り戻し自分自身が白い拘束衣を着ている事に気がついたのは、それから6か月経った後だった。


 このように、我が友人であるアンソニー・ビショップの非業なる死に関して記述したのには理由がある。


 薄汚い路地裏に身を投げ自ら命を絶った私に対し、どうか哀れだと思わないで欲しい。今の私にとって生こそが、忌まわしき呪いであり死こそが私に唯一残された救済なのだ。


 私がこの下宿所の窓から路地裏へと身を投げる前に、これを読んだ方に警鐘を鳴らしておきたい。我々の頭上に広がる宇宙には神秘という優しいものは存在せず、ただ理解不能な事象や未知の生物が、この星に生命が誕生するよりも遥かに前から存在しているのだ。


 そしてそれは突然我々に災害の如く降り掛かり、無機質にも我々が築きあげてきた全てを略奪するのだ。


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