春夜の夢




 静けさだけが支配する、深夜の街。

 石畳の街路を照らす灯りは存在せず、煉瓦造りの家屋の間に響く音も存在しない。空を見上げても月はどこにも見えず、星々でさえ黒雲に隠れて霞んでいる。

 この光景は、人によっては酷く冷たく感じるだろう。だが、一部の人間はこの空気感をこそ好む。

 漫画やアニメで見る、モノローグ付きの静けさではない。

 気まずい空気でもなく、過度な緊迫感もない。

 本当に、世界が、誰もいない一人部屋になったかのような、そんな静けさに。


「ぽつり」


 何かを呟くのが面白い。


「ふふ」


 小さく笑うだけでも、それは目立つ。

 それがまた楽しくて、つい笑ってしまう。


「ふふふっ」


 あぁ、口角が下がらない。

 顔が少し熱を帯びて、頬に桃色が滲む。


 でも、やっぱりその熱は溶けていく。

 周囲が静かで、冷たくて、それが心地いい。

 上がりすぎた口角が、丁度いいところまで下がってきた。


「……ふぅ」


 今が一番楽しいかもしれない。


 人々が普段過ごす日常の、すぐそばに潜む非日常。同じ場所なのに、時間帯が変わるだけでこんなに違う。不思議な現象だ。

 いつもと変わらない格好をしているその少女・・は、色彩の薄い銀髪を靡かせながら暗闇の街を歩く。軽い足取りで、しかし何故か足音は響かない。靴は革製の長いブーツなのに。


 くるりと一回転。


 ふわりと彼女のスカートが広がる。そういえば、彼女は全身真っ白な格好をしていたことに気づいた。真っ黒な背景の中、白い花が開花したように見える。

 月下美人。夜に咲く花として有名なその名前が、今パッと思い浮かんだ。


 ステップを踏む。


 何のステップかは分からない。だが、なんとなく踊っているような足取りだということは分かった。どことなく楽しげな表情をしているのも見える。

 さらさら、ふわり、彼女の動きに合わせてその銀糸が美しく流れる。その下に隠れているのは、銀に縁取られた深く蒼い瞳か。


 すっと蒼が細められる。


「……ふふっ」


 蒼と目が合った。


「キミ、見過ぎだよ」


 蒼が笑っている。


「ずっと後ろにいたでしょ」



 蒼が近づいている。



「ねぇ」



 白が翻って、




 銀が煌めいた。






 光のない世界。






 静けさだけが支配する、深夜の街。

 石畳の街路に響く音は存在せず、煉瓦造りの家屋の間に漂う湿った匂いも存在しない。耳を澄ましても虫の音さえ聞こえず、風のざわめきでさえ煉瓦に遮られて霞んでいる。

 この風景は、人によっては酷く冷たく感じるだろう。だが、一部の人間はこの空気感をこそ好む。

 漫画やアニメで見る、モノローグ付きの静けさではない。

 気まずい空気でもなく、過度な緊迫感もない。

 本当に、世界が、誰もいない一人部屋になったかのような、そんな静けさに。


「ぽつり」


 何かを呟くのが面白い。


「ふふ」


 小さく笑うだけでも、それは目立つ。

 それがまた楽しくて、つい笑ってしまう。


「ふふふっ」


 あぁ、口角が下がらない。

 顔が少し熱を帯びて、頬に桃色が滲む。


 でも、やっぱりその熱は溶けていく。

 周囲が静かで、冷たくて、それが心地いい。

 上がりすぎた口角が、丁度いいところまで下がってきた。


「……ふぅ」


 今が一番楽しいかもしれない。


 人々が普段過ごす日常の、すぐそばに潜む非日常。同じ場所なのに、時間帯が変わるだけでこんなに違う。不思議な現象だ。

 昼のときと変わらない穏やかなステップを踏むその少年・・は、軽く硬い小さな足音を響かせながら無音の街を歩く。器用な手先でナイフを弄び、しかし何故か金属の擦れる音はしない。手先にアーマーリングをしているはずなのに。


 くるりと一回転。


 ばさっと彼のフードマントが広がる。そういえば、彼はその身にたくさんの武器を身に付けていることに気づいた。柔らかい布の上に、冷たい金属の暗器が並べられているように感じる。

 執刀医。この状況にピッタリなその名前が、今パッと思い浮かんだ。


 ステップを踏む。


 何のステップかは分からない。だが、なんとなく踊っているような足取りだということは分かった。どことなく楽しげな足音をしているのも聞こえた。

 くるくる、すーっ、彼の動きに合わせてその銀刀が美しく流れる。その刃に裂かれているのは、静寂に染まった深く暗い空間か、あるいは。


 ふっと刃の動きが止まる。


「……ふふっ」


 刃を向けられた。


「キミ、聞き過ぎだよ」


 刃が近づいている。


「ずっと後ろにいたでしょ」



 刃が触れている。



「ねぇ」



 刃が滑って、




 赤が吹き出した。






 音のない世界。






 冷たさだけが支配する、深夜の街。

 石畳の街路を叩く振動は存在せず、煉瓦造りの家屋の間に漂う冷たい空気も存在しない。神経を尖らせても風の揺らぎさえ感じず、胸の鼓動ですら縄に縛られて曇っている。

 この状況は、人によっては酷く冷たく感じるだろう。だが、一部の人間はこの状態をこそ好む。……流石に、自分はその内に入らないが。

 漫画やアニメで見る、モノローグ付きの静けさではない。

 気まずい空気ではないが、過度な緊迫感が支配している。

 本当に、世界が、誰もいない一人部屋になったかのような、そんな静けさに。


「───」


 何かを呟くのが面白いらしい。


「──」


 小さく笑うだけでも、それは目立っていた。

 それがまた楽しくて、つい笑ってしまうのだろう。


「────」


 あぁ、動悸が止まらない。

 顔が少し熱を帯びて、頬に汗が滲む。


 でも、やっぱりその熱は溶けていく。

 周囲が静かで、冷たくて、それが気持ち悪い。

 いきすぎた緊張が、嫌に冷静な理性を引っ張ってきた。


「────」


 今が一番恐ろしいかもしれない。


 人々が普段過ごす日常の、すぐそばに潜む非日常。同じ場所なのに、時間帯が変わるだけでこんなに違う。不思議な現象だ。

 いつもと変わらず周囲を包む空気は、冷たく湿った感触をふわりと運んでくる。五体満足であるはずが、しかし何故か四肢が動く気配がない。手足に縄は結ばれていないはずなのに。


 ごろんと一回転。


 ぐいっと誰かの足で押しやられた感覚がする。そういえば、自分は今どこかのゴミ山の近くにいることを思い出した。ガサガサとしたゴミ袋達の横に、無造作に己が並べられているように感じる。

 ゴミ同然ということか。己を押しやるその存在は、今自分に対してそう思っていることだろう。


 喉元を踏む。


「───!?」


 いきなりのことで理解が追いつかない。だが、今何かを吐くことも、吸うこともできないということは分かった。吐き気がするが、手足が動かない以上抵抗することもできない。

 ぐりぐり、ごりっ、足の動きに合わせて己の喉が醜く潰れていく。首の骨がイカれたような音がしたが、すぐに死んでいないのは気絶判定されたからか。


 ふっと足の動きが止まる。


「─────」


 頭を持ち上げられた。


「──、────?」


 何かが近づいている。



「──────────?」



 何かが、



 口の中に、




 入って、






 ごくり。











「ねぇ」


 子供の声が聞こえた。



「起きて?」


 銀と蒼が目に入った。



「ふふっ」


 蒼が笑っている。



「寝坊助だね」


 小さな手が頬に添えられた。



「おはよう」


「……おは、よう……?」


 その子供は笑う。

 間抜けな返事だと。



「ボクに起こされて、嬉しい?」


 少女・・は、可憐で儚げな笑みを浮かべながら首を傾げた。

 その頬はマシュマロのように柔らかそうで、その唇は蜜に濡れたように艶やかだ。

 彼女も寝起きなのか、いつもよりラフな格好をしている。


「……全然」


「なんで?」


「……だって……」


 少年・・は頬を膨らませて、寝ている自分の上にぽすんと身体を預けて、うずくまった。

 その手に、鈍色の錆びたナイフを握って。






「お前は俺を、殺すんだろう?」






 蒼が、嗤った。











「───っていう夢を見たんだよね」


 金髪碧眼の少年がそう言った。


「アレンの中でのボクの印象どうなってるの??」


「だってシオンの職業が暗殺者って聞いたから」


「それだけで!?」


「うん」


「えぇ……」


 銀髪蒼眼の少女が困惑している。


「だからって偏見がすぎるよ。ボクはそんなことしないのに……」


「本当に?」


「……しないよ」




 言葉を付け加える。






「頭の中以外では、ね」



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