白雪の夢




 見渡す限りの銀世界。

 しんしんと降り積もる粉雪が、視界を白く曇らせている。足は膝辺りまで白い絨毯に埋まってしまっており、自らが見つめるその先に先達の痕跡は見当たらない。

 進退窮まるこの状況で、それでも足を止めることなく運び続ける者がいた。


「───さっっっっっっっっっっっむ!!!!!!」


「うるさ」


 一人は、無骨な大剣を背負った緑髪の青年。彼は長袖の白いバンドカラーシャツをインナーに、浅緑色を基調とした大正ロマン味のある和装をしている。彼の瞳は長い前髪に隠れており、見えるのは大きく開いた口だけだ。

 もう一人は、大きく分厚い本を抱えている銀髪の少女。彼女はモノトーンを基調としたダウナー味のあるエスニックファッションをしている。彼女の口はその広辞苑擬きに隠れており、見えるのは伏せがちのジト目だけだ。

 ご想像の通り、かどうかは分からないが、どちらも雪対策なんてまるでしていないかのような軽装である。防寒対策といっても、せいぜいマフラーやポンチョを被っている程度であった。


「いや、流石に寒くないです? ヒイロさんの格好なら特に」


 緑髪の青年が袖の中で腕をさすりながら、銀髪の少女に話しかける。銀髪の少女はポケットから一切手を出すことなく答えた。


「寒いけど……叫ぶほどじゃない」


 どうやら仮想の身体ゲームアバターでも、この極寒は完全に防ぎ切ることができないようだ。ならばその奇抜な格好はやめて、大人しく防寒着を身に付けてほしいものだが。


「ふーん」


 彼は彼女の足元を見る。その足はふるふると震えており、膝の辺りは真っ白に血の気が引いていた。膝下など、もう真っ白になりすぎて雪と同化してしまっている。彼女の靴は街中では映える焦茶の厚底ブーツだったが、所詮単なるファッションでしかなく、この雪原においては無力に等し高さが足りなかった。


「……何?」


「極寒の地でも生足って、そういう縛りプレイか何かかなと」


「うるさい変態。いいから歩いて」


「はい」




 モギュッ、モギュッ、と足を持ち上げて踏みつけながら歩く。常に氷点下を維持しているこの地では、雪は細かくサラサラな粉雪になりがちだ。そのため、この周辺の雪は踏むと片栗粉を押し固めるときのような感触がする。それが楽しくもあり、しかし酷く煩わしい。

 何故なら、こんなことが起こりうるからだ。


「ひゃっ!?」


 ズボッ、バフッ!


 踏み出した足が想像以上に沈み、バランスを崩した少女は片栗粉の海に飛び込んだ。綺麗な大の字と深く沈んだ足跡が雪原に刻まれる。


「おっと……大丈夫ですかーヒイロさーん」


「う、ぐ……」


 真っ白な絨毯の上で、ぐぐ、と身体を起こそうとしている少女。その小さい体は、元の配色も相まって、雪原に埋もれて消えてしまいそうだった。緑髪の青年は彼女を起こす手伝いをしようと、後ろを振り向いて、


 ……アハハッ……


 何かが通り過ぎたのを見た。


 それは直感に等しい。

 人型で、

 透けていて、

 何より


 危険だ。


「ん、だいじょぶ───」


「───ヒイロさん、ストップ」


「?」


 彼は背負っていた大剣の柄に手をかける。姿勢を低くして、『霊魂一閃』と呟くと、そのまま無造作に大剣を大きく横に一振りした。


 ブゥンッ!


 ギャアァァァァ……


 遠く断末魔がこだまする。それを聞いた少女は、ようやく何が起こったのかを理解した。


「……敵?」


「ですねー。透けてたんで幽霊かと」


 そのまま何事もなかったかのように、彼は大剣を背負い直し、雪の上に伏せたままの少女に手を差し伸べる。少女はその手を疑うことなく掴み、青年に引っ張られるまま身体を起こした。ぱたぱたと服についた細かな雪を払いながら、彼女は周囲を見回してみる。


「……どんな感じだった?」


 どうやら先ほど遭遇した敵が気になるようだ。どんな見た目だったのかと、彼女は青年の方を見る。


「あー、えー……つなぎを着た作業員、みたいな姿でした。具体的な年齢や性別までは、把握できませんでしたが」


 青年は、口に手を当てながらボソリと呟いた。


「……恐ろしいほど笑顔、でしたねぇ」




 彼らはその後、難なく目的地へと辿り着いた。


 そこは、雪原に埋もれる廃工場。中に入れば物理的な冷たさは緩和されるだろうが、しかし背筋がゾッとするような寒気は一層増す。どうやらここは事故物件のようだ。

 工場の入り口には、この工場の名前と思しき文字が書かれていた。


「【解読デサイファリング】」


 巨大な本を広げながら、少女は魔術の力でこの世界特有の文字を翻訳・可視化する。

 そこには『スマイリーファクトリー』と書かれていた。


「……ホラゲーの舞台っぽい」


「きっと従業員はみんな笑顔なんでしょうねー」


 ハハッ、と乾いた笑いがこぼれた。

 外観はいたって想像通りである。ここはとても古いんですよと言わんばかりに、錆びつきまくった工場の壁。上の方にある割れたガラス窓二つと、入り口であろう開いたまま壊れたシャッターのせいで、工場自体が「(´Д` )」という顔をしているように見える。

 雰囲気があると言えばあるが、先ほど出会った幽霊然り、やはり何番煎じだと言わざるを得ないほど典型的なホラーステージだ。きっと中にはブラックな社訓が書かれた貼り紙や、血の付いた工業用機械、作業員の無惨な腐乱死体なんかがあるんだろう。それらを調べているときに、あの目黒口黒の笑顔幽霊に背後から襲われて死亡GAMEOVER……なんて、陳腐すぎるだろうか。

 あぁ、予想できてしまう展開ほどつまらないものはない。まあそれも、王道だと美化してしまえば長所にはなるのだろうが。しかし生憎、奇抜邪道を求める者からすれば少々退屈なステージに思えてしま……


「……ヒイロさん?」


 青年は適当に思考をぶん回しながらとりあえず中に向かって歩いていたが、後ろから足音がしないことに気がつき、振り返る。


「どうしました? 怖いの苦手っすか?」


 見れば、銀髪の少女が本を両手で抱えながら立ち止まっていた。


「……別に」


「では何故そこに」


「……危ないから、離れてたほうがいいかなって」


 なるほど。

 自分は炭鉱のカナリアホラゲーで最初に死ぬ役と。


 青年は一拍おいて「ヒイロさん後ろっ!!」


「ひゃうっ!?」


 ビクッと肩を震わせた少女は、咄嗟に二、三歩前に出る。パッと後ろを振り向けば、しかし、そこには何もなかった。


 一秒の間。


 伽藍堂の廃工場が静寂に染まる。

 少女の顔も桃色に染まる。


「っ、タカナシ……!」


 ふるふると震えながら振り向く少女。その震えは寒さからではなく、羞恥からであることは、その赤い顔と潤んだ紫色の瞳が示している。

 それを見た青年は、緑色の長い前髪の下に隠れている蜜色の瞳を、僅かに細めた。ついでに口角もうざったらしく上げた。


「すいません、つい」


「ついじゃない、このバカっ」


「あ痛っ」


 ムカついたのか照れ隠しなのか、少女はその華奢な手で青年の右肩をぺしっと叩いた。青年はそれを拒むことなく、ぺしぺしと叩かれるまま前に進む。その歩みは、もちろん少女に合わせて。


 ……フフッ……


 最初に浮かんだ笑顔は であった。






 トランペマ文明時代の廃工場『スマイリーファクトリー』。

 亡国ノインハイルが誇る軍事工業施設であり、そのキャッチフレーズは歴史書にも記されるほどだ。



 笑顔を作る、笑顔の工場スマイリーファクトリー


 笑顔になれる人は、皆私達の仲間です!




 あれから、青年と少女が工場から出てくることはなかった。



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