雲上の夢




 雲一つすらない快晴の青空。


 それは全ての雲の上に立てば見ることのできる光景だ。

 どの世界でもその光景を見られる場所はあるだろう。しかし、今この世界にそんな場所は存在しなかった。

 なぜなら。



「───コードC59を受諾あ、そっち危ないよ〜実行を開始防御して〜


「───コードD26を申請ちょっ早く言っ!。 コードD26を申請ぎゃああああああ!!


「───コードALCを審議何やってんだ……B位級第6隊を召集おいお前ら行ってこい


「「「───コードALCを受諾ういーっす実行を開始行けたら行きまーす」」」



 雲の代わりに、淡白で無機質な声やけに人間臭い副音声と共に動き回るが空を覆っているからだ。

 翼を生やした鳥や人ではない。翼そのものが浮いているのだ。それらは二枚一対のものもあれば、四枚二対、六枚三対のものもある。色も形もさまざまで、しかし、そのどれもが羽ばたくということをせずに、空中を滑らかにスライドしていた。

 下に広がる雲海の中には、白と黒の斜市松ハーリキンチェック柄の固い滑らかな床が広がっている。所々雲で床が隠れたりするが難なく視認することができた。

 周囲にはただ、はるか遠い場所に高い灰色の壁があり、自分の体高の半分より低い位置に雲が出来ているのが見えるだけ。一つ気になる建物と言えば、真正面にある真っ白な神殿だろうか。


 ぼんやりとそれらを眺めていると、四枚二対の青い翼が目の前に滑り込んできた。


「───A位級アンヘルコードBWHを提案どうしたんだ?


 相変わらず聞こえてくるのは無機質な声だ。しかし、不思議と異言語が同時に翻訳されるように、気怠げな低い声が重なって聞こえてくる。


B位級ベクター提案を拒否……いえ、なんでも


 彼も自分も、相手を位級苗字で呼ぶ。互いに個体番号名前を知らないのもあるが、別に個体番号名前で呼び合うような間柄でもないからだ。


A位級の判断を審議本当か?コードBBTを提案ぼんやりしてたぞ


 個人的には、ただ空中に留まっていただけなのだが、彼にはぼんやり浮かんでいるように見えたらしい。


提案を拒否大丈夫ですコードAWHを提案貴方こそここで何を?


提案を受諾あぁ、そうだったコード1COを申請我らが主が呼んでるぜ


 我らが主。天照。

 常に我々を天上から照らし、見守ってくださっている存在。

 彼の存在からの呼び出しとは、珍しい。


コードAWHを提案私だけ、ですか?


 何か重要なことを伝えるために呼び出されているのだろう。であれば、A位級以上の複数個体に声をかけているはずだ。

 それがどこからどこまでの範囲なのか、事前に把握しておけば、より行動しやすくなると思ったのだが。


提案を受諾さあ、どうだろうなコード1COを申請行けば分かると思うが


コード1COを受諾……そうですか実行を開始それでは、これで


実行を完了おう、いってら


 そうして会話を終えた 六枚三対 の白い翼は、燦然と輝く太陽に向かって、真っ直ぐに移動していった。






 覚えている。






 色とりどりの翼が目の前に現れた。



A位級アンヘルコードBSTを申請もうやめてくれないか


 二枚一対の、のっぺりとした赤い翼が警告する。



A位級アンヘルコードBSTを申請こんなことをしてもコードBSTを申請意味がないよ……

 コードBWHを提案なんでこんなことを?コードBWHを提案何か理由があるの?

 コードBWHを提案君に何があったんだよ


 四枚二対の、蝙蝠の羽のような形をした緑色の翼が嘆く。



コードBWHを提案なぜ貴女が敵なんだコードBWHを提案優しい貴女がなぜ……

 コードBWHを提案なぜ叛逆を起こす?コードBWHを提案たとえ命令だとしても

 コードBWHを提案なぜ容易く殺せる?コードBWHを提案彼らは仲間だろう!?

 コードBWHを提案心は痛まないのか!?A位級なあ返答を要求答えろよ!!


 三枚一対の、虫の翅のような形をした桃色の翼が叫ぶ。



「───A位級に異常性を発見お前は狂っているんだ

 コードBSTを申請だからここで止めるコードBSTを申請止めなきゃいけない


 一枚だけの、大きな布のような形をした黄色の翼が立ち塞がる。




「───A位級異常個体……アラ・アンヘル




 四枚二対の、自分と同じ形をした青い翼が告げる。



コードBSTを申請今ならまだ間に合うコードBSTを申請頼む、引き返してくれ



 それはとても無機質な悲しそうな声だった。




「───B位級ベクター




 声が震えているような気がする。




「───提案を却下……申し訳ありませんコード1ECを実行中これは、使命なのです




 そう告げた。その瞬間。



 自分の背後に、コードA74高威力攻撃魔術の視覚陣形が展開された。


 彼らの背後に、コードB61攻撃妨害魔術の視覚陣形が展開された。






 覚えている。






 モノクロの斜市松ハーリキンチェック柄の硬い滑らかな床は健在だ。

 上に広がる空も依然として青く、清らかに澄んでいる。



 そう。澄んでいるのだ。



 ノイズが一切ない。

 あの飛び回る物体はもう存在しない。

 あの無機質な人間臭い声も聞こえない。


 残っているのは己と主のおわす神殿のみ。



「……『律』」



 律。

 世界の誤り・・を正すこと。

 ただそれだけが、己の存在する理由。


 この身はすでに、物質的な限界を超えている。

 文字通り、世界を動かす部品である。

 それ故に、それ相応の権限さえも、我らが主はくださった。



 あぁ、我らが主よ。


 これは贖罪なのでしょうか。


 そうでなければ、我らが仰いだあの太陽天照が、憎き悪敵の集う地底深淵であるはずがない。



 そうでしょう?




 だって神は、平穏無事を望まないのだから。












 雲一つすらない快晴の青空。


 それは全ての雲の上に立てば見ることのできる光景だ。

 どの世界でもその光景を見られる場所はあるだろう。

 そこは徒歩で行ける場所の中で、最も日差しが強い場所でも、最も空気が薄い場所でもないが、最も高所に位置する場所ではある。


 違和感に気付いただろうか。



 そう、徒歩で行ける・・・・・・場所だ。



「ほぁー、すげーっ!」


 足元に広がる雲海の中に、白と黒の斜市松ハーリキンチェック柄の固い床が広がっており、所々雲で床が隠れたりするが難なく歩くことが出来る。

 周囲には壁も柵も、果てさえもなく、ただ自分の腰より低い位置に雲が出来ているのが見えるだけ。一つ気になる建物と言えば、真正面にある真っ白な壊れかけの神殿だろうか。


「どういう原理でここまで繋がってるんだ?」


「うぐ……気圧差すご……っ」


 荒れ狂う海に面する崖、その上に鎮座する巨大な観音開きの石扉を開いたら、目の前に広がるのはこの光景。

 まるで観光地に来たが如く、多くの冒険者達がぞろぞろと不思議そうな顔をして扉をくぐった。一部の者は低気圧に弱いのか、顰めっ面をしていたり、頭を抱えたりしている。


「おぉ、壮観だなぁ……!」


「うおぉぉぉぉぉぉぉ! めっちゃ走り回れるでござるー!」


「あれで雨風凌げんのか……? いや、雨は降らないからいいのか……」


「写真撮ろうぜ写真!」


「ふむ……荒神様と聞いていたから、てっきり嵐吹き荒れる渦雲の中にでも出るかと思ったが……」


「ちょっと気を付けなさーい! 落っこちても知らないわよー!」


 わーきゃーはしゃいで走り回る者、そそくさとカメラを取り出す者、何人かで固まって自撮りしはじめる者、建物や風景を遠目で見ながら考察しはじめる者、それらを見て周囲に気をつけるよう注意する者……


 訂正しよう。

 観光地の如く、ではなく、ここはまさしく観光地だ。




『試練』




 突然、頭に声が響いた。


「なんだ!?」


「おぉお、頭に直接……っ」


 性別も年齢も判別できない様な無機質な声で、それは告げる。




『人類。耐久、試練』




 その場にいる全ての存在が、強制的に理解させられる様な声。


「え? 何? 人類耐久試練?」


「おい見ろ、あれ!!」


 誰かが上を指差した。

 その声に呼応する様に、皆が一斉に顔を上げる。



 そこには、翼の球体が浮かんでいた。




『攻撃。三度。耐久』




 それは煌々と輝く太陽の様だった。


「うわ何あれ、天使……? じゃないよね……?」



 それは今にも落ちてきそうなギロチンの様だった。


「三回攻撃するから耐えろってことか?」



 それは今にも羽化しそうな蛹の様だった。


「ほーん……別に倒してしまってもかまわんのだろう?」


「おいおい、油断は禁物だぞ」




 翼が一枚ずつ、球体から剥がれていく。




『耐久』




 翼に覆われた部分が、露わになっていく。




『其レ即チ』




 翼が広がり、羽が粉の様に散っていく。




『生存』




 七枚の翼が、真空の球体を露わにした。






 ───コード666:天翼の試練アラ・アンヘルを申請。











 ───コード666:天翼の試練アラ・アンヘルの申請を許可します。


 只今より、対人類耐久試験を開始します。








 



 さあ、仕事だ。


 御律天帝神アラ・アンヘル




 七枚目・・・の青い翼が、そう言った気がした。



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