第56話 遠くからあなたのことを想う
(でも、あなたの大切な物だよね? それでよかったの?)
記憶を取り戻した今となっては、祖母の形見がバルタザールの元にあることに、何の異議もない。
おそらく彼に魔法具を渡すため、
『時間魔法が悪用されないために。誰かを傷つけないために。俺が危険な野心を持たないように。願いを込めてマリサに託すよ。もし嫌だったら、ごめんね』
苦笑したバルタザールだが、あわてたようにささやく。
『そろそろ時間だ。君を元の世界に戻さなくちゃ。本当にありがとう。さようなら。もしも奇跡が起きるなら、いつかまた、マリサに会いたいな』
そこで声は途切れた。
穏やかな鳥たちのさえずりと共に、いくつかの羽音が窓の向こうへと去っていく。
摩李沙はイヤリングを何度も外し、装着する。
少年の声が二度と聞こえることはなかった。
◆◆
その日の予定は何もなかった摩李沙だが、急きょ祖母のお墓参りに行くことに決めた。
驚く父と母を尻目に準備をし、仏花は途中の花屋で購入する。
電車とバスを使って、一時間かけて寺に辿りついた。
去年のお盆以来だ。花を供え線香に火をつけると、まず小声で謝った。
「おばあちゃん、ごめんね。せっかくもらったペンダントだけど、理由があってある人に渡したの」
それから先の内容は、心の中で話しかける。
信じがたいことだが、異世界へしばらく行っていたこと。そこで出会った少年の母親が、あの石を作った人物だったこと。
(その代わりに、このイヤリングを貰ったんだ。ほら、綺麗でしょ?)
右耳に手をやる。すると急に突風が吹き、せっかく整えた髪の毛がくしゃくしゃになってしまった。
「……私は、これでよかったと思ってるんだ。これが言いたくて来たの。またね、おばあちゃん」
帰りの電車の中、流れていく景色を漫然と見る。
作付けを終えた田んぼがどこまでも広がる。固まって群生している木々が、澄んだ青空へ悠々と手を伸ばしている。
(みんな、元気だといいな)
降り注ぐ光が心地よく、摩李沙は長いあくびをしてしまった。
◆◆
「うわっ」
廊下を歩いていたら突然バルタザールが叫んだので、何事かとエミリアは振り返る。
授業も終わり、図書室で用事を済ませ、後は帰宅するだけだ。
「どうしたの? そんな間抜けな声出して」
「いや、突風なのか鳥なのかわからないけど、何かが通り過ぎていったんだ」
バルタザールの髪は乱れており、彼はまとわりついた小枝やら葉っぱやらをつまみとっていた。
その最中彼のイヤリングが――いつの間にか一つ無くしたと本人は言っている――不自然に跳ねたのをエミリアは見逃さなかった。
しばらく黙っていたバルタザールだが、ふいに問うてくる。
「どうせ不完全なものだったんだろ? マリサへかけた魔法は」
エミリアは肩をすくめた。
「あの子は魔法使いじゃないもの。物理的な魔法ならともかく、記憶や精神に干渉する魔法をまともに浴びせたら、あとから何が起こるかわからないでしょ。お兄ちゃんもその辺は理解してると思うわ。おそらくあなたの独断も、怒らないとは思うけどね」
え、と声を上げたバルタザールへ、エミリアは指で小突きながら詰め寄った。
「イヤリング、無くしたなんて嘘よね。こっそりマリサへ渡したんでしょ?」
「……」
ばつが悪いのか、少年は明後日の方向を見た。
「怒らないのか?」
「あなたの身が危ぶまれるなら、怒るわよ。でもそれ以外は、できるだけ好きにしてほしいの。あなた自身の生き方だからね」
ふとエミリアは、
「でも、マリサはイヤリングに気づくかしら? 私の魔法は全く効いてないってことはないだろうし。もしかしたらずっとこっちでのことを、思い出せないかもしれないわよ?」
自身の言葉にふさいでしまったようだ。バルタザールは励ますように肩を叩く。
「わからないよ。あの子は魔力がないかもしれないけど、勘は良いと思う」
「あ、確かにそうかも?」
また風が吹いてきた。今度はバルタザールの頭を一度撫で、名残惜しそうに尾を引いて消えていく。
繋いでいた手を離す、別れ際のように。
少年は、夕闇迫る空を見上げた。
「元気かな、マリサは」
「うん、きっとね」
応じたエミリアに、バルタザールもうなずく。
帰路につく二人の姿を、ひっそりと見守る影があった。
誰にも気づかれないその影は水色の髪をなびかせ、安心したように微笑みをひとつ残し、風の中へと溶け込んでいった。
〈了〉
替え玉お嬢様は魔法がつかえない 永杜光理 @hikari_n821
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