かえるの恋

三生七生(みみななみ)

今日は、くもり。

 蛙化現象。

 これは、グリム童話「かえるの王様」をもとに作られた現象のことをいう。

 「かえるの王様」では、カエルがお姫様に恩着せがましく親切を行い、その親切に対して過度な見返りを姫に要求する。要求を断る姫に対し、カエルは「なら、それをお前の父親に言いつける」などと言って脅す。腹を立てた姫はカエルを壁に思いきりぶつけると、醜かったカエルはたちまち美しい王子へと姿を変える。カエルは実は人間の王子で、悪い魔法にかけられていたのだ。その後、二人は仲良くなり結婚まで至る、といったのが、だいぶ意訳を含んだあらすじだ。

 何ともひどい話だ。

 この童話の教訓に「守れない約束をしてはいけない」や「人を見た目で判断してはいけない」といったものがあるが、どれも違うのではないかと思う。過度な要求をしてくるカエルのほうに明らかに責があるし、美しい王子になった途端に姫は結婚。グロテスクな童話だと、当時幼いながらに違和感を感じたことを覚えている。


 そんな童話を聞いてから数年、僕は中学生になった。

「カエルに乱暴するなんて信じられないよ。なぁ、ゲコ太」

 幼い頃に聞いた「かえるの王様」のカエルをどこかで不憫に思った深層心理が関係しているのかはわからないが、僕は今カエルを飼っている。うちは母子家庭で、大して裕福でもないのに、母が僕のわがままを聞いて買ってくれた大事なゲコ太だ。アメフクラガエルという、おまんじゅうのような丸いフォルムがとてもかわいらしくて、ペットショップで釘付けになったことをよく覚えている。

「颯太ー!もう学校行く時間でしょー!」

 キッチンから母の急かす声が聞こえる。

「わかってるよー!じゃあな、ゲコ太。帰ってきたらまた遊ぼうな」

 まだ時間に余裕はあるものの、急ぐふりをして玄関を出た。


 中学生になると勉強も部活も大変になると聞くが、僕は学校に行くのは苦ではない。なぜなら、入学式で一目惚れしたゆかりちゃんに先日告白され、付き合うことができたからだ。僕は大して頭が良いわけでも、足が速いわけでもない。ただ、急な雨で傘を持っていないゆかりちゃんが雨宿りしているところに偶然居合わせ、相合傘をしてゆかりちゃんの家まで送っていったことがある。そんな優しいところが好き、とゆかりちゃんは言ってくれたのだ。有頂天という言葉は僕のためにあると思ったほど、天にも昇る気持ちだった。

 今日はゆかりちゃんを初めて僕の家に招待する。楽しみと緊張が半々くらいの気持ちだ。


 放課後に楽しみなことがあると、1日がとても長く感じた。しかし、ゆかりちゃんと一緒に学校から歩く帰り道は、とても短く感じた。

 「どうぞ。狭いけど」

 「お邪魔します。私、アパートって入るの初めてだけどこんな感じなんだね。」

 ダイニングを通り、自室へと通す。それぞれクッションの上に座り、今日学校であった出来事に、しばらくは花を咲かせた。

「「………」」

 以降、会話が続かない。付き合いたての中学生なんてこんなものかもしれないが、だいぶ気まずい。

 そんなことを考えていると、ふとダイニングにあるゲコ太の水槽が目に入った。

「そうだ、ゆかりちゃん。僕、ペット飼ってるんだ」

「え、そうなの?見せて見せて!」

 僕はテーブルの上に置いてあるゲコ太の水槽に近づき、ゆかりちゃんを呼び寄せる。アメフクラガエルはエサを捕るときなどは地上に出てくるが、基本的に土の中で生活する。そのため、カエルを飼っているのか土を飼っているのかわからない、という人もいるようだ。

「いるかな…。あ、いた、ここ!半分くらい埋まってるけど、アメフクラガエルっていう種類のカエルなんだ。珍しいでしょ」

 どうだ、見たことないだろう、とちょっとした自慢も語気に含めて、ゲコ太を紹介した。はずなのに、ゆかりちゃんの反応がない。

「ゆかりちゃん?」

 僕がゆかりちゃんの方を向くと、ゆかりちゃんは眉間に若干皺を寄せたまま、顔を引きつらせていた。

「え…颯太くんが飼ってるペットってカエルだったの…?ごめん、私カエルすっごく苦手なの。だからあんまり見たくない…」

 それだけ言い、ゆかりちゃんは目を伏せた。

「そ、そうだったんだ。ゴメンね、知らなくて」

「いや私も伝えてなかったから…ごめん」

 話題を作ろうとしたのに、余計に気まずくなってしまった。それと同時に、大事なゲコ太が受け入れられなかったのが、悲しかった。

「颯太くん、私そろそろ帰るね。もう暗くなるし」

「そ、そっか。じゃあ、家まで送っていくよ」

「いいよ、玄関先までで」

 お言葉に甘え、ゆかりちゃんを玄関先で見送った。

 僕はなんだかずっと、上の空だった。


 翌日、昼休みにゆかりちゃんに呼び出された。人気のない音楽室前が、集合場所だった。向かうと、俯いた顔でゆかりちゃんが立っていた。

「急に呼び出してごめんね」

「いいよ、別に。で、どうしたの?」

 しばらくゆかりちゃんは俯いたまま、何も言わなかった。僕も特に、何も言わなかった。

 数分した頃、ゆかりちゃんがようやく口を開いた。

「私、すっごく迷ったんだけど、颯太くんとはお別れしたい」

 雰囲気からして、わかっていたかもしれない。わかっていたかもしれないけれど、あまりにも自分に心当たりがなさすぎて、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。

「理由、聞いてもいい?」

 僕が聞くと、ゆかりちゃんは申し訳なさそうに答えた。

「昨日、颯太くんちに行ったでしょ。それで、カエル…飼ってたでしょ。私、ほんとうにカエルがダメなの。颯太くん自身を嫌いになったわけではないんだけど、カエルを飼ってるっていうのがどうしてもダメで…本当にごめんなさい!」

 それだけを言い残すと、ゆかりちゃんは走って僕の横を通り過ぎていってしまった。目の前に起きた全ての現実味がなさすぎて、僕はゆかりちゃんを追いかけることができなかった。


 部活を終え、家に帰った。昨日までこの部屋にはゆかりちゃんがいたのに、なんてそんなことも思ってしまった。

 ふと、ゲコ太の水槽を覗く。ゲコ太は昨日見たときとほぼ変わらない位置に佇んでいた。

 いつもなら、「ただいま、ゲコ太」と声を掛けた。だのに、今日は、そんな気持ちにはなれなかった。むしろ、この目の前のカエルが、憎くて仕方がなかった。

 こいつさえいなければ、僕はゆかりちゃんに振られることはなかった。

 そんな考えが僕の脳を占めたころ、僕はゲコ太を連れて近所の用水路まで来ていた。

 この用水路はゴミなどの投棄物が多い。流れもゆっくりのため、循環も悪い。おそらく、相当汚染されているであろう水路だ。僕はそんな過酷な環境に、いつもと変わらない様子のゲコ太を、放り投げた。何も分かっていないゲコ太はゆっくりと流されていき、いつの間にもっと遠くへ流されたのか沈んだのか、ゲコ太の姿は見えなくなった。僕はそれを理解しても、ゲコ太への感情が動くことはなかった。

 それよりも頭を占めたのは、「グリム童話のカエルも、僕と同じように、こんな気持ちだったに違いない」という気持ちだった。なぁ、童話のカエル。お前もそうだっただろ?「本当の自分はこんなもんじゃない、本当の自分は美しい王子で、お姫様に愛されるべき存在だ」って、思ってたんだろ?僕だって今「本当の自分は優しい人で、ゆかりちゃんに愛されるべき存在だ」って思ってるよ。カエルでさえなければよかったんだよな。

 ならきっと、ゆかりちゃんも童話のお姫様と、きっと同じに違いない。童話のお姫様は、カエルが王子様になった途端に結婚した。

 なら、僕もカエルを手放せば、もう一度ゆかりちゃんと___。


 翌日、「身軽」になった僕は、昼休みにゆかりちゃんを呼び出した。呼び出し場所はどこでもよかったので、昨日と同じ音楽室前を選んだ。僕が到着した数十秒後、パタパタと音を立て、ゆかりちゃんがやってきた。

「…どうしたの?」

 不安げな顔で、ゆかりちゃんが聞いてくる。そんな顔をしなくてもいいのに。今から朗報を聞くことになるんだから。

「昨日さ、ゆかりちゃん、カエルがダメだって言ってたじゃん」

 またしても申し訳なさそうに、ゆかりちゃんはこくりと頷く。

「だからさ、僕、ゲコ太のこと捨てたんだ。ゆかりちゃんが可哀想だと思って。これでゆかりちゃんの苦手なカエルはいなくなったよ。これで、もう一回僕と付き合ってくれる?」

 ゆかりちゃんは目を少し見開いたまま、信じられない、といった顔で僕を見た。僕のことを見直してくれたのかな、と思ったのも束の間__。

「ペットを捨てるなんて信じられない!私、カエルもカエルを飼っている人もダメだったけど、生き物を大事にしない人はもっと無理!生き物を何だと思ってるの!?」

 予想外に飛んできた言葉に、唖然とする。だって、ゆかりちゃんが、カエルが苦手だって言うから、僕は、ゆかりちゃんを思って__

「私、颯太くんの優しいところが好きだったのに。なんで…」

 目に涙を溜めたゆかりちゃんは、昨日と同じように走ってどこかに行ってしまった。

 僕はまたしても、追いかけることができなかった。

 おかしい、童話と違うじゃないか。


「颯太くんの優しいところが好きだったのに」

 家までの帰り道、ずっとその言葉がぐるぐると、頭の中を駆け巡る。今なら、童話「かえるの王様」の「見た目で判断してはいけない」という教訓の意味が分かる気がする。カエルは終始恩着せがましかったが、その中身は人間だったときの王子のままなのだ。某有名戯曲でも、「薔薇をなんと呼ぼうが、その香りは変わらない」と言ってたじゃないか。僕はゲコ太を捨てるのと同時に、「優しい」という香りまで、捨ててしまったのだ。ゲコ太、ごめん、ゲコ太…。涙が溢れてくる。今までゲコ太と過ごした日々が、今更になって走馬灯のように巡る。

 帰ったらゲコ太のお墓を作ろう。ゲコ太自身を入れてあげることはできないけれど、どこかに形だけでも、ゲコ太が眠れる場所を作ってあげよう。用水路の近くの土手にしよう。僕が僕の罪を忘れない意味でも。ゆかりちゃんにも明日謝ろう。謝ってもどうにもならないけれど、僕がやってしまったことがどれだけのことだったのかがわかったと、ちゃんと伝えよう。

 そう決意したとき、ちょうど僕の家の玄関に着いた。珍しくカギが開いている。お母さん、今日は休みだったっけ。

 ドアノブをひねり、玄関に入る。お母さんの靴がある。やっぱり休みだったのか。いや、それ以上になんだか部屋の様子がおかしい。特段荒れているわけでもないが、空気がとにかく変なのだ。

 息をひそめながらキッチンに向かうと、母の姿があった。安心すると同時に、母の様子もおかしいことに気づく。背中を向けてキッチンに立っている様子はいつもと変わらないはずなのに、どこか異様な雰囲気を纏っていた。

「お母さん、た、ただいま」

 恐る恐る声を掛けると、母は振り返らずに「おかえり」と返す。受け答えはまともなものの、肩で息をしているようにも見える。

「お母さん、どうかした…?」

 体調でも悪いのかと尋ねようとしたとき、母がまくしたてるように話す。

「お、お母さんね、あ、あんたには言ってなかったけど実は付き合ってる人がいるの、それでね、今日も会ってきたの、で、わたし、子持ちだってことをその人に言ってなかったの、だからね、そろそろ言わなきゃと思って、今日あんたのことを話したの、そしたらね、コブつきとは付き合えないって言われたの、ひどいひどいよね、別に困ることないのにね、あんたもいい子だもんね、でもね、それ言ってもわかってくれないの、子持ちは無理、それしか言わないの、おかしいよね、お母さんもさ、わかってるよ、わかってるけどさ、わたし、あんたさえいなければとかね、おもっちゃったんだよね、ね、」

 ようやく振り返る母。手には包丁。

 僕はあまりに冷静に、事態を理解できた。

 ああ、カエルの子はカエルってやつかぁ。

 カエルの親はそりゃあ、カエルだよなあ。

 そんな当たり前のことを考えたころにはもう、僕は冷たい床の上に倒れていた。お腹にだけ、燃えるような熱さを感じていた。

 ゲコ太、ごめん、僕、おまえのお墓、つくってやれそうに、ないかも。

 最後に見た景色は、カラになったゲコ太の水槽だった気がする。

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かえるの恋 三生七生(みみななみ) @miminanami

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