在りし日の記憶

 並んで動く白熊のぬいぐるみ、それだけでも可愛いといえば可愛いけれど、何か、物足りない。

 そう思い、彼らの前肢と前肢を重ね合わせると、端から見れば手を繋ぎ、仲良く散歩でもしているみたいだ。微笑ましい。

 そんな白熊達を眺めていると、何か、思い出しそうになる。


 何か、何か。──僕はいつも、引っ張られるように歩いていた気が──。


「あざらし君?」


 ぼんやりして手が止まっていたらしい。白熊さんにすみませんと一言告げて、また動かす。何か思い出しかけると、頭を振り払って追い出した。ずっとそれを繰り返す。きっとおかしく見られたはずだ。一時間も経たない内に、白熊さんはペンを止めた。


「だいたい描けたよ、ありがとう。その子達もう降ろしていいよ」

「分かりました」


 何も考えずに畳の上に置いたら、ごろんと白熊達は転がり、二体の間には白熊一体分の距離ができる。それが何故だか妙に申し訳なくなって、すぐに彼らを近付けて前肢と前肢を重ねた。

 背筋を伸ばして白熊さんに向き合う。この部屋に連れてこられてからずっと正座をしているけれど、これ、足を崩したらかなり痺れるんだろうな。嫌だな。

 白熊さんは持っていたものを全てローテーブルの上に置き、僕に身体を向けて、ありがとねと短く礼を言ってきた。

 いえいえそんなと控えめに手を振りながら、これも言っておかないとって続けて言う。


「白熊さんにはお世話になってますから、いくらでも、僕にできることはお手伝いさせてもらいます」

「頼もしいね。君がいてくれて本当に助かるよ」


 淡く笑みを浮かべながら、そんな言葉を僕に掛けてくれた白熊さん。……何か、返事したらいいのか、それとも微笑み返すか。

 そんな風に迷ったけれど、答えを出す時間はなかった。白熊さんは一瞬後ろを振り返り、何かを手に取ると、それを僕に見せてきた。

 白熊。……じゃなくて、端に小さな白熊がくっついてる横向きの写真立てで、中には二人の人物が並び立つ写真が入っている。


「……俺とね、お祖母ちゃん」


 割烹着を身に纏うその方は、ふわふわとした短い白髪で、小柄で優しそうな顔立ちをしており、その右隣に、学ランを着た黒髪の少年が立っていた。

 撮った場所はこのお店の前だと思う。見慣れた出入口。……それと、多分お祖母さんの左隣、誰か他にいたのかもしれない。不自然にそこだけ折られている。


「……」


 疑問は口にせず、少年と白熊さんを見比べる。

 少年はまだ顔に蝶がいないようで、前髪は普通の長さであり、露わになったその顔は中性的な感じがした。

 白熊さんの顔は、前髪によって大部分が隠れており、そっちにどうしても目が行ってしまうけれど、よく目を凝らしてやっと、あんまり雄々しい感じではないな、と思う。

 いつぞや、斑鳩さんとの会話で、その顔立ちを気にしているようなことを言っていたから、そこは指摘しない方がいいだろう。


「その……可愛らしいお祖母さんですね」

「実際に可愛い感じの人だったよ。それにすごく優しかった。この店にいた頃はね、看板娘だったんだから」

「……そうですか」


 過去形。

 ここで働かせてもらってから、一度もお祖母さんにはお会いしていない。ということは、そういうことなんだろうな。

 ほんのり物悲しく思いながら、在りし日の祖母と孫を写した心暖まる写真を眺めていると、さっきの絵はね、と白熊さんが話し出す。


「母の日の為に描いたんだよ。五月に入ってからたくさん描いてきた。合法的に毎日白熊の絵を描けるのはいいね」

「いつも描いていませんか?」

「いつものとは別だよ。今回は見せるとすごく喜んでくれる人がいるからね」

「……お母さん、ですか?」


 訊ねながら、胸にチクリと刺すような痛み。それを無視して返事を待つ。白熊さんは、ううん、と言いながら首を横に振った。


「──違うよ、お祖母ちゃん。お母さんには会ったことないよ。俺はほとんどお祖母ちゃんに育ててもらったんだ」

「……っ」

「お祖母ちゃんね、去年から北海道にある叔父さんの家で一緒に暮らしていてね、たまに白熊の写真を送ってくれるんだ。動物園によく行くみたいだし、それにね、叔父さんの家に白熊の剥製があって、それにつられて一緒に暮らすことになったんだよ。その白熊の剥製とツーショットの写真も送ってくれる。見る?」

「……」

「あざらし君?」

「……あ、いえ。平気です」


 お母さんはいなくて、お祖母さんはいる。

 白熊さんの場合は、そうなのか。

 ……そうか。

 自分の母さんの顔が頭にちらついて、首を振る。


「あざらし君」

「はい」

「……ごめん、ちょっと呼んでみただけ」

「は、はい」


 何だろう。……いや、挙動がおかしかったから気になったんだろうな。頬を叩いて活を入れたくなるけれど、きっと余計に気を遣わせてしまう。なるべく堪えないと。


「そういえば、あざらし君の所はどう?」

「どうとは?」

「──母の日。何か買った?」

「……そうですね……」


 堪えないと。


「明日、いもうとと花を買いに行くんです」

「妹さんいたんだ。何となく一人っ子だと思っていたよ」

「二年前まではそうでしたよ。母が再婚して……かぞ、家族が、増えました」

「そうなんだ。賑やかになった?」

「……はい、とっても」


 賑やかで温かな、幸せ家族。

 それを眺める僕。


「……あのさ、あざらし君。今日は早仕舞いにしたでしょう?」

「はい」

「お米まだあるし、おにぎり、作らない?」

「はい。……はい?」


 僕が何か変な顔でもしていたのか、ははっと白熊さんは楽しそうな笑い声を上げ、僕の両手を取って一緒に立ち上がる。


「母の日のプレゼントに、愛息子の手作りおにぎりを」

「ひいっ!」


 白熊さんがまだ話している最中なのに、僕はそれを遮って奇声を発し、思いっきり手に力を込めてしまった。


「どうしたの、あざらし君?」

「……あ……あ、し……」

「足?」

「……しびぃ」


 痺れた足が正常に戻るまで、僕らは調理場に行けなかった。

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おにぎりの白熊堂 黒本聖南 @black_book

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