いもうととの約束

 永遠をいくら願った所で、終わりは平等に訪れる。名残惜しいけれど、白熊を机の上に置いて食卓に向かった。

 珍しいことは寝て起きてもまだ続くようで、食卓には母さんもとうさんもおらず、いもうとしかそこにはいなかった。

 いもうとは、もそもそとイチゴジャムを塗りたくったトーストを食べていたけれど、僕の存在に気付くとその手を止め、視線を向けてくる。

 黒髪ボブな上に常に真顔なので、いつものように日本人形に見つめられている気分になり、居心地の悪さを感じるけれど、それでも年上として言わないといけない。


「お、おはよう。乙音おとねちゃん」


 義理の兄妹になってからこれまで、僕はいもうとをちゃん付けで呼んでいる。母さんがそう呼んでいるから、つられてその呼び方を続けていた。

 さて、いもうとは──乙音は、ギギギなんて音が聞こえてきそうなほどにゆっくり首を傾げて、おはよ、と短く返事をしてくれる。

 無意識に吐息を溢していた。八歳児相手に無駄に緊張していたらしい。あまりお喋りが好きな子じゃないから、未だにどう接していいものかよく分からない。

 定位置である彼女の隣に座り、テーブルの上に置かれていた袋から食パンを一枚取って、気持ち急ぎめに食べていく。今日は土曜日。斑鳩さんのお手伝いから一週間が過ぎていた。時間が経つのはあっという間だ。

 学校は休みだけれど、バイトのシフトは入っている。四十秒、は無理だけれど、三十分以内に支度して出ていかないといけない。

 飲み物も用意しないまま、もう一口で食べ終わるというまさにその時──隣からか細い声が聞こえてきた。


「……にいさん」

「えっ」


 声のした方に視線を向ければ、乙音が僕のことを凝視していた。その手に持った食パンはさっきと大きさが変わっていないから、ずっと僕のことを見ていたらしい。

 あまり呼ばれ慣れないその呼び方に戸惑いつつ、用事があるのならと、乙音に向き合った。

 彼女が話し出すのを、静かに待つ。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「その、どうかした?」

「……」


 乙音はなかなか口を開かない。

 ちらりと壁の時計に目を向ける。まだ平気だけれど、いつまでもこの状態を続けてあげられる余裕はない。

 どうしたものか。

 取り敢えず、手に残っていたトーストの欠片を口に放り込むと、それが合図だったみたいに、乙音はゆっくりと語りだした。


「明日、母の日だから、花を、私と一緒に、買ってほしいの」

「……」


 母の日か。

 もう、そんな季節か。

 二人で暮らしていた頃も、その日に花を、定番の赤いカーネーションを、買ってあげてたな……。


「にいさん」


 受け取る時にお礼を言ってくれた。めったに使わない、それこそ母の日にしか使わない、百円ショップで買った花瓶に飾ってくれていた。

 枯れたら何の未練もなく、捨てていたっけ。


「……駄目?」

「……いいよ。明日、何時に行く?」


 そう口にすると、乙音の顔がほんの僅かに変わった気がする。なんだか安心したような、そんな顔。

 明日の約束を手短に済ませて、出掛ける支度をし、外に出る。


「……」


 母さんととうさんが再婚してから、母の日をどうしていたのか、何故だろう、あまり思い出せなかった。


◆◆◆


 白熊さんのお店はいつも通りだ。


 十二時前の客足はのんびりとしたもので、僕はレジに、白熊さんは調理場でおにぎりを作っていたけれど、十二時を過ぎると小さな列ができるほどにお客さんが来てくれた。

 そうなったら、白熊さんがレジを担当し、僕は列に並ぶ人達から数人ずつ注文を取り、ショーケースからおにぎりを取り出して袋に入れて、白熊さんの傍に置いていく。かなり慌ただしく、それが十三時になる頃まで続き、過ぎたらだんだん落ち着いてきて、僕らもお昼休憩を取ることになる。

 いつもであれば、休憩が終われば僕はレジに戻り、白熊さんは二階でイラストの仕事をするけれど……。


「あざらし君、今日はもうお店、閉めちゃおうか」


 客足が途絶えてすぐに白熊さんはそう口にして、僕が返事をする前にシャッターの操作をしていた。もはや耳慣れたうるさい開閉音。ショーケースのおにぎりはまだ残っている。

 こっちこっちと、当たり前のように手を引かれ、転ばないように気を付けながら一緒に二階を目指した。近付くにつれて煙草のにおいは濃くなる。これももはや慣れたもの。バイトを始めた時から、白熊さんの仕事部屋に荷物を置かせてもらい、そこで着替えも済ませていた。

『おにぎりの白熊堂』のユニフォームは黒いティーシャツ。下はジーパンじゃなければ何でも良くて、もらってから気付いたけれど、胸元にはウインクをしている小さな白熊がいた。

 仕事部屋に通されると、初めて来た時みたいに潰れた座布団を渡されたから、畳の上に敷いてそこに座る。白熊さんは自分の座椅子に腰掛けて、僕と向き合った。


「でさ、あざらし君。君にお願いがあるんだよ」

「何でしょうか」


 僕にできることなら、何でも。

 そんな気持ちで、白熊さんの言葉の続きを待っていた。

 さて、白熊さんは、事前に用意していたのか、いつの間にか両手に白熊のぬいぐるみを持っている。右手の白熊は大きく、白いフリルの前掛けをしており、左手の白熊は小さくて、真っ赤なキャスケットを被っていた。


「この子達を持って、歩いているみたいな感じで動かしてほしいんだよね、いいかな?」

「平気です」


 断る理由がなかった。

 受け取ると、いつぞやみたいに白熊さんは、傍らのローテーブルからスケッチブックと鉛筆を手に取って構えだす。僕は慌てて白熊達を動かし始めた。

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