ターフを駆ける、手綱から〝はなさないで〟と伝わってくる

初美陽一

はなさないで

 晴天、ターフの感度は良好、大レースにファンファーレが鳴り響いてのち、スタート前の水を打ったような静寂。


 その始まりスタート次第で、ここまでの苦難や準備が、一瞬でになってしまう可能性もある――異様な緊張感の中。


 とうとうゲートが開き――各馬一斉に、綺麗にそろったスタート。


 馬蹄が轟き、地が鳴り響く。騎手は常に選択を強いられる。集団のどこに位置するか、他馬ライバルとの距離感は、今の速度で駆けて良いのか、緊張と不安は尽きない。


 全てのレースが、全ての競走馬にとって、一世一代の大舞台。


 緊張を抱えたまま、最終コーナーを曲がる――ひと足早くスパートをかけるため、鞭を振り上げるライバルもいる。


 自分も鞭を入れるべきか、と逡巡する、そんな騎手の――


 手綱から、相棒の意思が、伝わってきた。



     〝大丈夫だよ〟


    〝だから、を〟


     〝はなさないで〟



 騎手が、ぎゅっ、と握る手綱から返ってくる、確かな手応え。


 最終コーナーを曲がりつつ、ことも一切なく、相棒の馬体だけがスルスルと馬群をすり抜けていく。


 直線、気付けば先頭集団の中、鎬を削る鍔迫り合い、デッドヒートの最終局面。


 今こそスパートをかけるべきか、と焦る騎手の手綱から、伝わってくるのは。



     〝大丈夫だよ〟


    〝だから、を〟


     〝はなさないで〟



 そのまま、先頭を争う集団から。


 、と顔先だけ抜け出して――鼻差の僅差で、一着をさらっていく――


 歓声が響く中、相棒と共にウイニングラン、結局一度も使わなかった鞭を持つ手を振り上げて応える。

 すると、逆側の手綱を握る手から伝わってくる、手応えは。



     〝ね、大丈夫だったでしょう〟


    〝大差でも、僅差でも、同じ勝ち〟


        〝鼻差内はなさないで、ね〟



 歓声を浴びながら走る、相棒の誇らしげな横顔は、確かにそう言っているような気がした――……。



 レースを終えて暫く後、騎手が当時のレースについて、記者からマイクと質問を向けられると。


 中には「鞭を使えば、もっと楽に勝てたのでは?」なんて、ちょっぴり意地悪な質問も飛び出したようだ、が。


 くすっ、と笑いながら、騎手は誇らしげに、こう答えた。



「大丈夫ですよ。あの子は他のどの馬よりも、人間よりも、レースというものを理解していました。手綱を握れば、言葉がなくても、それが伝わってきたんです。

 そう、はなさないでも、ね」



 ― fin ―

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ターフを駆ける、手綱から〝はなさないで〟と伝わってくる 初美陽一 @hatsumi_youichi

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