第12話 メレウトの生活(3)

 レンとともに食事を終えて、ヨウは、与えられた自分の部屋に戻った。日中の休憩時間である。1~2時間、昼寝でもした後に、また日暮れまで当番の仕事をするのが慣例となっているらしい。


 ヨウは、文殊屋から買ったノートを、質素で頑丈そうな机の上に広げると、同じく買って来たペンを取り出した。

 ノートに、ペンを滑らせてみる。


「吾田 和巳」


 しばらく考えた後に、自分の実家の住所を出だしだけ書いて、やめた。レンだけではなく、他の住民も、口をそろえて言うのは、ここは魔法や言霊に支配された特別な閉鎖空間だという事だ。


 今、ヨウが安直に考えているような事で、住所や本名を、「文字に書く」事でも、何か特別な異変が起こりかねない。最初はカルト宗教かもっと始末に負えない犯罪組織に拉致されたのではないか、と思っていたが。

 人の言葉を話す兎の妖怪まで出てきてしまっては、太刀打ち出来ない。


 あれは本当に、齧歯類の兎の口だった。その口から、流暢な人の言葉が出てきたのだから、ここは、ヨウの知っている現実の世界に通じているが、通じてない、奇妙な閉ざされた世界なのだ。


(ここは、もしかして異界……現実の近くにある、現実ではない世界。それは間違いないようだ。この屋敷の住民達の言う、マヨイガというのは本当なのかもしれない。俺は、マヨイガについて詳しい知識は持っていないから……何とも言えないが。時間と空間において、迷子になってしまった屋敷……)


 そこにやってくる客人まろうどが、行商人の妖怪達で、それ以外に来客はないと、牡丹ぼたん達は言っていた。


 稀に、迷い込んできた人間もいたようだが、皆、試練を乗り越えなければ帰る事が出来なかった、試練とは関係なく屋敷から出ようとすると、悲しい遺体になってしまう……と。


「畜生ッ……」

 ヨウは思わず歯を噛んで、罵言を口にした。

 言霊の事はわかっているが、そうせざるを得なかった。


 とりあえず、ノートの書きかけの住所のページを破り捨て、ゴミ箱に入れるヨウであった。


(だけど、令和の貨幣が使われているということは、どこかに脱出口はあるはずだ。令和の時代に繋がる何かが……妖怪達が週に一回、訪問してくるのなら、次の訪問までに、手紙を書きたい。言霊って、なんだよ……)

 この場合の、言霊の仕組みが理解出来ないので、住所を書く事までためらってしまうのだ。

 そこで、ヨウはどうしても気になる事を、確かめる事にした。ノートとペンを机の引き出しに丁寧にしまいこむと、ヨウは、自分の部屋を出た。


 牡丹ぼたんを探した。


 一階から順番に部屋を巡ると、牡丹ぼたんは、茶話室にいた。

 本格的な茶道具から、紅茶にマグカップまで、まず一通りのお茶やコーヒーが、壁面収納におさまっている部屋である。

 ゆったりと腰かけられるソファと、低めのガラステーブルが設えられており、牡丹ぼたんは、そのソファに座り、自分のメモ帳をにらみ付けていた。


牡丹ぼたん

「あれ、さくら? どうしたんだ。当番のことか?」

「当番?」


 牡丹ぼたんは立ち上がると自分から、ヨウのために準備されたマグカップを手に取り、備え付けのポットでインスタントだがコーヒーを入れてくれた。


「てっきりそうだと思ったけど……。土曜、遅くとも日曜までに、来週の当番の事について、屋敷の住民は僕に報告する事になっているんだよ。前にも言ったろ? 君以外は全員、畑の事とか掃除の事とか僕に報連相してくれている。それで、来週の当番の順番を決めていたところなんだ」


 それで、自室ではなく、人が来やすい茶話室にこもっていたらしい。


「大変ですね」

「新入りの君ほどじゃないだろ……まだ、気を張り詰めているんじゃないか?」

「……」


 ヨウは、話を切り出す事をためらった。どういうわけか、ヨウのことを、牡丹ぼたんは屋敷の新入りの住民として最後まで面倒を見る気になっているらしい。優しい笑顔を向けてくる。

 それに対して、ヨウは、「カタログ」のことを知りたいのだった。てっきり通販のカタログだと思ったのだが……。そう考えると、この時空から孤立した屋敷には、電話は通じてないが、電気や郵便は通じているという不思議な事になる。


 太陽光発電システムということも考えられるが……。


 郵便が使えるのならば、現実世界の親族や友達に、いち早く連絡を取りたかった。あの父が、拉致られ、窮地に陥っている自分を助けてくれるとは考えづらいが、父はともかく他の親族や友人達は、ヨウの事を心配しているだろう。ヨウも、元の世界に戻りたかった。


「どうした? 僕に何か用事があったんじゃないか?」

 牡丹ぼたんは、マグカップを受け取ったまま黙っているヨウに小首を傾げてそう尋ねた。


 ヨウは、素直にそれとなく聞いてみる事にした。

「さっき、工具のカタログを見ていましたけど……」

「ああ、うん。文殊屋さんのね」

「今日、畑の農作業をしていて、草刈りの鎌の根元が、緩んでいたんです。それで、通販した方がいいんじゃないかと」

 それは本当の事だった。鎌は、まだ使えるかもしれないが、少しガタがきている。いつまでも使っていては危ないだろう。

 真面目に仕事をしたから気がつくことだ。


「鎌。それは危ないね。わかった、僕の方から注文しておくよ。気がついてくれて、ありがとう」

「あ、はい」

「だけど、今、通販って言っていたけれど……メレウトでは郵便は使えないんだよ」

「えっ」

「ま、当然だけどね。あらゆる時空から孤立しているから。だから、来週、文殊屋さんが来た時に、他の工具と一緒に注文して、届くのは再来週っていうことになる。さっき、カタログを見ていたのは、来週までに欲しいものがあったからなんだ」


「…………」

 がっくりと、マグカップを取り落としそうな勢いで落ち込むヨウであった。


「そ、そうだったんですか……」

 

「外部と手紙で連絡でも取りたかった?」

 あっさりと、牡丹ぼたんはそう尋ねてきた。ヨウは硬直した。咄嗟にどんな返事をしたらいいかわからなかった。


「何度も言うけど。そんなことをしたって無駄。600年以上昔から、ここに囚われている僕が言うんだから待ちがないよ。無駄なあがきをするよりも、誰かと本当に愛し合った方がいい」


「愛し合うって、誰と、どんなふうに?」

「……ま、それがわかったら、僕だってこうはしていないよ」

 牡丹ぼたんは苦く笑って、自分の分の冷めたコーヒーを啜った。

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桜鏡 秋濃美月 @kirakiradaihuku

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