あなたははなさないで

杉林重工

あなたははなさないで

「ケイコ、このアパートに住んでんの? ねえねえ、ここ、なんて呼ばれてるか教えてあげよっか?」


「話さないで!」


 わたしは友人の口を塞ぐように両手を突き出して、この話題を終わらせに掛かった。彼女の顔は暗い。引っ越し祝いに遊びに来てくれるという彼女だったが、わたしのアパートを見てすっかり意気消沈してしまったらしい。近所のスーパーの酒コーナーでは終始、宅飲みだー、だの、何飲もっかなー、だのとはしゃいでいたのに。


「まあいっか。早く行こ」しかして、すずさま彼女の顔はけろりと明るくなった。


「切り替え早いな」


 わたしは感心した。一方の彼女は首をかしげる。


「もしかして、ケイコ、マジで怖がってる?」


「そんなわけないじゃん。だって、わかってたし」


 わたしは、この新居の奥を指さす。ふいに吹いた風にあおられ、何かが倒れる、かたん、という音が寂しく響いた。多分、卒塔婆だろう。


【田中家之墓】

【鈴木家之墓】

【山田家之墓】

【佐藤家之墓】

【吉田家之墓】


 柵の向こう、並び立つは墓墓墓墓墓。そう、わたしの新居の裏は墓場だった。


 ごーん。


 ついでに寺。ちょうど夕方を教えてくれる。友人はふと真っ赤な夕日に染まる空を見上げた。


「そりゃそっか。ねえ、ここ、ぶっちゃけいくら?」


「一万」


「やっす。事故物件じゃん」


「失礼な、ちがわい」


 ***


『事故物件ではないんですが、一応お話しておきますと……』

『お願いですから話さないで!』

  

 ***


 大家さんとの楽しい会話を頭から追い出した。友人はわたしに連れられるままどかどかと外階段を揺らして二階に上がる。そして、早く来なよ、というわたしの言葉を無視して、人の部屋のドアを嘗め回すように見た後、普通に入ってきた。


「思ったよりぼろくないな。きれい」玄関で靴を脱ぎ捨て、家主より先に六畳一間に足を踏み入れた彼女は何度も深く頷いた。そして、手に持つビニール袋から、ツマミを取り分けていく。


「さっきからかなり失礼なんだが」わたしは正直に文句を言った。友人はその声を無視し、酒だけになったビニール袋をわたしに突き出す。中身はチューハイとビール。冷やしておけ、ということだろう。


 それを受け取り冷蔵庫へ。そして振り返ると、友人はじっと、狭い台所に立つわたしを見ていた。狭い故、わたしは彼女が退かないと出られない。様子がおかしい。わたしは唾を飲み、ゆっくりと声をかけた。


「ねえ、なに? どうかした?」


「蕎麦ないの? 引っ越しなのに?」ぼうっとわたしを見たまま、彼女はそういった。いらり、とした。


「ないよ。どけ、馬鹿」


「しゃあねえ、これでも茹でねえ」


 しゃっと鞄を床に下した彼女は、中から日清食品株式会社謹製の品『日清のどん兵衛 天ぷらそば[東]』を取り出した。引っ越しそばだ!


「まじか。ときちゃん」わたしは思わず感動して全身が震えた。


「たまにはね。何のために焼酎買ったか考えろ」


 少し照れるように、ときちゃんは顔を背けた。


「ありがとう!」わたしは感謝とともにどん兵衛を受け取る。別に高いわけでも何でもないし、なんだったらやっぱり生麺の蕎麦の方がおいしいに決まっている。とはいえ、ここは友人の心意気が胸に沁みた。


「遅くなったけど、引っ越しおめでとう。やばい家だけどな」


 本当は知っている。ときちゃんは皮肉屋だが、根はいい子なのだ。


「……だからさ! このアパートだって良いところもあるんだよ。ここで一曲聞かせてやらあ」


 宴も酣、だがしかし、わたしは相棒のギター〈クレイジーサンシャイン〉を取り出し、アンプにシールドをぶっ刺した。


「よ、待ってました、散財の悪魔! 世紀末の始まりだ!」


 すっかり酔っぱらったときちゃんがいらない合の手を入れる。


「ちげえよ馬鹿!」


 ぎゃああああん、と〈クレイジーサンシャイン〉も抗議の声を上げる。わたしの相棒の名前は、正式にはフェンダーのなんかだが、忘れた。あと、散財の原因とはちょっと違う。


「そっか、バンド詐欺にカモられたんだっけ」思い出したようにときちゃんが言った。


「〽Ahー、うるせえー、それ以上話さないでー! Ahー、言わないでー!」


 適当にわたしは声を張る。ときちゃんはゲラゲラ笑ってワンカップを煽った。そう、このアパートには住人がほぼいない。しかも、音を出してオッケーだという。そして大学の傍でかつ、家賃激安。わたしには今、金がない。上京したてで右も左もわからないわたしを相手に、バンドやろうと声をかけて貯金と〈クレイジーサンシャイン〉以外のすべて(下着込み)を持って行った詐欺師どものせいで素寒貧だ。両親に相談したら、もともと上京に反対だったこともあり、頭を冷やせと仕送りを断たれ、こうしてわたしは家賃をバイト代に全額依存することになったのだ。すると、ちょっといいところを借りてしまったばっかりに、元の部屋では暮らせなくなってしまった。


 そんなわたしに優しかったのは大家さんだけだ。別の部屋なら格安で貸してあげるし、なんか可哀そうだから、難しいお金もいらない、と言ってくれた。


『絶対それ、事故物件ロンダリングじゃん』


 ときちゃんはそういってわたしをからかった。だが、この家は事故物件ではない。そのはずだ。


「ま、無事そうでよかったよ。ケイコ、怖がりだもんね」


「そんなわけないじゃん。怖がりだったら裏が墓場のアパートなんかに住まないって」


「ほら、窮鼠猫を噛む、的な?」


「なんかほかにあったよね。例え話」


 そんな会話を最後に、わたしはときちゃんを見送って家に帰った。


「ん?」


 家のドアの前。なんとなく、ドアノブを握った瞬間、違和感が指先から肘、首筋を通って脳に至る。振り返り、あたりを見回し、そして、安全を確認する。とはいえ、階段あたりを照らす蛍光灯以外、辺りを照らす物はなく、三メートル先の木やすぐ下の駐輪場すらほとんど見えない。


「ここは、事故物件ではない。そうだよね」


 わたしは、自分に言い聞かせるように言葉を唱え、部屋に帰った。そう、ここは事故物件ではない。


「ンッーーーーーー!」


 というわけで、朝起きたわたしは、鏡を見た瞬間、手に持った歯ブラシを勢いよく己の膝に突き刺し、飛び出そうになった絶叫を殺した。


 ――気のせいか。気のせいだよね?


 ずきずきと痛む膝がわたしを、遅れてパニックに誘う。きっと痣になっているに違いない。しかして、その姿勢、深々とお辞儀でもするように体を屈めた状態で、わたしは少しも動かなかった。こうしていれば、鏡が見えないからだ。


 否、それ以前の問題だ。わたしは固く目を瞑っていた。だが、それでも、脳は最後に見た光景を再生する。


 ――髪の長い女がいた。


 当然、ときちゃんじゃないし、家族でもない。っていうか家族はこの家の存在を知らない。


 ――じゃあなんだったんだ、あの鏡に映った女は。


 恐る恐る目を開けて、まずは自分が膝に歯ブラシの底を刺しているままなのを確認する。足の爪先を見たまま、ゆっくりとその姿勢を解く。そして、鏡を見た。


「ンンッ!」


 思わず歯ブラシの蟀谷へ。それは、まだいた。だが、あまりにも当然、といった様子でそこにいるため、今度はまだ冷静だった。蟀谷はすごく痛いが。しかも、目までばっちり、鏡越しにあっている。幽霊と。


 ――ゾンビタイプじゃない。普通の人だ。ただ、真っ黒な髪がすごく長く、かつ羨ましいぐらい色白の女。いや、美白通り越して青いからそんなことはない。一応、歳は同じか少し年上だろうか?


 こうなっては、確かめるしかない。わたしは、振り向いて、その幽霊を、直接見ようと、体をゆっくりと回した。


 ――いない。


 とりあえずわたしはダッシュで布団の中に滑り込み、そのまま歯ブラシを抱いて二度寝した。その日の授業は休んだ。


 ただ、唯一、最後に鏡に映った彼女の口が、ゆっくり動いていたことだけ覚えている。何かを伝えたかったのだろうか。否、そんなことは関係ない。


 ――お願いだから、話さないで!


 わたしは別に怖がりではない。家族はみんな、テレビの心霊特集になると慌ててギターを鳴らし始めるわたしをみて、怖がりだと指して笑ったが、それは誤りだ。その時はたまたま、わたしがギターを弾きたくなっただけなのだ。


「なんでケイコ、ギター持ってんの?」


 次の日、ちゃんと大学に出てきたわたしへ、ときちゃんはそう言った。


「ギタリストだからだろ」わたしの声が震えて聞こえているとしたら、それはビブラートの練習である。消して恐怖からではない。


「違う違う、ケースから出して運んでんのはやばいでしょ」


 どうやらときちゃんは、ギタリストとして鍛錬に余念のないわたしを、幽霊を恐れ発狂した愚か者と断じたいらしい。微振動する指先が六弦に触れ、びいん、と短く鳴った。


「っていうかさ、ケイコ、もしかして」


 ときちゃんの視線が、わたしの後ろにとんだ。


「ダメ!」


 わたしは叫んで、ときちゃんの手を掴んだ。ぎょっとして、ときちゃんはわたしを見つめる。

 

「わかった……」


 ときちゃんは困惑を含んでそういった。


「離さないで……」


「それはこっちのセリフだわ」


 ときちゃんの手から指が離れないわたしへ、冷たい言葉が降って刺さる。そういう解釈もある、ということにしておく。


 そういうわけで、わたしの生活は一人暮らしから二人暮らしに変わった。もちろん、彼氏ができたとかそういうわけではない。わたしと、その相棒〈クレイジーサンシャイン〉との二人暮らしである。たまに家で妙な気配を感じるのも、変な物音が意図しないタイミングで聞こえるのも、犬に吼えられるのも、通りすがる人の視線が変なところに注がれるのも、後それから、バイトから帰ってくるとおいしいお料理がテーブルに並んでいるのも、たまに家がすごいきれいに掃除されていたり、洗濯物も終わっていたりするのも、冷蔵庫のチューハイがなくなっているのも、増えていることがあるのも全部、わたしがギターと一緒にいるからだ。わたしの後ろには何もいない。そうに決まっている。


〽怖くはないぜ、わたしは知ってる、お前の本性ー! 見てるぜ、見てるぜ!


「もう見てらんない」


 そんな二人の生活が二週間ほど続いたある日、学食でときちゃんと一緒にご飯を食べていると、彼女はわたしにそう言った。


「なにを?」


「鏡、見てないでしょ」


「そうかな? そうかも。毎日ギターの練習に忙しくって……」


「ちげえよばか」


 そういって、ときちゃんは学食でラーメンをすするわたしの背後に素早く回り込んだ。


「お前なにもんなんだよ」


「えっ?」


 あまりのスピードに目が追い付かず、ときちゃんが何をしたのかはわからなかった。だが、遅れて振り向いた先には、学食の床に倒れ込む女がいた。真っ黒な髪がきれいで、肌も白くて羨ましい……そんな彼女が今、頬を真っ赤に腫らして、涙目で、汚い床に転がっている。


「なに、あんた! ケイコのストーカー?」


「……はい」ときちゃんの言葉に、観念したように彼女は言った。わたしは恐怖した。本当に恐怖した。


「え。幽霊じゃないの?」わたしの間抜けな声が学食に木霊する。学食での暴力沙汰。すでに周囲の注目度はマックスだった。


「違います……わたしは、人間です。生きてます。幽霊じゃありません。ストーカーです」黒髪色白彼女は、素早く床に居直って、何故か堂々としていた。


「……うそやん」


 こうして、ときちゃんのパワータイプ除霊のおかげで、わたしは憑き物が落ちたわけである。


 ――じゃあ、この金縛りは何なんだ! なんなんだ!


 その日の晩、わたしはベッドがひたひたになるほどの寝汗とともに目が覚めた。まだ外は真っ暗。そしてなにより、体が少しも動かなかった。今度こそ本物だと、本能が告げている。やんぬるかな。


 唯一動くのは目だけ。それでゆっくりと、〈クレイジーサンシャイン〉へ助けを求めるように視線を送った。


 ぎーーーーん。

 ぎいいいいいいん。

 びいいいん。

 ぎええええん。

 ぎょーーーーーん。

 びょーーーん。


 途端、〈クレイジーサンシャイン〉の弦が一弦から順番に切れて弾けた。それが、相棒の断末魔の様だった。そして、力尽きたそれを隠すように、間に割って入る影があった。やんぬるかな、なんと、足首から下がない。


 ――本物だ。


 急に心拍数が上がる。テンポ二百はくだらない。汗もまだまだ噴き出ていく。そして、寝たまま動けないわたしに、それはゆっくりと顔を近づけた。目を閉じたかったが、瞼が言うことを聞かない。


「あああああああ」


 野太い男の声を放ち、それはわたしの目を覗き込む。ぞっとした。わたしのストーカーが幽霊ではないことを今更ながらに実感する。本物の幽霊は、確かに人の形をしているし、そこにあるものを人の顔だと脳は認識するが、本能がそれを否定する。そこには、深い穴の様な、見るものを飲み込む大きな大きな虚空がだけがあるのだ。少なくとも、わたしはそう感じた。


「あああああああ」


 そして、それは、紐の様にしなやかで、だけど枝の様な確固たる硬さを持った不思議な指をわたしの首にかける。ああ、最後に、一曲ぐらい歌いたかった。そう思った時だった。


「やっぱり、わたしがいないと出てくるんだ」


 突然声がして、部屋の電気がつく。そして、視界に割ってきた何かが幽霊の首を掴み、無理やりわたしから引き離した。


「大丈夫ですか?」


 それはわたしに訊ねた。わたしはハッとして顔を上げる。知っている声だった。見上げなくてもわかる、それは、今日の昼除霊されたはずの、わたしのストーカーさんだった。


「なんでここに」


「ファンだからです。ケイコさんの」


 彼女は平然としてそういった。


「わ、わけがわからない……」


 わたしは混乱で髪をかき乱しながらベッドから起き上がる。そういえば体が動いた。


「わからないのはケイコさんです。墓場の傍なんて住むもんじゃないです。やばいに決まってるじゃないですか」ストーカーさんは肩をすくめる。


「いや、あんたの方がやばいって!」


 思わずわたしはそう口走った。どっから入ってきたのか、っていうかそもそも、こいつは二週間ほどわたしの背後霊のふりをして生活を共にするという正気の沙汰とは思えない行動をした張本人だ。こいつほどやばい奴は早々いない。


「わたしを背後霊だと思い込んで二週間も一緒に過ごす方がやばいですよ」


「まともなこと言うのやめろよ!」


 頭がおかしくなりそうだった。


「出ていけ! 警察呼ぶぞ!」


 そして、とにかく目の前のやばいものへそう叫んだ。すると、彼女は残念そうに俯いた。


「ケイコさんが望むならそうしますが……これはどうしますか? 幽霊、怖いんですよね?」


 彼女は、自分の右手に持つ、よく見たらまだいる幽霊を指さした。虚空の幽霊は彼女の手の中でぐったりとして、くしゃくしゃのビニール袋の様だった。やや不満そうなストーカーさんは、そっと小指から順に、指を解いていく。その瞬間、今度こそ血の気が引いた。


「はなさないで!!」


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