水の記憶

緋雪

記憶の上書き

 ここは、どこだ?

 水の中?

 うわぁっ!! 


 ゴボッゴボゴボゴボッ……



「夏目さん?」

 呼ばれて、ハッと気付く。

「どうかしました? 今、苦しそうな顔をしてましたけど」

 女子社員が、俺の様子がおかしいので、見に来てくれたらしい。

「い、いや、大丈夫。 何でもないよ」

 笑って返した。


 白昼夢? 疲れてるのかな、俺?

 しかし、いきなり溺れてる夢とか、PCで企画書作成中に見るもんかね。それは、不思議な感覚だった。

「ちょっとコーヒー行ってくる」

 隣の席の社員に言って、休憩室にコーヒーを飲みに行く。

 大きな窓から見えるのは青空。けれど、俺が生まれ育った北海道とは空の色も広さも違う。俺は、うーんと伸びをした。

「さて、やりますか」

 顔を両掌でパンパンと叩いて、席に戻った。



 …………

りょうさん。!! これにつかまって!!」

 目の前に、お佳代かよが出した竿が見えた。が、捕まることができない。

「流れが……速……うぉっ……」

「良さんだけでも!!」

 馬鹿な! こいつを助けに飛び込んだんだぞ! 離してなるものか。

 俺の腕の中には、ガキが一人抱かれている。さっきまで暴れていたが、段々ぐったりしてきた。早くおかに上げてやらないと、こいつの命が危ない。


 と、その時、偶然川に垂れていた木の枝を掴んだ。

「よし!」

 泣きながら走ってくる、お佳代に、ガキを渡した。

 自分もそのまま陸へあがろうとして、掴んでいた木の枝から手をはなすと、瞬間、ふらついて、また川に落ちてしまったのだ。

「良さん!!」

 お佳代の悲痛な叫び声が遠くなる。急流の中、俺は藻掻いたが、そのうち何もわからなくなった。

 …………



 ガバッと起き上がる。

「……夢か。随分とリアルな夢だったな」

 夢の中で名前なんか、はっきり覚えているというのは、珍しいことだ。そこは、まるで覚えがないが、不思議なことに、溺死した感覚だけは覚えていた。


 北海道で育ったので、水泳の授業以外で泳ぐこともなく(いや、泳いでたやつはいたけれど)、海や河に水遊びに行ったこともない。自慢ではないが、水泳は殆どできない。所謂「カナヅチ」だ。

「流れの速い川なんかに入ったら、溺れるわなあ」

 他人事(?)なのに、自分を重ねた。




 社員旅行で高知に行った。


 新鮮な魚を食べ(カツオのタタキは最高に旨かった)、地酒を飲み、若手社員の出し物(無理強いはしてないぞ)に大きな声援と拍手を送ったり。

 散々騒いだ翌日、若手社員が企画した「川下り」という緩やかなネーミングの、ラフティングが待っていた。


「罰ゲームだろ」

 同期のつつみに嘆く。

「酒残ってる上司を船酔いさせる作戦か?」

 堤は笑って言う。

「俺、自慢じゃないけどカナヅチなんだよ」

「まあ、救命胴衣つけてるから、落ちたらそのまま浮いてろよ。スタッフが回収してくれるさ」


 俺は渋々ボートに乗った。


 ボートに乗る前、俺が泳げないことをスタッフに告げると、インストラクターが一人乗りますので、大丈夫ですよ、と言われた。

 ボートに乗って驚く。インストラクターは女性。

浜田はまだ香代子かよこと申します。よろしくお願いします。」

 浜田さんとやら。そんな細腕で、俺を守れるのか? ガタイ80kg超えだぞ、俺。


 そんな俺の心配をよそに、ボートは動き始めた。

 

 思った以上に流れが速い。オールで漕ごうとするが、漕いでいいのかどうかもわからない。

「わあ〜〜!!」

「きゃあ!!」

 社員たちの悲鳴が入り交じる中、恐怖で声も出ない俺。


「この先、急流があります!! 皆さん、しっかり!!」

 インストラクターの浜田さんが叫ぶように言った。


 急流…………


 ゆるやかに落ちていく自分の体。


 次の瞬間、思い出した。

 そうだ、俺は、こうやって、急流に落ちて死んだんだった。



 お佳代をつれて、川釣りをしていた時だ。溺れている子供を助けに川に飛び込んだ。まではよかったが、子供が思った以上に暴れて、俺の体力を奪っていく。お佳代の差し出した竿は俺には届かなかった。が、俺は偶然川に垂れていた枝を掴んだ……。子供は助けることができた。よかった。木の枝から手をはなすと、気が緩んだのか、ふらついて、俺は、また川に落ちたのだ。もう川の急な流れに逆らう体力は残っていなかった。

「良さん!!」

 最期に聞いたのは、泣き叫ぶお佳代の声だった。

 

 そうか。死ぬのか、俺。




「つかまってくださ〜い」


 いつの間にか、川の流れは緩やかになり、ぷかぷか浮いている俺の前に、オールが差し出されていた。


「あ……ああ、どうも」

 死ぬも何も、俺、救命胴衣を着ていた。ちょっと恥ずかしく、情けなく笑いながら、彼女が差し出したオールを掴む。



「今度は、はなさないでくださいね、りょうさん。」

 インストラクターの女性は笑って言った。

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水の記憶 緋雪 @hiyuki0714

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