はなさないで

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

 幸せな夢を見ているのだと、最初から分かっていた。


ラン!」


 弾けるような声にゆるりと目を開く。おぼろげに霞む視界の中心で、貴方は響く声よりも溌溂はつらつと笑っていた。


「ほら、行くぞ、蘭!」


 差し出された手も、記憶にあるものと寸分の違いもなくて。あの時、離してしまった手のままで。


 ……今、この手を再び取れたならば。


 貴方あなたは、今度こそ最後まで、この手を離さずにいてくれるのですか?


 繋いだ手を離さないまま。離別の未来を話さないまま。


 今度こそ最期の最後のその瞬間まで、私と一緒にいてくださいますか。


 願っても、そんな未来はもう来ない。夢の外の世界では、この手はもう、こんな風に差し伸べられることはないのだから。


 そう分かっても、私は差し出される手にあらかすべを知らない。いつだって気付いた時には、私は泣き笑いのような笑みとともに、差し出された手に己の手を伸ばしていて……




 ……そしていつだって、その手に触れる直前に、目が覚める。




「……っ!」


 ヒュッと己の喉が息を吸い込んだ音で目が覚めた。


 冷え切った、カビ臭い空気。夢の中に満ちていた温かくて柔らかな空気との落差に、今日も私は現実を突き付けられる。


 慌てて床から体を起こして寝台を覗き込めば、夢の中に現れた人が、冷たいまま横たわっていた。無意識にその手を握りしめてみても、手を握り返してもらえることは、やはりなくて。


「っ……」


 分かっていたはずなのに、その現実に今日も、打ちのめされる。


 この御方は、国と民の危機を前に、己の命を投げ出してしまった。私はそれを、止めることができなかった。


 あの時。 


 手を離さないでと、言えば良かった。


 自己犠牲が前提の未来を話さないでと、言えば良かった。


 そんな後悔を抱えて、一体どれほどの月日が過ぎたというのだろうか。


「……あと少しですからね、コウ


 呟く己の声が、どこか遠く聞こえた。


「必ず、私が……」


 続く言葉は自分の耳にさえ届くことなく、冷え切った空気の中に消えていった。

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はなさないで 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki

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