純愛とささくれ
桃福 もも
一話完結 1400字の純愛
それは1つの、こんな電話から始まった。
「あの 篠崎良子さんのお電話で間違いないでしょうか?」
「はい」
「僕は、野田洋一の息子で司と申します」
◆ ◆ ◆
私は、今日この喫茶店で、彼の息子である司さんを待っている。
『野田洋一 』
その名を聞いた瞬間、私の心に何とも言えない、哀しみにも似た切ない気持ちが広がった。
過去に繋がったロープに引き戻されるように、その日の出来事が思い出されるのだ。
まだ若かった私は、1人の既婚男性に恋をしていた。
それはもちろん、許されない恋。
恨まれ、咎められるような恋。
会うこともままならない、苦しい恋だった。
月に1回会えるかどうかもわからない日々。
やっと会えるその日にも、子供が熱を出したと言っては、当たり前にキャンセルされる。
それでも彼を愛していた。
だから会えた時は、本当に嬉しくて、待ち合わせの場所に、遠く彼の姿が見えただけで、胸は張り裂けそうに愛おしかった。
背の高い彼の姿は、遠くからでもすぐに分かった。
左利きの彼は、決まって左手を上げて、大きく手を振ったものだ。 腕時計がキラッと光る。
彼のその姿が、今も目の奥に焼き付いて離れない。 何年何十年経った今も。
ささくれのように繰り返し、 小さな痛みを呼び覚ます。
彼の息子さんからの連絡は、彼が亡くなったことを知らせるものだった。
遺品を渡したいと言うのだ。
◆ ◆ ◆
ほどなく 司さんがやってきた。彼に似た長身の男性である。
私には、入ってきた男性が彼の息子なんだとすぐにわかった。
席を立ち上がってその男性に一礼をする。
「篠崎良子さんですか?」
「はい」
彼は、突然の電話を詫び、出向いてきてくれたことの礼を言うと、私の前に腰を下ろした。
「父は、丁度僕が大学2年の年に、母と離婚しました。以来会ってなかったんですが、事故で亡くなったということで、遺体を引き取ることになったんです。遺品の整理をするために、アパートにも行きました。今流行りの、ミニマリストというわけではなかったと思うんです。そんな主義主張のある人ではありませんでしたから。でも、丁度、本当にそんな感じの部屋でした。だから余計に、綺麗な紙袋が目立ちまして、どうしてもほっておけなくて。中に、あなたへの手紙とプレゼントが入っていました」
『離婚していたなんて』
「父があなたに連絡しなかったのは、何か大きな理由があるとは思ったのです。だから僕が、連絡を差し上げてはいけなかったのかもしれません。でも、どうしても気になって。生活の必需品以外何もない父の部屋に、渡せなかったプレゼントと、手紙らしきものが、何年も大切そうに残されていたことが」
彼と同じ 左利きなのだろう。 紙袋を左手で取り出すと、彼は私の前に置いた。
「開けてみてもよろしいですか?」
「もちろんです。」
良子は、中から手紙を取り出すと、開いて見た。
『僕は純愛だと思っている』
良子は、静かに微笑むと、中から新書の本のような形をした、美しい包装紙に包まれるそのプレゼントらしきものを取り出した。
包装紙を外すと、それは額に入った1枚の絵だった。
私には忘れられない。懐かしい、待ち合わせの場所。当時お気に入りのコートを着た私が、小さく手を振っている。
私は、こみ上げるものを抑えきれず、その場で涙を流していた。
あの人もまた、ささくれのような思いを抱えて生きていたのだ。
私と同じように。
純愛とささくれ 桃福 もも @momochoba
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