ウチには天使がいますので

藤咲 沙久

我が家の天使

 心がささくれ立つ、なんて表現がある。今の私だ。もう各方面から立ち放題だ。実際の指じゃなくて良かった。言うてる場合か。

(日向ひなた君のこと、馬鹿にして……っ)

 女性の園となっている総務部ではなく営業部、それもメインの一課に私は所属している。紅一点にしてエースを冠する活躍ぶりだ。それが近寄りがたさになるのか、普段あまり他の女性社員と親しくなれていない気がする。

 それが珍しく、今日は総務部園の花たち二人から外ランチに誘われたのだ。ただどうにも、好意的なものではなかったらしい。

峰岸みねぎしさんってぇ、ご主人が……主夫? されてるってホントなんですかぁ?」

 揚げ茄子を頬張った瞬間に聞かれたので、回答するのに時間を要した。ここのボロネーゼはとても美味しい。

「そう……ですけど」

「やだマジだったんだ~! 変わってますよね~。いくら峰岸さんがバリキャリだからって、共働きの時代なのにご主人働かないって!」

「なにか深い事情でもあるんですかぁ?」

 ニヤニヤと好奇の目が遠慮なく向けられる。確かによく言われる言葉ではあった。何度も乗り越えてきた場面のはずだった。だけど、だけど。エースと呼ばれる私にも、コンディションというものがある。

 ──通勤中にヒールが折れたり、先方の勘違いで打ち合わせのリスケさせられたり、朝から部長のセクハラ発言に耐えたり、目離した隙に後輩がゼロひとつ書き間違えた見積書提出しちゃったり、そんな午前中を過ごした後に社内の人間身内相手に神対応するほど、私も強くない。

「……それがウチの方針ですけど、何かっ!!」

 強く机に手をついて立ち上がり、千円札二枚を置いてサッサと席を後にした。ちょっと払い過ぎたし、残り少しだったボロネーゼはもったいなかった。

 あと、大人げなかった。それも悔しい。

(今夜は、憂さ晴らししないと帰れない……)

 我が家で待つ日向君に遅くなる連絡を入れて、私はとぼとぼと社屋へ戻った。




 結婚して以来、いつもまっすぐ帰っていたので、いざ寄り道をしようにもすぐには思いつかなかった。

 本屋に行ってみた。仕事関連の棚ばかり見てしまって気が休まらなかった。

 ゲームセンターに行ってみた。景品はどれも知らないキャラクターだった。

 甘味処に……行こうとしたが、日向君が夕飯を作ってくれてるので止めた。

 自分は今までどうやってイライラを静めてきたのかわからなくなりながら、結局家に帰るしかなかった。日向君に八つ当たりしてしまったらどうしようという不安を抱えつつ鍵を開ける。

「ただいま……」

「あ、おかえりなさい美奈さん! 残業大変だったね、今日もお疲れさま」

 ふわり、と。本当に穏やかで嬉しそうな微笑みで日向君は出迎えてくれた。眼鏡越しでも伝わってくる愛おしげな視線。

 天使だ。身長も身体も大きくてカレーの匂いを纏ってる、我が家の天使。

「……日向君好きだ~!!」

「あはは、僕も美奈さん好きだよ。今夜はカレーだよ、たくさん食べれる?」

「食べる!!」

 どうやって静めてきたか、なんて愚問だった。家に帰ればそれで良かったんだ。日向君が私の何よりの癒しで、ささくれた心を潤してくれる存在なんだから。

 自他共に認めるバリキャリで、でも家事が壊滅的に出来ない私。家事なら何をやらせてもプロ級で、でも会社という組織に馴染めない日向君。これは、お互いのためになる選択だったのだ。

「いつもはちゃんと説明出来るのに……なんかムカついちゃってごめんね……明日やり直してくる……」

 スプーンをもりもり進めながら今日の出来事を話すと、日向君は可笑しそうに笑った。

「そういう人はどう伝えても悪く取りたがるし、気にしなくていいと思うけどなぁ」

「でも悔しい、日向君の良さをプレゼン出来なかった、営業エースとして悔しい」

 そして美味しい。日向君のこだわりカレーは本当に美味しい。昼間完食し損ねたボロネーゼの借りは返せた気さえした。

「あはは。それなら……明日お弁当持っていかない? いつもは食べれないこともあるからって作らせてくれないけど、明日だけ。社員食堂でランチならお弁当でもいけるでしょう?」

「うん……? うん、そうね」

 笑顔を浮かべる日向君は怒ってるように見えない。いやたぶん、怒ってはない。ただ「君が悔しいと言うのなら」くらいの台詞が聞こえてきそうで、ウチの天使が何か企んでいることだけは何となくわかった。

「まあ、営業トークのきっかけにでもしてよ」

 それでも私の癒しには違いないので、大丈夫だろうと安心しきってカレーをおかわりした。


 翌日、総務二人組が特製弁当に目をむくこととなるのは、また別の話。



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ウチには天使がいますので 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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