ささく連座

鶴川始

指先を見ても記憶に憧れる人それぞれの笑うかなしみ

 部室の黒板には少しいびつな字で「今日の句題『ささくれ』」と書かれていた。書いたのは短歌俳句部の顧問の井村いむら先生だ。短歌俳句部の顧問なのに悪筆なのってどうなんだろうと思わなくもなかったり。


 ウチの高校には文芸部とは別に短歌俳句部という部活動がある。その名の通り、毎日一句詠んだり、一句以上詠んだりする部活動だ。厳しい部活ではないがそこそこ真面目にコンクールに作品を提出することを求められている。とはいえ夏休みに入ったのでいつもより部員の出席率は低い。


 それにしても――『ささくれ』かぁ。指先に出来るささくれとか、心がささくれるとか、そういうのをとっかかりにして句の情景を広げていく――のだろうけれど、前者は限定的すぎるし後者は広すぎる。私にはどうにも方向性が掴めない。


 うんうんと苦吟しているところ、ふと部室の前の方の席を見ると緒方先輩が自分の手の指先を見つめていた。


 緒方おがた千波ちなみ先輩。二年生。

 学校一の美少女――というのはあまりにも月並みな表現ではあるけれど、しかし実際のところ正鵠な評価だと思う。無論、私は全校生徒の顔を覚えているわけではないし、美醜の判断は主観に過ぎないというのは当然とした上で――それでも学校一の美少女だと思う。


 長い黒髪に白い肌。和風美人として完成されているビジュアルは近寄りがたさや親しみにくさを覚えてしまうけれど――同じ女性の私としても嫉妬などの悪感情すら抱けないほどの美しさがあった。

 そんな緒方先輩が――どこか物憂げな表情を湛えながら自分の指先を見ている。自分の指を見てささくれについて考えているのだろうか。ちくしょう、なにをさせても絵になる先輩だな。


 不意に緒方先輩と目が合った。

 流石にじろじろと見過ぎていたか。不快に思われたかもしれない。

 緒方先輩と私の間にはあまり接点がなかった。同じ短歌俳句部の先輩後輩であるけれども、入部してからの四ヶ月、あまり話す機会はなかった。事務的な会話はあったけれど、部活動の最中はあまり雑談出来るような雰囲気ではなかったし、部活が終わると緒方先輩は同学年の友達と一緒にさっさと帰ってしまう。


真田さなだァ、なんかいいの出来た?」


 私と目が合った緒方先輩は柔和な笑みを浮かべてそう訊ねてきた。

 怪訝な顔でもされないかと構えていた私は反応が一瞬遅れ、


「――いえ、苦労してるところであります」


「なにその口調。運動部みたい」


 矢鱈と親しげに緒方先輩は返してきた。意外。


「先輩はなんかいいの詠めましたか」


「全然。ささくれってお題ムズくね?」


「そ、そですね」


 今まで抱いていたイメージとは違う砕けた口調。普段の部活の時はもっと硬く丁寧な喋り方をするのだけど、普段はこんな感じなんだ。


「こういうのって自分のエピソードとかと搦めて考えるといいと聞きますけれど……先輩はさっきなにか思い出してたんですか? 指先をじっと見つめてましたが」


「んー? まあ、ちょっとね。ささくれって句題見て色々と思い出してさ」


 そう言うと緒方先輩は再び指先を見て遠くを見るような目をした。

 こんな和風美人が語るささくれに関する思い出……絶対綺麗じゃん……。

 私は内心の若干の興奮を自覚しながら、緒方先輩の話に耳を傾けた。




 私さぁ、中学の時は剣道部だったんだよね。

 俳句? ウチの中学にはこういう部活なかったし。てかどこの中学もあんまこういう部活なくね? 知らないだけかもだけど。


 でさぁ、ささくれって出来るの人間の指とかだけじゃないじゃん。植物とか……ていうか竹か。竹刀だな。剣道で使う竹刀。あれで硬い防具とかビシバシ叩くわけじゃん。だから暫く使ってると竹刀にもささくれが出来るんだよね。


 ああいうささくれって放置したまま剣道やるのめっちゃ危険なんだよね。ささくれが面の隙間に入って割れて、割れた竹が目とか首とか傷付けて大怪我の原因になるんだよ。実際には見たことないよ。でも先生とかからささくれの修繕しろって口酸っぱくいわれるからさ。


 で……ささくれのできた竹刀って、なんかこう専用のヤスリみたいなので削ったりして直すんだけど……マメに修繕しながら使ってても結構なペースで修繕不能なところまで消耗するんだよね。そういう竹刀でも竹を全とっかえはしない。普通の竹刀は竹が四本一組だからさ、その消耗しまくった竹だけ交換すれば他の三本はそのまま使えるの。竹の組み合わせの相性とかもあるから全部が全部交換可能ってわけでもないけど、まあそういうことができるわけ。


 そんで剣道部だからさ、そういうもう使えなくなった竹刀の竹がめっちゃ出るのね。そういうのは試合や稽古じゃ使えないから捨てるしかないんだけど……そこで私は閃いたね。この駄目になった竹だけを集めて竹刀を作って、剣道部じゃない男子に安く売れるんじゃね? と。


男子って棒的なもの好きじゃん。いつのまにか木刀買ってたり、登山とか遠足とかでなんかいい感じの木の棒見つけたり。竹刀って普通のだと三千円するかしないかってあたりだけど、中学生が遊びのためだけに買うのはちょっと重い金額でしょ。そこを端材集めて安く売ったら需要があると見たんだよね。


 実際売れたよー、やっぱ剣道やってなくても潜在的な需要があったね。そもそも竹刀って武道具店とかくらいしか取り扱ってなくてホームセンターとかスポーツ用品店じゃあんま見かけないから、欲しくても手に入らないだろうし。ネットとかでも買えるだろうけど、中学生くらいだと親の許可ないと買えない家が大半じゃない?


 売るときはちゃんと「剣道の稽古にも使えない」「ささくれが危険」「素振りとかで筋トレ用」って言って売ったよ。ささくれがあってもなくても喧嘩とかには使っちゃダメだしね。他所の学校からも買いに来るやつ居たし。意外なところで需要があったのは演劇部かな。殺陣の練習や小道具に使うんだってさ。あとは応援団の団員とかも買ってったかな。自分の学校に剣道部がなくて剣道部から回してもらうルートがなかったから手に入れづらかったとか。私に買いに来るくらいなら直接武道具店に買いに行けばいいと思ったけどね。


 うん。まあ。

 最終的には先生にバレて超怒られたけどね。

 怪我人が出たとかじゃないけど、チャンバラやってた男子が学校の窓割っちゃってそっから芋づる的に私も怒られた。売上金も竹刀ごと全部没収されたし。あれ絶対問題だよなあって今でも思うもん。


 だからささくれって聞いて竹刀のこと思い出して物思いに耽っちゃった。




「……………………」


 話を聞いた私はきっと名状し難い表情をしていたことだろう。

 なんか、勝手に抱いていた先輩のイメージと、違いすぎて……。


 不意に部室の扉が開き、緒方先輩とよく一緒に居る春村先輩が入ってきた。緒方先輩は「うーす」とぞんざいな挨拶をする。


「千波ィ、折角顔いいんだからそういう蓮っ葉な挨拶やめなって。迂闊に口開くとマックのドライブスルーにチャリで行こうとするタイプの馬鹿だってバレるんだから」


「えっ、みんな一回は試してみるでしょ、チャリでドライブスルーできるか……みんなしないの!?」


「よし、もう喋るなお前」


「……………………」


 なんだろう、この気持ち……。

 これが心がささくれるっていうやつだろうか……。




ささくれと一緒に春の残像を捨ててねじれた星明りのよう


指先を見ても記憶に憧れる人それぞれの笑うかなしみ


朝焼けを見守る銀のささくれは想像力のカーブの如く


さかむけは見たくない午後 痩せこけた虚像という名の姫君の顔




「いい感じの句を詠むねぇ、真田。なんかの実体験?」


「……まあ、そんなところですよ、緒方先輩」

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