『いたいのいたいの とんでいけー!』

DITinoue(上楽竜文)

『いたいのいたいの とんでいけー!』

 今日で、中濱口町には三度目の販売になるが、歓迎ムードは日に日に上がっていくように感じる。

 濱田町長のきっての本好きのせいだろうか、あるいは、あまりに何も無さすぎるからなのだろうか……。

「和花、ちょっと出てこい」

「へ?」

 雄星に呼ばれることはあまり多くないため、和花は何事かと肩を躍らせながら栞を本に挟んでバンを降りる。

「おぉ、青木さん。お久しぶりですね。毎度毎度ありがとうございますね本当にね。ね、ほらほら、そのね、まあいかがですか? 売れ行きは」

 待ち構えていたのは、猫背で握手を求めてくる髪の薄くなった町長その人だった。

「えっ、町長、公務では……?」

「これも公務の内ですからね。いかがですかね? 売れ行き。我が中濱口町民はどのくらい本を求めてやってきておりますか?」

「……そうですね、今日は……」

 雄星が言葉を濁すので、和花はふと後ろを振り返った。

 本がぎっしり詰められた棚が、ぽつんと置いてあった。

「見ての通り、ですかね」

「……あぁ、うぅん、んあぁ、まあ、あまりよろしくないのでしょうかな。まあ、まだ朝っぱら、始まったばかり。じきに客も増えていくことでしょう。引き続きよろしくお願いしますね」

 あっ、大森さん、ほっぺにささくれ出来ていますよ、と高めのひょうきんな声で言い残して、へこへこしながらバンから去っていく。

 少し鼻白んだような表情で、町長は停めていた車に乗って、深い会釈をしてから車を勢いよく発進させた。

 ――いや、買ってってくれたらよかったのに。




 小説三冊を読み終えて、和花はふぅっ、と息を吐いて姿勢を正した。

 時計を確認すると十二時になっていたことを見ると、ギョッとした表情をした。

 町長が来てからここまで、のんびりと物語に入り浸れるほどに客足が無かったのか。

 ――ヤバいんじゃないですか?

 外でバンの車体を磨いていた雄星に目を合わせる。

 店主は、困ったように口をへの字に曲げた。

 



 一時になった。昼時のピークは過ぎて、ここから売り上げないといけない。

「ねーね」

 ぼんやりと、改造した大きな窓のカウンターから頬杖をついて外を見ていると、下の方から可愛らしい声がした。

「えっ?」

 半分眠りかけていた脳が覚醒し、カウンターから身を乗り出す。

「これくだしゃい!」

 いたのは、二、三歳ほどの小さな子供だった。

 ――やっと、お客さんが。

 遠くの方で親が見守るのが目について、和花は車を降りて子供の前にしゃがんだ。

「これ、くだしゃい!」

 元気よく喋る男の子の手に収まっていたのは、一冊の絵本だった。

 ――ん?

「この本?」

「うん!」


『いたいのいたいの とんでいけー!』


 見たことのない絵本だった。

「ちょっと待ってね……雄星さーん!」

「なんだ?」

「『いたいのいたいの とんでいけー!』っていう絵本、在庫にあります?」

 車の奥で作業しているので、姿は一切見えないが、キーボードを叩く音は聞こえる。

「無いな」

「えぇ?」

 チェックし忘れていたのだろうか。いや、そんな。ひとまず、在庫に無い本は渡すわけにはいかない。

「ごめんね、ちょっとこれはあげられないかな……」

 いかにも申し訳なさそうな顔で、申し訳なさそうな口調で言ったが、純粋な子供の心を蝕むにはそんなことは関係なかった。

「やだ、僕この本がいーいー! マーマー!」


 慌てて母親が駆けつけてきたが結局泣き止まず、最終的に折れたのは和花だった。

 書き込みなどが無いことを確認してから、その本の定価の五パーセント引きで、本を渡した。

 ――何が何だか。

 またバンに乗り込み、パンダのクッションに抱き着いて、あの本はどこにあったのかをじっと考えていた。

「あの、この本下さい!」

 と、すぐにまた可愛らしい声がした。

「はーい」

 車を降りる。少女が差し出してきたのは、またも見たことのない表紙の絵本だった。




 それから数件同じことが続いた。

「おい、なんか変なもの置かれてるぞ!」

 と雄星の怒声が聞こえたのは二時半ごろ。

 その頃には、五冊の絵本の売り上げを出していた。

 車を降りて、雄星の声がする反対側へ回ってみると、そこには簡単な机に、ブレーメンの音楽隊の図柄の箱に入れられた大量の絵本があった。




 どうにも出来ず、その段ボール箱ごと車の中に入れて、持ち主が来るのを待っていた。

 本を一冊一冊検品したが、特に持ち主が特定できそうな書き込みは何もない。まるで売られることを見越して置いたように、新品の綺麗なものばかりだった。


「あの! 移動書店・BOOK MARKさんですよね?!」


 全ての本を検品し終え、段ボール箱に直していると外から呼び声がした。

「そうですけど……」

 相手に絶対に聞こえない小さな声でカウンターの方を向くと、茶髪でロング、キリリとした目つきの女性が仁王立ちしていた。

「……え、失礼ですが、あなたは?」

「ハマダリク、二十二歳です。ここに就職しに来ました」

 メモ帳に「濱田陸玖」と書いて、警察手帳を見せるようにこちらに見せつけてくる。

「……あの、ここで働きたいとは……? うちは別に、新卒採用は受け付けていませんが」

「ここじゃなきゃダメなんです!」

 金切り声が響き、ヘッドフォンをして事務作業をしていた雄星が、何事かと顔をしかめてこちらを覗いた。

「えっ誰」

「あ、店主さんですよね。私、二十二歳の濱田陸玖と言います。ここに就職させていただきに来ました」

「え、いや、うちでは……」


「私は、絵本を推薦するサークルに入っていました。部員は私ともう一人だけです」


 いきなり熱っぽく語りだす彼女に、雄星も何か話そうとした口を閉ざさるを得なかった。

「絵本は素晴らしいものです。子供に大切なことを伝えるツールですが、大切なことを何も分かっていない大人に、初心に振り返って一番大事なことを伝えるツールでもあるんです」

 ――なんだ、こいつ。

 明らかに不快そうな顔で、和花は陸玖の話を聞いていた。

「そんな絵本を世の中に広めたいと思いました。ですが、普通の書店ではダメ、図書館でも私が求める仕事とは違っていました。安定はいらない、転んで転んで、それでも痛みをぶっ飛ばして立ち直る。そんな感じのことがしたかった。そんな中、出会ったのが父が紹介してくれたBOOK MARKでした」

「ちょ、ちょ待ってくれ。失礼だけど、君の父親は?」

「中濱口町の町長です」

「……やっぱりか」

 ガクリと、雄星は肩を落とした。

「どうにかして、お引き取り願えないかな?」

「いや、ダメです。私の決心は揺らぎません。今その素敵なバンの中にある段ボール箱に入った絵本は、みんな私が持ってきたものです。それ、全部寄贈するので、どうか、お願いします!」

「まあ、美味しい話ではあるんだけど……」

「じゃあ!」

 車の中に身を突っ込ませてくる陸玖を見て、雄星は目を揺らしながら和花の方をちらりと見た。

 ――いや、そんなこと言われても、追い出すしかないでしょ。もう一人女子が入ってくるなんてもっぱらごめん。

「美味しいだし巻きも毎日作りますよ」

「なっ」

 雄星はバッと陸玖の方を見つめた。

「……本当?」

「はい!」


「……分かった、一緒に頑張ろう」


「えっ?」

「ありがとうございます!」

 言ってしまってから、渋い表情をしている雄星に抱き着かんばかりの勢いで、陸玖はバンのドアを開けた。

「えっ、ちょ勝手に」

「もう私は店員なので、入らせていただきます」

 ほぼ半分を占めるたくさんの段ボール箱があるバンに、また一人人間が増えるのだから、一気に車内はむさ苦しくなった。

「あっ、雄星店長、ささくれ出来てますよ。ちょっと血も出てますね……痛いの痛いの飛んでいけー!」

 そう言って、陸玖はティッシュを取り出して、雄星の頬のささくれに押し当て始めた。

 ――あいつ。

 和花は、拳を固く握った。汗ばむ手の中に、爪が食い込む。

 ギリ

 歯を食いしばって、胸を一度叩いた。


 ――絶対、あいつには負けられない。この店の副店長は私なんだから。


 雄星は、どこを見たらいいのか分からないという風に目を泳がせ、頭を抱えて天を仰いでいた。

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『いたいのいたいの とんでいけー!』 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

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