3.矢島店長の機嫌が気になる飯島


「晴れたじゃないですかーっ!」


「おー、快晴になったな。昼過ぎから雲が晴れるって、天気予報どおりだ」


 朝はあんなに雨が降っていたのに、午後一時過ぎ頃には雲が見当たらなくなり、それに伴ってお客さんも多くなってきている。


「今日ならお客さん少ないと思ってたのに……だから女子の制服着るって言ったのに……」


「天気予報くらい、自分でしっかりチェックしとけっての。ほら、あそこのテーブル、呼ばれてるぞ」


 矢島店長が示す方のテーブルを見ると「すみませーん」と言っている女性客が目に入った。「はい」と言いながら小走りでテーブルまで行くと、女性が人懐こく話しかけてくる。


「かわいい制服ですね。ここ、女性のバイトは採用しないんですか?」


「あ、いえ、そういうわけでは、ない、はずですが……」


「私、ここでバイトしちゃおうかなって思って。そういう服、好みなんです」


 大学生になったばかりというくらいの、小柄なかわいい女性だ。しゃべり方がはきはきしていて接客に向いていそうだし、矢島店長は気に入るかもしれない。


「え、っと、ちょっと聞いてきますので、お待ちいただけますか?」


「はーい」


 女性客の軽やかな返事を聞いてから厨房に戻り、何か指示を出していた矢島店長を捕まえて彼女が話していたことを伝えると、「『今は募集していない』とか何とか言って断れ」と言う。


「何でですか? 夢とロマンが詰まった制服を毎回着てくれるんですよ?」


「いらないっつってんだろ。すぐにやめられても困る」


「んー、でも何か、メンタル強そうな女の子で……」


「いいから、断ってこい」


 ぎろりとこちらを睨む目が怖い。矢島店長は背が高いから、僕は見下ろされることになる。怖い。


「は、はい。……すみません、よけいなこと言って……」


 しゅんとして謝ると、先ほど話しかけてきた女性客の元へと急いだ。彼女は断られて残念そうにしていたが、「ここの店長さん格好いいから、その制服着て一緒に働けたら、なんて思ってたんです。変なこと言ってごめんなさい」と明るく言ってくれた。いい人でよかったと、僕は胸をなでおろす。


 それからは、矢島店長の機嫌が少し悪くなってしまった。せっかく僕の女子の制服とお客さんの大入りで機嫌が良かったのに。他のバイト仲間はあまり気にしていないみたいだけど、僕は気になる。接客業だから当たり前とわかってはいても、お客さんにだけは愛想が良いなんてずるいと思ってしまう。こうなったらもう、僕が男子の制服に着替えてもいいのではないだろうか。


「……店長、あの……」


 僕はお客さんが少なくなり始めた頃を狙って、矢島店長に話しかけてみた。


「何だ?」


「もう、元の制服に戻していいですよね……?」


「何でだよ、今日は女子の制服着るって言ってただろ。評判いいんだから、それにしとけ」


 やはり僕は見下ろされ、睨まれてしまった。


「……わかりました」


 思ったより低い声が出て、自分でびっくりする。何でだかぎゅっと胸がつかまれたみたいに痛いせいかもしれない。


 僕は得体のしれない小さな悲しみを抱えながら、閉店作業が終わるまでホールの仕事をした。


「飯島、今日も何か作ってやるから」


 店の片付けも終わり、他のバイト仲間は僕以外もう帰ってしまった。制服を脱いで普段着のTシャツ姿になった僕に、矢島店長が偉そうに座る椅子から、偉そうに話しかけてくる。


「……え?」


「まかないだよ。何がいいんだ?」


「今日はいりません」


「いらないのか?」


「はい。もう帰ります。お先に失礼します」


 うつむき気味にとぼとぼと歩いてバックルームから外へ続く扉を開けようとすると、矢島店長が「ちょっと待てって」と言って僕を引き止めた。


「何ですか?」


「ええと、あのな、おまえの元の制服……もう乾いてるんだが……」


「あ、そうだ、忘れてた。洗濯機回してくれたんですよね。ありがとうございました」


 もごもごと言いにくそうにしている矢島店長に、扉のノブに手をかけたまま礼を言う。どうして言いにくそうにしているのかは、考えるのを頭が拒否している。


「捨ててもいいか?」


「言うと思った! 何でですか!」


 そう、何となく、そう言われるかなと思っていたんだ。だから思考停止してしまっていたんだ。


「女子の制服の方がかわいいし、俺が見たいから」


「だーかーらー、俺が見たいとか知りませんって!」


「そんなに嫌なのか。なら、他のバイトでもっと似合いそうなやついるか?」


「他の……」


 僕の頭が思考を再開した。しかも高速回転で。今なら数学の難問も解けそうだ。他のバイト仲間に押し付けられれば……!


「…………」


「いるか?」


「……いません……」


 本当に、いなかった。たった十秒で脳内スキャンを何度も繰り返したが、いなかった。あいつは体がデカいから全体的に無理、あいつは首が太いからブラウスが無理、あいつは足が太いからニーソが無理…………というように、頭の中で駄目出ししかできなかったのだ。敗北とはこういうことを言うのか。


「だろ? だから、おまえがいいんだよ」


「おまえが、ですか? おまえで、じゃなくて?」


「おまえが」


「……でも店長、僕が女子の制服着てても機嫌が悪くなるじゃないですか……」


 言いながら、何でだか泣きそうになった。うっすら涙声になっている自分が気持ち悪い。


「機嫌? ああ、いや……機嫌というか……その、おまえが女子を入れようとしてたからなんだが……」


「別に僕が入れようとしたわけじゃなくて、頼まれただけなんですけど……」


「俺はおまえがいいって言ってんだから、それでいいだろ」


 矢島店長は大げさに息を吐き出すと、椅子から立って僕の方へと歩み寄ってきた。


「聞きたいことがあるんだが」


 その言葉にドアノブから手を離してバックルームの方へ体を向けた僕の顔のすぐ横に、矢島店長がドンと音を立てて右手を突いた。その手の平はドアにぴたりと張り付いている。左手はスーツのズボンのポケットに入ったままだ。つまりこれは……


「中途半端に壁ドンしないでください!」


「おまえ、髪触られるの嫌なのか?」


「人の話全然聞いてない! 嫌ですけど、それが何か!?」


「今日、俺も触ったけど」


「……あれ? そういえばそうでしたね。同じ円形ハゲ仲間だからかな?」


「んだよ、円形ハゲ仲間って」


 ふっと笑顔になった矢島店長はとても格好いい。いや、いつも格好いいが、笑顔はレアだから、ありがたみを感じる。


「でもあの時は、時間がなかっ……」


 そこで思い出した。あの時矢島店長は「もう時間だぞ」と言っていたが、実際にはあと三分ほど余裕があったのだ。


「……時間、ありましたね……?」


「そうだな」


「もしかして、助けてくれたんですか?」


「今頃気付いたのか。おっせえ」


 目の前の矢島店長が、ふはっと息を漏らして笑みを深める。近いところでやらないでほしい。目のやり場に困る。


「……ありがとう、ございました」


「礼は女子の制服でいいからな」


「うっ……、わ、わかりました……」


 結局、こうなる。何だか手の平で転がされている気分だ。


「で、まかないは何がいいんだ?」


「……ベーコンとマッシュルームのジェノベーゼパスタと、ガーリックトースト……」


「また二種類かよ」


 こんなことで、矢島店長の機嫌は最高に良くなった。



 ◇◇



「やっぱりおまえがその制服着てるとお客さん多いな」


「……そうですか……」


「SNSでも評判になってるんだぞ、一ヶ月くらい前から。知ってたか?」


「……知ってますよ……」


 厨房の隅。小声で話しかけてきた矢島店長と、小声で話す。何だかんだと理由を付けられ、僕は毎回女子の制服を着せられている。毎回まかないを一食分多くもらっているから、文句は言えないのだが。


「でも、最近ちょっと独占欲が出てきてるんだよ」


「は?」


「売上に貢献してくれるのはいいんだが、俺以外のやつらに見せたくない」


「……僕、女の子じゃないんですけど……?」


「言ってなかったか? 俺、両方いけるぞ」


「何ですかそれ! 聞いてない!」


「飯島、うるせえ! 黙ってホール行け!」


「ううっ……話しかけてきたの店長なのにっ……!」


 僕は「いいから行け!」という店長の怒声を背中に浴びながら、厨房からホールへ続く簡易扉を開けた。


「飯島、顔がニヤニヤしてる」


「あ、ほんとだ。何かいいことでもあったんですか?」


 水のピッチャーを持つ同じ年の酒田、人の表情を気にするな。もうすっかりベテランみたいな顔してる池崎、どうでもいいことを聞いてくるな。


「別に、何でもないよ。……いらっしゃいませー」


 黒いニーソックスの着圧感をふくらはぎに感じながら、今日のまかないは何を作ってもらおうかな、と考える。矢島店長の機嫌は、お客さんの入り具合と僕にかかっているのだ。そう考えると、胸の奥がむずむずしてくる。


「何名様ですか?」


 これからしばらくは、きっと円形ハゲとは縁がない生活が続くだろう。矢島店長は口が悪いけど、優しい人だから。そして、「おまえがいい」と言ってくれる人だから。


「二名様ですね。あちらのテーブルへどうぞ」


 だから文句を言いつつも、毎回、僕は女子の制服を着るんだ。

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【BL】矢島店長の機嫌の良し悪しを決めるモノ 祐里(猫部) @yukie_miumiu

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