三月

キタハラ

三月

「わたし、ハンギョドンが好きだったのよ」

 ふらりと入った原宿のキディランドはやたらと混んでいて、女の子たちがきゃーきゃー大騒ぎしながら物色していた。

 ぼくは隣にいた真由香の言葉に、「なに?」と聞き返した。

「男ってのはさあ、自分の興味があるものは女も好きになってくれるって、謎に思い上がってるよね」

 さっきのハンギョドン、はどこにいったのか、真由香はいった。

「ええと、なにかな突然」

 とにかく店内は騒がしく、奥のちいかわコーナーなんて、もう入り込む隙もなさそうだった。

「別に」

 そういう真由香が手にしているのは、猫が動物の着ぐるみを着ているぬいぐるみ。ハンギョドンはどこから思いついたのかわからなかった。

 真由香は棚にぬいぐるみを戻した。

「買わないの」

「ぬいぐるみって、部屋に置いておくと薄汚れるし、なんか怨念とかついてそうだし、嫌いなの」

 洗えばいいだろ、そもそも怨念ってなんだよ、と思ったけれど、ぼくはなにもいわなかった。

 結局ぼくらはなにも買わずに店を出て、表参道まで歩いた。青山のほうに向かって歩いて、やっと喫茶店に落ち着いた。休日の原宿・表参道なんて、わざわざくるものじゃない。休むにも一苦労だった。

「わたし、サンリオのなかじゃハンギョドンが好きだったのよ」

 さっき終わった話が再びのぼった。

「珍しいね」

「なんかかわいいじゃない。それに最近また人気っぽいのよ」

「そうなんだ」

「でもねえ、小学校の時、クラスメートに荒木くんってのがいたの。唇がはれぼったいコで、ある時誰かが『お前ハンギョドンに似てんなあ』って」

 サンリオキャラに似ている小学生男子。かわいいじゃないか、とぼくは素直に思った。

「で、荒木くんのあだ名、その日から『アラーキー』から『ハンギョドン』になった」

「いや待てよ、アラーキーってあだ名、かなり早熟すぎやしないか」

「どっかで誰かが聞いたんじゃない? 語感いいよね、アラーキー」

「なんか話が逸れたな、で、それがどうしたのさ」

「わたしからすれば悲劇よ。だってハンギョドングッズを集めてたし、筆箱の中にはハンギョドンの消しゴム、ファイルやポーチもだったんだもん」

「へーっ」

 いま、目の前にいる真由香が、そんなかわいらしいものを持ち歩いているのを想像することができなかった。

 少女から、大人に。変化か、喪失か、そもそも、そのときとはもう細胞が何度も入れ替わっているだろう、別人みたいなものかもしれない。

 過去の自分と今の自分、はなにもかも違うものだ。

「とにかくそれからは小学校卒業するまでハンギョドングッズは使えなくなっちゃった。ちょうど五年の冬だった。一年とちょっとで、再びハンギョドンも解禁できるだろう、わたし私立中学を受験するつもりだったから、荒木くんと顔を見合わせなくなるまでの辛抱だって思っていたんだけど、中学に入ったら、もうハンギョドン熱は冷めちゃったの」

「次はなににはまったの?」

「なんにも。ただかわいいなって思ってハンギョドンを集めていたっていうのにね。ハンギョドン以上に集めるほど好きなものは人生でもうなかったってわけ」

 真由香は薄く笑った。

「でもさっき、また新たにはまりそうだったじゃないか」

「うーん、可愛いと思うけど、あのときみたいに、集めたいとか身につけたいとまではいかないな」

「年をとりましたなあ」

「そうかも。もうなにかを熱烈に求めることはないかもね」

 ぼくは、「きみ、もしかして荒木くんのこと好きだった?」と訊ねそうになった。もしいおうものなら、大変なことになりそうな気がした。一度腹を立てると、気持ちを収めてくれるまで散々なのだ。

「きみは、あれね、ハチワレに似てる」

 真由香がいった。

「えーっ」

「あなたの髪型と、ハチワレのシマが。あとなんとなく人情味があるところとか」

「それ褒めてるのかなあ」

「うん、褒めてる褒めてる」

「きみは」

 といって、目の前の真由香を見た。

「なに?」

「いやー、思いつかないな」

 きみは誰にも似ていないよ、なのか、ただぼくが疎いだけなのか、たぶんどっちもだった。

「春になったら、きみは北海道転勤、遠いねえ」

 帰り道、真由香はいった。

「そうだなあ。こんなふうに、暇な休みに一緒にぶらぶらしてくれる友達ができるかなあ」

「あなた、調子いいからすぐできるよ」

「北海道っていつまで寒いのかなあ」

「とりあえず、いってみなくちゃわからないね」

「たしかに」

「人生、どれだけ準備をしていても、なにが起きるかわからないしね」

「でも山登りするときは準備するだろう、そんな感じでさ」

「いってからいろいろ買えば」

 ぼくたちは別れた。


 北海道で、ぼくには恋人ができて、とんとん拍子に結婚して、子供も生まれ、家を買うとか貯蓄とか、昇進とか、やたらと目まぐるしく人生が動いた。

 仕事の帰り、ふと売店で、娘が最近はまっているキャラクターのイラストがついたキャンディーを買った。

 唐突に、真由香を思いだした。

 それは、ささくれのように、気づいてしまったら気になってしょうがない、そんなもので、帰り道ずっと、彼女がどんな人だったか、を考えていた。

 ぼくは娘にやるはずだったキャンディーを開けた。

 袋に描かれているキャラクターはハンギョドンでも、ちいかわでもなかった。だた無闇に、かわいいだけだった。

 真由香に会うときがあったら、きみに似ている、と伝えようと思う。

「ふざけないで?」

 と睨まれそうだけれど、もうそんなことを怯えずに。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三月 キタハラ @kitahararara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ