白昼三景
藤野 悠人
白昼三景
こんな夢を見た。
なんでも田舎道を歩いている。足元にはアスファルトが敷かれ、スニーカー越しに固い地面の感触が伝わってくる。五月晴れのような晴れ渡った空は高く、空に手を伸ばすような電柱が一定の間隔でぽん、ぽんと
道の左手側には、青々とした
さらりと風が吹く。その風に揺られて、田圃全体が緑色の
ふと、右手側を見る。記憶が確かであったなら、ここにも広い畑が広がっているはずだった。だが、そこには原っぱが広がっており、田圃の稲と同じように、
黄金色? そう、黄金色だった。私はそれがどんな植物だか知らないが、背の高い、妙に繊細で細やかな植物が、さらりとした風の中でゆらゆらと踊っていた。この道の右手側の景色は、こんな原っぱだっただろうか。最初からそうだった気もするし、そうではなかったような気もする。
そうして首を傾げていると、音楽が聴こえることに気付いた。これもまた美しい、繊細な響きを持った、
「あぁ、ラヴェルだ」
思わず口に出す。
ラヴェルが作曲した『クープランの墓』のプレリュード。オーボエの主旋律が、遥か天から聴こえてくるような気がした。この演奏は、この世のものではないのかしら、という気さえした。
オーボエに追従するように、弦楽器が歌いだす。その音に身を任せるように、私はただ歩いた。歩いた。歩いた。
―――
はたと気付くと、景色が変わり、私は座り込んでいた。もう風も、日の光の暖かさも感じない。明るいが、どこか
絶えず聴こえる『クープランの墓』は、しかし、天上の音楽のごとき輝きを失い、机の上に置かれた小さなラジオから、ときどきひび割れたようなノイズとともに、六畳一間の部屋に、その旋律を届けていた。
そして、私がいる場所が、学生時代を過ごしたアパートの一室であることに気付いた。濃いブルーのカーテンも、小さな声で唸る冷蔵庫も、カラーボックスに無造作に詰め込まれた教科書や本も、ひやりとした固いフローリングの感触まで、そっくりそのままだった。
座ったまま、うたた寝をしていたのか、と思った。
不意に電話が鳴った。部屋の一角に置かれた、年代物の電話機だった。左上についたライトはけたたましく点滅しているが、コール音は
誰かが訪ねてきたのだ。その電話は、オートロックになっている一階のエントランスへ繋がっている。訪問者は、エントランスにある機械に部屋番号を入力し、目当ての部屋の人物へ電話を掛けるのである。
私はのろのろと、受話器を手に取った。
「もしもし」
間髪入れずに返事は来た。
『来たよー』
若い女性の声が、懐かしいその声が、受話器越しに軽やかに聞こえた。本当に、久しく聞いた声だった。
「開ける」
短くそう答え、電話機の#ボタンを押した。それが、エントランスの解錠ボタンだった。受話器の奥から電子ロックの開く音と、扉を開ける音がする。私は受話器を置いた。
とん、とん、という軽やかな足取りが、部屋のドア越しに聴こえた。ややあって、玄関のドアを開けて、申し訳程度の小さな
あぁ、懐かしい。そうだ、あなたはよくそんな色のワンピースを着て、この部屋を訪れていたんだ。思わず、私は自分の頬が緩むのを感じた。
「寝てた?」
見透かしたような、どこか面白がるような声音で、彼女が言った。
「うん、そうみたい」
思わず、私は自分の顎に手を触れた。バツが悪い時、こんな仕草であなたを誤魔化していたんだっけ、と、またひとつ懐かしい思いが胸をよぎる。
いつの間にか、『クープランの墓』は聴こえなくなっていた。
―――
また、景色が変わった。
なんでも、大粒の雨が降る中、雨宿りをしている。寒々しい空気の中、雨粒がしたたかに世界を叩き、それ以外のすべての音を飲み込んでしまっていた。湿った土と、むっとするような濡れた草の匂いが
白く
寒かった。季節の頃は分からないが、ふぅ、と吐いた吐息が、冗談のように真っ白になって、雨の中へ溶けていった。
「あぁ、そっか。これで死ぬんだ」
ふと、理由も、根拠もなく、確信めいたものが、私の
背後には、浅く呼吸をする誰かの気配があった。その人物は、上目遣いに雨を眺めているのだろうと、これまた根拠もなく私には分かっていた。
「まだ降るかなぁ」
背後の人物が、短くそう言った。子どもの声だった。まだ小学生くらいの、男の子の声だった。
「そうかもね」
私もまた、短くそれだけ答えた。いや、答えたような気がした。どういうわけだか、自分が声を発したのか、ただそう思っただけなのか、判然としなかった。
「じゃあ、また今度ね」
子どもはそう言うと、くるりと身を
青い生地に合わせてか、その蝶々の
「気を付けろよ」
そう声を掛けて、手元の缶コーヒーを飲み干そうとした。
―――
そんな夢を見て、真っ暗な部屋の中、今度こそ私は目を覚ました。
奇妙な頭痛がした。目の前の景色は真っ暗だが、視界の端にはぐるぐると小さなねずみ花火が踊っている。
不愉快なその感覚を黙らせるように、再び眠った。
もう夢は見なかった。
白昼三景 藤野 悠人 @sugar_san010
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