あの子のささくれにかき乱される気持ちの名前を、僕はまだ知らない

灰色セム

あの子のささくれにかき乱される気持ちの名前を、僕はまだ知らない

 数学の授業を聞き流しながら、前の席の虹野さんを見ていた。数日前に転校してきた彼女は、光の屈折で虹色に見える髪の毛が個性的な女性だ。異星人と日本人のミックスだと誇らしげに語っていた姿は、まだ鮮明に思い出せる。

 男子高校生の平均を絵に描いたような僕とは、容姿も性格も何もかも真逆だった。だからこそ、気になっているのかもしれない。

 それにしても虹野さん、今日はなんだかソワソワしているなぁ。ゆるいウェーブのかかったボフカットの髪が揺れるたびに、なんだかいい匂いがする。細い肩が緊張しているみたいに寄せられていることに気づいた。

 教科書でも忘れたのかな。

 彼女は右を見て左を見た。さまざまな色できらめく光が目の前で鮮やかに反射した。振り返った虹野さんと目が合う。

 彼女は小声で「えっと、委員長君。ハサミとか持ってる?」と聞いてきた。初めて話しかけられた。鈴を転がした音さえ敵わないだろうかわいい声に、僕の心臓が飛び上がる。

「危険物だから学校には持ち込めないよ。どうしたの?」

「ささくれができちゃって」

 ああ、それで切ろうとしたのか。ささくれって一度気づいたら、ずっと気になるからなぁ。

「待ってて」

 胸ポケットから学生手帳を取り出し、開く。デフォルメされたクマさん柄のばんそうこうを1枚、彼女へと手渡した。

「それで隠しておくといいよ」

「ありがとう」

 指先が触れ合う。

 気のせいか、ほほが熱い。

 前へ向き直った彼女を、自然と目で追ってしまう。授業の予習は完璧にしてきているので、たまに板書きをメモすれば十分だ。

 かさ、かさ、ぺりっ。先生が話す声よりも、ばんそうこうが使われているだろう音がよく聞こえた。

 また彼女が振り返る。

 僕の視界がまばゆく輝いた。

 手の甲を、正確には指先のばんそうこうを見せてきた。

「見て見て。かわいい」

「本当だ。かわいいね」

 「ありがとう」とほほえみ、今度こそ授業を聞き始めたらしい後ろ姿に、また視線が行く。

 顔が熱くなった。耳まで熱くなる。

 髪で見え隠れする小さな肩が、こころなしかリラックスしたように下がった。彼女の精神になにか良い影響を与えられたらしい。

 もう授業には集中できそうになかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの子のささくれにかき乱される気持ちの名前を、僕はまだ知らない 灰色セム @haiiro_semu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ