とある姉妹と悪役の物語


 母親は激怒した。


「アンタたちいい加減にしなさいよ! 一体、何時だと思ってるのよ!」


 彼女には二人の娘がいる。一人は七歳、もう一人は五歳だ。


 この一歳差の姉妹は何かと喧嘩をする。喧嘩の内容はくだらないものばかりだ。


 やれ姉が妹の方のパンが大きいだ、やれ妹が姉に玩具をとれたただ。本当にくだらない。毎朝毎晩喧嘩をしていてよくも飽きないと思う。基本的に姉妹喧嘩を放置している母親もその日は寝る時間を過ぎても姉妹が騒いでいるため、とうとう二人を怒鳴りつけてしまった。


「ママ! だって、お姉ちゃんがルネのこと馬鹿にするのよ!」


「最初にひどいこと言ってきたのはルネじゃない! ロラは悪くないもん」


 母親はお互いに責任をなすりつけあう娘二人に平等に拳骨を落とした。頭を殴られて涙を浮かべる娘たちに「それで」と母親は訊ねる。


「今度は何が原因で喧嘩したの」


「どっちがカミーユと結婚するのかって。カミーユと結婚するのはロラよ! だって、こないだの誕生日にお花をくれたのよ!」


「カミーユと結婚するのはルネだもん! カミーユはルネによくご本を読んでくれるのよ」


 カミーユというのは近所に住む男の子だ。年齢の割に落ち着いていて、なかなか見た目もいいと周囲の女子の人気を集めている。


(想像以上にくだらなかったわ)


 母親は溜息を吐く。


 当人にとっては大切な問題だろうが――母親は知っている。カミーユが好きなのは隣の家のブリジットだ。この二人がいくら争ったところで、彼はどちらも選ばないだろう。


 しかし、そのことを言うとまた面倒なことになりそうだ。母親は別のことを口にする。


「結婚だなんてアンタ達が考えるにはまだまだ早いわよ。あと十年してから考えなさい」


「えー! ひどい!」


「その頃にはイキオクレちゃうわ!」


「……アンタ達行き遅れなんて言葉どこで教わってきたのよ」


「向かいのダミアンお兄ちゃんよ。『二人は可愛いから行き遅れにならないようにな』って」


 ――一体、幼い娘たちに何を教えているのだろう。


 この件については、向かいの家に抗議をしに行こう。きっとダミアンの母親はこちらの味方になってくれるだろう。しかし、それは明日のことだ。今はうるさいこの二人を寝かしつけないといけない。


「とにかく、もう寝る時間は過ぎてるのよ。さっさとベッドに入りなさい」


 姉妹がまた騒いだため、母親はもう一度拳骨をお見舞いした。半ば無理やり二人をベッドに押し込む。


「ねえ、ママ。寝る前にご本を読んで!」


「駄目。もう寝ないといけない時間よ」


「ちょっとだけだから! お願い!」


「明日はちゃんとお手伝いするから!」


 また姉妹が騒ぎ出す。


 最初はどうにか寝かしつけようとしたが、全く言うことを聞かないため、母親は諦めた。仕方なく、読み聞かせをしてあげることにした。


「今日は何の本を読んでほしいの」


「ロラは『レティシアの物語』がいいわ!」


「ルネもルネも!」


「……本当にアンタ達この本好きね」


 娘たちのリクエストである『レティシアの物語』を棚から選ぶ。


 こういう絵本を読み聞かせるのは苦手だ。淡々とした語り口調になってしまうのを無理して大袈裟に読み聞かせるのだ。大根演技だと自覚しているが、娘たちはそれでも構わないらしい。


 この絵本は娘たちのお気に入りの一つだ。ことある毎に読み聞かせをねだって来る。


 一通り、読み終える頃には妹は眠ってしまっていた。姉の方はまだ起きていて、眠たそうではあるがこちらを見上げている。


「ママ。この後、アデールはどうなるの?」


「さあ、知らないわ。一生牢獄にいれられたままかもしれないし、恩情で出してもらえたかもしれないわ」


「ママってば適当」


「書かれてないんだからしょうがないでしょう。アンタ達が好きな風に考えていればいいじゃない」


 物語の中で結局、悪役がどうなったかは描かれない。読者の想像に任せているのだ。だから、彼女がどうなったかはそれぞれの胸の中に違う答えがあっていいはずだ。


「さあ、いい加寝なさい。起きれなくなるわよ」


 そう言って、母親は姉の背を優しく叩く。一定の間隔で叩き続けると、そのうち姉からも寝息が零れる。


 姉妹が寝静まったことを確認すると、母親はベッドから離れる。やらないといけない家事がいくつか残っている。まだ眠るわけにはいかないのだ。


 絵本を棚に戻す前に、一度装丁に目を向ける。


 三十年近く昔の絵本は古ぼけている。至るところがボロボロだ。修繕したあとも一つや二つじゃない。


 悪役が最後にどうなったかは母親は知らない。興味もない。こんなのは物語の中の話で、どうでもいいことだ。


 ――それでも。


(あの人だったら、彼女も幸せになっていればいいとでも言うのかしらね)


 そんなことを思いながら、彼女は絵本を棚に戻す。それから、残った家事を終わらせるために、台所へ戻った。 

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婚約解消された侯爵令嬢は新しい婚約者の運命の相手を探しています 彩賀侑季 @yukisai

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