終章:婚約解消された侯爵令嬢は新しい婚約者の運命の相手を探していました②


「何でしょうか?」


 エレオノールは首を傾げる。


「『絵本のことはごめんなさい。壊したことずっと怖くて言えなかったの』」


 おそらく、リディアーヌの言葉をそのまま伝えてくれたのだろう。

 アルベールの伝言にエレオノールが反応できずにいると、代わりにルシールが声を上げた。


「ようやく謝る気になったんですね。だから、こんなことになる前に謝ればよかったのに」


 エレオノールはルシールを見る。

 不思議そうな表情浮かべるエレオノールにルシールが説明した。


「コルネイユ侯爵邸で昔からいる使用人に聞いた話なんですけどね。リディアーヌ様は物を大事に扱うのが苦手なんです」


 そう言われて思い出すのは、絵本と一緒に箱にしまってあった玩具やぬいぐるみの数々だ。

 かつてリディアーヌの宝物だったそれらはボロボロになってしまってあった。


「四六時中持ち歩くうえに、注意力もしっかりしているほうじゃないのですぐ落としたり、食べ物や飲み物をこぼしたりするんです。自分で汚しておいて、その後に泣くんで大変だってって言ってました。エレオノール様があげたっていう絵本も同じように持ち歩いた挙句、ボロボロにしてしまったんです」


 エレオノールは目を見開く。


「玩具やぬいぐるみも『大事にしなさい』ってご両親から渡されたものですからね。ボロボロにしたことがバレたら怒られるって、クローゼットに隠す癖があったんです。まあ、奥さまには筒抜けだったんですけどね。悪気があったわけじゃないから、奥さまも見て見ぬふりをしてたんです」


 リディアーヌは昔から愛されていた。周囲からちやほやされていた。

 その反面、ほとんど怒られた経験がなかったはずだ。壊したものを隠すという行動に走ってもおかしくない。


 ――そうか。


 エレオノールは安堵する。


 絵本を渡すとき、エレオノールは『大切にして』と言った。リディアーヌは『分かった』と言ってくれた。結果的にボロボロになってしまったとはいえ、リディアーヌもこの絵本を大事に思わなかったわけではなかったのだ。そのことが嬉しくて、少しだけ、エレオノールの中の異母妹の姿が幼い頃の屈託のない姿に重なった気がした。


「そうだ。いい加減、コルネイユ侯爵邸にあるエリーの荷物も持ってこないといけないな。ルシール、今度取りに行ってくれるか」


「いいんですか? 私、バックレた身ですよ」


「その件についてはコルネイユ侯爵に話はつけてある。母親の持病が悪化してやむにやまれず急いで仕事をやめたということにしている」


「うへえ。その設定に合わせろってことですね。――分かりました。久しぶりに皆にも会いたいですしね」


「あの」


 エレオノールはルシールに声をかける。


「私の部屋の引き出しに、昔リディにあげた絵本がしまってあるんです」


「エレオノール様のお部屋にですか?」


「……リディが置いていったから、持ち帰ったんですの」


「はい。それで」


 一呼吸おく。


「リディに返してもらってもいいですか」


 その言葉にルシールもアルベールも怪訝そうな表情をする。


「その、絵本って言うのはリディアーヌが壊したことを謝罪していた絵本のことかい?」


 アルベールの問いにエレオノールは頷く。


「お母様が遺してくださった大切な――『レティシアの物語』という絵本です。そのお話は以前しましたでしょう?」


 アルベールにはシャルロットが大好きな絵本の主人公レティシアに似ているという話もした。シャルロットに一番好きな本を聞かれたときに『レティシアの物語』が一番と答えたことも覚えているだろう。


「そんな大事なものを彼女にあげていいのかい?」


 昔、エレオノールがあの絵本をリディアーヌに譲ったのは嫌々だった。

 でも、今は違う。何の未練もなく、あの絵本を譲れる。


「大切なものですけれど、内容は全部覚えていますもの。一度はリディにあげたものですし、もう構いません。――それに」


 思い出すのは、あの晩青いドレスを着たシャルロットの姿だ。『レティシアの物語』のクライマックスシーンを再現してくれたあの夜のことは、今でも目を閉じれば思い出す。


「大切なものはあれだけではありませんもの」


 ある意味、あの絵本は幼い頃のエレオノールの心の拠り所だった。でも、もうエレオノールに母の形見という心の拠り所はいらない。


 エレオノールのために一生懸命になってくれた大事な友人も出来た。元泥棒という不思議な経歴を持つ侍女はとてもよくしてくれる。新しい家族となる義両親も、エレオノールにとても優しい。――そして、永遠に不変の愛を約束してくれた愛する運命の人を見つけた。


「もちろん、無理にとは言いません。子供向けの絵本ですもの。あの子にはもうつまらないものでしょう。要らないようであれば、他の荷物と一緒に持ってきてください」


「分かりました」


 それから少しして、ルシールはコルネイユ侯爵邸へ荷物を取りに戻ってくれた。

 ドレスやアクセサリー、本。一通り、ルシールは持ち帰って来てくれたが、その中には『レティシアの物語』は含まれていなかった。



 ✧



「なんだか、結局全部アルベール様の望み通りになったみたいで、これで良かったとは言いづらいですね」 


 何とも複雑そうな表情を浮かべたのはシャルロットだ。


 今日はシャルロット主催のお茶会に招かれ、王宮に来ている。まだ参加者はエレオノールしか到着しておらず、シャルロットと二人きりだ。以前、お茶をした中庭のガゼボにいる。


 エレオノールは苦笑を浮かべる。


「シャーリィ様にはご心配をおかけしましたわね。ですが、これでもう本当に全部終わりです」


 一旦ではあるが、問題は解決した。


 エレオノールもとうとうアルベールとの婚姻の日取りが決まった。準備もあるため、実際に式を挙げるのはまだ半年も先だが、もうすでに少しずつ準備を始めている。


「本当に全部、シャーリィ様のおかげですわ」


「そう言われるのも複雑ですけどね。少しでもエリー様のお役に立てたなら本当に良かったです」


 シャルロットは苦笑いする。社交辞令抜きで、今のエレオノールがあるのは間違いなく、シャルロットのおかげだ。


 ――思えば、昔のエレオノールは本当におかしなことをしていたと思う。


 婚約者のアルベールの言葉を信じられず、彼の新しい縁談相手を探していたのだ。シャルロットが付き合ってくれたのが本当に不思議だ。彼女じゃなければ、逃げられて終わっていただろう。


 自然と口元に笑みが浮かぶ。


「やっぱり、私とシャーリィ様が出会ったのは運命だったんですわ」


「運命、ですか」


「ええ。私の直感は間違いではありませんでしたわ」


 彼女と出会った頃、これはシャルロットとアルベールの運命だと思った。だが、今は違う。あれはエレオノールとシャルロットの運命だったのだ。


 ――きっと、この話をアルベールにすれば気を悪くするだろうけれど。


 シャルロットは少し考える素振りを見せてから、満面の笑みを返してくれた。


「そうですね。そうかもしれませんね」


 以前、シャルロットはエレオノールの言葉に肯定的ではなかった。しかし、今日は賛同してくれた。


 ふと、何かに気づいたシャルロットが立ち上がった。


「ああ、来ましたよ。エリー様」


 彼女の視線を追うと、遠くに三人の若い令嬢の姿が見える。彼女たちも今日のお茶会の参加者だ。ヴァロワ侯爵夫人のお茶会でシャルロットが親しくなったご令嬢たちだと言う。


 以前聞いた話では、彼女たちの中にはリディアーヌに良い感情を抱いていない令嬢がいるらしい。どうやら、元々の婚約者がリディアーヌに懸想してしまったらしい。その上、リディアーヌも気のある素振りをしたため、一時期その令嬢と婚約者の仲はかなり悪くなってしまったそうだ。そのことで友人のご令嬢がリディアーヌに抗議をしに行ったが、とんでもなく不快な思いをしたらしい。結局、リディアーヌがジスランに嫁いだため、二人は無事結婚できたのだが、婚約時代のその一件は二人の仲に影を落としているそうだ。

 

「本当によろしいんですか。私がこのお茶会に参加して」


 リディアーヌの姉であるエレオノールは彼女たちにとっては不快な存在だろう。大丈夫だとシャルロットに太鼓判を押されて、ここまで来たが――正直、今も不安で仕方ない。


「みんないい人なんです。きっと、エリー様もすぐ仲良くなれますよ」


 シャルロットは微笑む。


「さあ、行きましょう。こういうのは第一印象が大事なんですよ」


 そう言って、シャルロットはエレオノールの手をとる。彼女に導かれ、エレオノールはこちらに近づいて来る三人の少女たちに向かっていった。

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