終章:婚約解消された侯爵令嬢は新しい婚約者の運命の相手を探していました①


「私、結構コルネイユ侯爵邸での生活に満足してたんですよ」


 そう言ったのはルシールだった。


「まあ、エレオノール様の境遇は不憫に思ってましたけど、お屋敷の人間全員が全員悪い人間ではありませんでしたから。特に侍女仲間とお茶したり、マルセル様と遊ぶのは楽しかったですよ。王宮から戻って来たリディアーヌ様はちょっとおかしくなってましたが、元々は明るくて使用人にも分け隔てなく接する優しい方でしたからね。エレオノール様の言うように、リディアーヌ様が全部責任を背負わせるのはちょっと可哀想だと思ったんです」


 だから、ルシールはエレオノールに手紙の件を伝え、何かあったら自分の責任だと思い、後を追ってくれたそうだ。


「だから、エレオノール様がお坊ちゃまを止めてくれて本当に助かりました。私も出来ればあの三人を殺したくはありませんでしたからね」


 ありがとうございます、と彼女は笑う。ようやく、エレオノールは彼女に訊ねることが出来た。


「ルシール。貴方は何者なんですか」


「ただの侍女ですよ。手先が多少器用なのでお坊ちゃまに重宝されるだけのただの侍女です。――元はスラム育ちのコソ泥です。盗みとスリと、あとちょっとした詐欺まがいのことをやってました。こないだ一緒にいたのはその頃の知り合いですね」


 エレオノールは目を瞬かせる。


 ――コソ泥。つまり、泥棒か。


 なるほど、道理でロッシュ準男爵の別邸で鍵を開けられたわけか。もしかしたら、コルネイユ侯爵邸を脱出する時にドアノブを壊したのも似たような芸当なのかもしれない。


「昔、お坊ちゃまが賭博場に出入りしてたのはご存じです? その賭博場でちょっとやらかしましてね。うっぱらわれそうになったところをお坊ちゃまに助けていただいたんです。それからは便利に使われてますよ。まあ、お給金もいいので私も今の環境には満足しています」


 彼女の話はエレオノールの知る世界とは全然別物で、何とも想像がつかない。とにかく、ルシールが只者でないことは分かった。


「エレオノール様も知りたいことがあったら何でもお教えしますよ。例えば、閉じ込められたときの鍵の開け方とか、男の襲われたときの対処方法とか」


「ルシール。エリーに変なことを吹き込まないでくれるか」


 話に割って入ったのはアルベールだ。


 エレオノールはラルカンジュ公爵邸の庭園でお茶をしていた。庭園のガゼボにアルベールがやって来たのだ。


 彼は咎めるような視線をルシールに向ける。


「お前と違って、エリーは温室育ちなんだ。変なことを教えるのはやめてくれ」


「ヒッデエ――じゃない。私もエレオノール様のことを思って言っているんです。万が一のときに役に立つますよ」


「万が一のときなんて来ないから教えなくていい」


 そう言うと、アルベールはエレオノールの向かいに腰かける。


 ルシールはアルベールの分も紅茶を用意する。アルベールは紅茶に一度口をつけると、本題に入った。


「リディアーヌの今後が決まった」


 エレオノールは背筋を伸ばす。


 今日、アルベールはコルネイユ侯爵邸を訪ねていた。父にリディアーヌの今後について確認するためだ。


「彼女はコルネイユ侯爵領にある修道院に入れることが決まった」


「そんな」


 その答えにエレオノールは落胆を隠しきれない。


 結局、リディアーヌは修道院に行くしか道はなかったのか。こうならないようにとエレオノールはずっと願っていたのに。


 だが、アルベールは思わぬ言葉を続けた。


「というのが表向きの処分。実際はハインデイルに向かわせることになった。名前を変え、素性も隠してね」


「ハインデイルに?」


 ハインデイルは三ヶ月前に同盟を結んだ隣国だ。


「国外追放、と言えば聞こえは悪いかもしれないけどね。この国での彼女の評判は良くない。彼女のことを知らない場所で、新しくやり直してもらうことになったんだ」


 社交界では、リディアーヌの悪評は広まりすぎている。


 この国に留まる限り、彼女に自由な未来はない。別の場所でやり直すのは、リディアーヌにとってもいい選択なのかもしれない。


「庶民としての生活を送ることになるから、今までのような裕福な暮らしは出来ない。苦労は多いと思うけれど、この国に留まるよりはいいんじゃないかな」


「…………リディは何と言ってますの?」


 生まれてからずっと贅沢な生活しか知らない子だ。庶民の生活は、修道院の暮らしと同じように耐えられるのかが心配だ。そもそも、本人が嫌がりそうなものだ。


「うん。最初は嫌がっていたけど、リディアーヌも了承してくれたよ」


 アルベールは微笑む。その笑みが妙に黒く思えたエレオノールはふとよぎった考えを口にした。


「アルベール様。何もしていらっしゃいませんわよね」


 嫌がるリディアーヌの意見を変えさせる何かをアルベールがしたのではないか。そんな嫌な考えが思い浮かんでしまった。


 アルベールは微笑んだまま、何も言わない。エレオノールは彼の名前を呼ぶ。


「アルベール様」


「……『この国を一度離れた方が君の幸せのためだと思うよ』って言っただけさ」


 ――それはつまり、脅しではないだろうか。


 彼はエレオノールたちのいるこの国から離れることを勧めたのだ。確かに、同じ王都にいる限り、エレオノールたちと距離を置き続けるのは難しいだろう。


 そういう意味でも、この国を一度離れるのはリディアーヌのためになるかもしれない。


「あの子一人で大丈夫でしょうか」


「一人じゃないよ。ロッシュ準男爵も同行することになった」


 エレオノールは瞬く。

 まさか、ここで彼の名前が出るとは思わなかったからだ。


「お目付け役は必要だろう? 彼はリディアーヌのこともよく知っているし、適任だと思ったんだ。彼の抱える負債をラルカンジュ公爵家が立て替える代わりに、彼には逐一報告してもらうことにした。彼は貴族だけど、ほとんど庶民と同じような生活をしていたからね。リディアーヌにとって良い先生になれると思うよ」

 

 笑うアルベールの表情はやはり黒い。


 だが、そのことを指摘するのは怖すぎて、エレオノールは何も言えなかった。エレオノールは目を伏せる。


「……それでは、もうリディには会えないんでしょうか」


「難しいと思うよ。エリーがハインデイルに行く機会があったとしても、ただの一般市民に隣国の貴族が会いに行くのは不自然極まりないからね。彼女がこの国に戻って来ることももうないはずさ」


 それではもう二度と異母妹に会うことは出来ないかもしれない。


(そのほうがお互いのためなのでしょうか)


「私は君たちはもう会わないほうがいいと思うけどね」


 考えていたことと同じようなことをアルベールも言ってきた。


「また、騒動を起こすことに繋がるかもしれない。わざわざ、関わり合うことはないよ」


 確かに、彼の言うとおりかもしれない。


 過去の出来事は消えない。再び顔を合わせても、お互い傷つけるだけかもしれない。それならもう二度と会わないほうが幸せかもしれない。


 エレオノールが物思いにふけっていると、「そうだ」と思い出したようにアルベールが口を開いた。


「一つだけ、リディアーヌから伝言を預かってる」

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