第11話 首都ヴァールブルグ

 暑い。五日かけて首都に着いて、パトリシアがすぐ思ったのはそれだった。宿は快適だったし、馬車に乗っているときは屋根と風があったおかげであまり気にしていなかったのだが、フリーレンベルクと比べると明らかに暑い。

 ヒナタやシャクドウは暑さを何とも思っていないらしかったが、パトリシアは氷の国生まれである。強い日光にも暑さにも慣れてはいない。それはルークも同じだ。ウィルフレッドはどうやら魔法で誤魔化しているようだったが。

 それでも何とか堪えられそうな気がしたのは、あたりに張り巡らされた水路のおかげだ。波の国の首都、ヴァールブルグは水の都と名高く、水路や水の噴き上げるオブジェ(噴水だとロザリーが教えてくれた)の近くを選んで通ればいくらか涼しく過ごせそうだった。

「水が全然凍ってない……」とパトリシアがこぼすと、ルークがちょっと笑って、「こんなに暑いのに凍るわけがないじゃないですか」と言った。


「知ってるよ! でも、不思議だなって思ったの」

「それは確かに」


 ルークが頷いて、「僕ら、氷の国にいたら水路なんて一生見ることはなかったでしょうね。噴水なんてもっと……」と感慨深そうにする。


「じゃあ、波の国の人は凍った海を見たことない人ばかりかな?」

「そうかもしれませんね」


 パトリシアとルークが顔を見合わせて笑うと、シャクドウが「へェ、海も凍っちまうのかい」と不思議そうに言った。

 元靄の国に積もっていたため、シャクドウは雪を見たことはあるが、まだ氷をよく知らない。元靄の国付近の海はほとんど氷が溶けてしまっていたからだ。

 きっと相当驚くだろう。シャクドウの大袈裟な驚き方を想像しただけで面白くて、「海の上を歩けるくらいね」とパトリシアは笑った。


「歩く? 足でか?」

「そうだよ、シャクドウさんが燃えたって溶けないんだから!」

「そりゃあすごい、いつか試してやろう」


 シャクドウがくっと笑って、「おいヒナタ、聞いたかい。俺の炎より強い氷だってよ」と言うと、ヒナタは「氷と張り合うなよ」と呆れた調子で返した。

 ロザリーがそんな姿を笑って、「ウィル兄様の氷だって負けませんよ。ねぇ?」と話を振る。

 随分呆れた顔をしたが、「まぁ、そうすね」とウィルフレッドは返す。そうして、勝負を受けてやるといった様子でふんと鼻を鳴らすシャクドウを見やって、「負けないだけっすよ」と肩をすくめた。


「そんなことは良いんで、早く城まで行きましょう……ロゼ、道案内は頼みます」


 ウィルフレッドにそう言われたロザリーはニコリと笑って、「もちろんです。ちゃんとついてきてくださいね〜」と言うと、跳ねるようにとんとんとんとみんなの前に躍り出る。そして、「さぁ、行きますよ!」と振り返り、明るくみんなに呼びかけるのだった。




 王城を前にして、パトリシアはごくりと唾を飲んだ。城はくすみ一つないほど真っ白で見上げるほど大きく、いくつかの尖塔は高すぎて見るだけで首がおかしくなりそうだった。

 抜けてきた庭園も素晴らしかった。パトリシア五人分くらいの高さはありそうな噴水に、色とりどりの薔薇のアーチ、彫刻のようなトピアリー──金でできた蛇、あるいは竜のような像を見たときは、驚いて反射的に距離を取ってしまった。どれもが氷の国生まれの平民であるパトリシアには縁のないものだからである。もっとも見る限り、波の国では平民にも開放された場所のようなのだが。

 あんまりの壮大さに、思わずパトリシアは窓の数を数えて、一体この城にはいくつ部屋があるんだろうと思った。エイブラハムの家にもたくさん窓があったように見えたが、それとは比べ物にならないほどだ。


「はぁ〜……」


 ため息を吐いたが、パトリシアがそうしたくなる理由は他にもあった。人目を引くのが三人もいるのだ、ちらちらと向けられる視線が気になるに決まっている。しかも、ヴァールブルグの人はフリーレンベルクの人たちより随分好奇心旺盛なようだった。

 ともかく、前はいろいろあったせいで周りまで気にする余裕がなかったが、言うまでもなくロザリーは本当に目立つ人だ。目つきが怖いにしろ、シャクドウもひょうきんに振る舞っていれば見てくれは良い。ウィルフレッドだって分かりやすく女受けの良い顔立ちだ。

 魔法学校で定期的にお兄さんを紹介してといろんな生徒に絡まれたのを思い出しつつ、パトリシアはウィルフレッドをちらりと見たが、本人は女性の視線などあまり気にならないのか、たまに軽く会釈をするくらいで飄々としている。

 それに対して、シャクドウは手をひらひらとさせながら、「悪いな、可憐なお嬢ちゃん方よ。俺ァ一途なもんでね、全員同時に愛してやることはできねェのさ……」と格好をつけていたが、すぐにヒナタとルークに脇腹をつつかれて悲鳴を上げていた。


「パティちゃん、何か気になることでもありましたか〜?」


 ロザリーがにこやかにそう話しかけてきたので、パトリシアは「大きなお城だな……って思ったの」と返した。ロザリーを見る男達の目も気になっていたのは内緒だ。


「ふふ。そうですねえ、パティちゃんはお城ははじめてですか?」

「ううん、小さい頃に行ったことがあるよ。覚えてないけど……」


 パトリシアがまだ幼い頃に、氷の国の王城へ何度か連れて行ってやったのだとウィルフレッドが前に言っていたことがある。それを聞いたときは、覚えていればルークに自慢できたのにと思ったものだった。


「そうなんですか? 良いなぁ〜」

「お姉ちゃんだってお城に行き慣れてるんでしょ?」

「それもそうでした」


 ロザリーはくすくす笑って、「それじゃあ、早く行きましょう。目的地はあの塔の一番上ですよ〜!」と指を差す。

 そして、その指につられて首を上げて、パトリシアは顔色を悪くした。ロザリーが指した塔はこの城の中で最も高いものだったからである。




 案の定、尖塔は高かった。最初はロザリーの案内で簡単に城に入れたことや、いかにも高級そうな装飾の美しさ、すれ違う使用人たちの洗練された姿などにはしゃいでいられたものだったが、今はぜいぜい息をしながら終わりの見えない階段を登るばかりだ。

 体力がありそうなヒナタですら弱っているのだから、ウィルフレッドなんて言うまでもなく階段に座り込み始める始末だった。「先に行っててください……」と懇願する声も哀れなほど小さい。


「まぁ、ウィル兄様? 大丈夫ですか〜?」


 階段を二段飛ばしで駆け上がっていたロザリーが、息一つ乱さずに今度は駆け降りてくる。

 そんなものだから、パトリシアは一体ロザリーは何者なんだろうと思ったし、シャクドウもそうなのか、「おい……お前さんの姉ちゃん、一体……」と引いた声で言う。本当に、人間でもないシャクドウに引かれるロザリーは何なのだろう。


「大丈夫なんで、先に……」

「お兄様、顔色が悪いですよ? 抱えていきましょうか?」

「ロゼ、俺にもプライドが……」

「プライドと健康なら、健康を取った方が良いと思いますよ〜」


 ウィルフレッドの言葉をバッサバッサと切り捨てながら、ロザリーがにこりと笑った。その上、「私の心配は要りませんよ、お兄様くらいなら抱えて五回は上り下りできますから」と追撃までしている。


「それでも良いです、こういうのは自力でやってこそでしょ……」


 ウィルフレッドがそう言うと、ロザリーはぱちりと瞬きして、「うーん、確かに……」と悩ましげに言った。そして、「本当に辛くなったらすぐに言ってくださいね?」と言って、また階段を駆け登っていく。

 それから、ようやく塔の最上階にある部屋の前まで辿り着いたときには、ロザリー以外死屍累々といった様子だった。ウィルフレッドだけでなくルークも何度も潰れたために、半刻はかかったような気さえする。

 全員が息を整えるのを待って、ロザリーが扉をノックする。ここに第一王子がいるのだと思ったら、せっかく落ち着けた心臓がまた激しく暴れるようだ。


「どうぞ」


 ノックに応えて扉の向こうから聞こえた声を、パトリシアはなぜだか知っているように思った。




 ロザリーが扉が開けた瞬間、パトリシアはあっと声を上げそうになったのを堪えた。今まで見てきた庭園や城の内装と違い、質素で狭い部屋だったからだ。執務机、ソファーが二つに長机が一つ、書類棚と本棚、他にあるものと言えば窓くらいだろうか。

 執務机の奥に座っている人が、グライフから助けてくれた青年によく似ているのもパトリシアを驚かせた。ルークも随分驚いたらしく、珍しくパトリシアの服の裾を掴んでいる。

 目の前の人が第一王子であることは間違いないし、あの青年は第二王子なのではないだろうか。そうだとしたら、なぜ青年は王子達のことを聞きたがったのだろう。


「王国の海に拝謁致します。良い波の日です、殿下」


 ウィルフレッドがそう言って一礼し、ロザリーがスカートを摘んで同じように礼をするのを見て、パトリシアとルークも慌てて頭を下げた。ヒナタもそうしつつ、シャクドウの頭を無理やり下げさせていた。


「頭を上げて、楽にしてください。ここには私達しかいませんから」


 第一王子が立ち上がりながらそう言って、パトリシア達の前までやってくると、「遠路はるばる、我が国へようこそ。私はクロードヴァルト・フォン・ヴァールブルグ……この城の主人です」と微笑んでみせた。


「私はウィルフレッド・ランプリングと申します。突然の謁見をお許し下さり、至極光栄に存じます」

「そう畏まることもありません。貴公の偉業は海を越え、私の耳にも入っていることです……」


 礼儀正しく振る舞うウィルフレッドにも驚いたが、第一王子──クロードヴァルトもそうだ。パトリシアが聞いていた話では、冷酷で取り付く島もないとのことだったが、目の前の姿を見ているとむしろ穏やかで優しそうにさえ見えた。

 クロードヴァルトはちらりとパトリシア達に目を向けると、柔らかい微笑みをそのままに、「狭い部屋でしょう。人数分の席も用意できず、申し訳ありません」と言う。

 パトリシアはすぐに「いいえ!」と答えようとしたが、ウィルフレッドがそれを遮って、「あんたら、少し外に出ててください」といくらか硬い声音で言った。

 一体どういうことだろう。パトリシアは動揺して、ウィルフレッドとクロードヴァルトを交互に見た。そうして、ロザリーが慌てた様子で口を開こうというとき、窓の外に人影が差して、大きく窓が開かれる。


「おっと、邪魔をしたかな?」


 今度はあっと声を上げるのをパトリシアは我慢できなかった。突然窓から現れたのが例の青年だったからだ。

 青年の姿を捉えたクロードヴァルトが、いきなりすっと冷たい目をして、「扉から入っていらしては」とため息混じりに言う。


「兄上が入れてくれるのならね。使用人にも話を通しておいてくれ」


 クロードヴァルトを兄と呼び、こんなに気安く話しかけるのなら、青年は第二王子で間違いないだろう。見た目だって本当に瓜二つだ。青年の長い三つ編がなければ、同じ人だと思ったかもしれない。

 クロードヴァルトは低い声で「この愚弟が……」とぼやいたが、すぐに気を取り直した様子で、「何か私に用ですか。今から大事な話をしなければならないのですが」と冷静に言った。


「え? 暇潰しに……」

「は?」

「あっ、嘘嘘! 私が理由もなくここまで足を運ぶと思うかい?」

「思います」

「そうか……そう言われるとそうかも……」


 クロードヴァルトが急に冷たくなったのには驚いたが、第二王子との会話はあんまり間の抜けたそれである。笑ってはいけないと思えば思うほど笑いそうになって、パトリシアは自分の太ももをきゅっとつねった。


「まぁでも、今回は本当に理由があるんだよ。そこの子供達に用があってね」

「では今すぐ子供達を連れて出ていきなさい」

「えーっ、容赦がないな……」


 第二王子が大きく肩をすくめて、「そんなに邪険にしなくても良いだろう? たった一人の可愛い弟じゃないか」と言う。そうすると、クロードヴァルトはじろりと蛇のように目を鋭くした。


「そういう問題ではありません。悪因悪果という言葉を知っていますか? すべて貴方の間の悪さが招い……」

「ま、待ってくれ! 説教ならまた今度……!」


 降参といった様子で、第二王子が両手を軽く上に上げた。それから、「失礼。悪いけれど……君たち、私についてきてくれ」とパトリシア達に声をかけると、するりと抜けるように部屋を出る。

 ウィルフレッドを除く全員が一度目を見合わせてから、結局それに従うようにする(ウィルフレッドやクロードヴァルトの様子を見るに、ここにいるわけにはいかないとみんな思ったのだろう)と、第二王子はちょっと笑って、「それではね、兄上。あまり人を苛めてはいけないよ」と言うなり、すぐに扉を閉めてしまった。




 クロードヴァルトと向き合ってソファに座り、ウィルフレッドはグラスに注がれた水を一口飲んだ。

 波の国では、密談の際にグラスに水を注ぐことを潔白の証としたはずだ。そうでなければ、王族直々に水を注いだりなどしないだろうし、使用人に茶でも持ってこさせるに違いない。最も、この尖塔の上まで茶を運んでこれるかどうかは分からないが。

 ともかく、これを飲んだ以上、嘘をつかないと証明したことになる。クロードヴァルトも水を口にするのを見ながら、ウィルフレッドは膝頭をかりと掻いた。緊張を誤魔化すためだ。


「さて……シュヴァーロフ公より話は伝わっていますが、貴公にも聞いておきましょう。私に何の用でしょうか?」


 クロードヴァルトがそう言って、緩やかに目を細めた。シュヴァーロフとは氷の国の王家が継ぐ姓だが、それに公を付けて呼ぶのは波の国の方が優位であると暗に示しているからだ。

 ウィルフレッドは少しだけ間を空けて、「お答えしようにも、私は一介の使者に過ぎません」と返した。これは嘘ではない。


「そうですか。では、聞き方を変えましょう。貴公が我が国に来た理由を聞かせてください」

「貴国の保有なさっている神器について、ぜひお聞かせ願いたく参りました」


 これだって嘘ではない。ウィルフレッドが神器について知らねばならない理由はユーリィやその父であるラドヴァンとは少し違ったものでもあるが、結局神器の情報を得たいのは同じだ。

 そんな対応に何を思ったか、クロードヴァルトはゆっくりと瞬きをして、「どうして神器の情報を必要としているのですか?」と言った。


(これは、陛下からもう伝わっているはず……)


 氷の国が神器を必要としているのは、魔法協会との対立で優位を取るためだ。魔法以上の力と権威を持つしか、魔法使いのほとんどを取り込み肥大化した組織に勝つ方法はない。

 それをあえて聞くということは、ラドヴァンとウィルフレッドの考えに差異があると察しているのだろう。もしかすれば、氷の国に間諜がいて情報を流しているのかもしれない。

 ウィルフレッドはわずかに息をついて、「それは、私の見解を聞いておられるのですね?」と返した。クロードヴァルトの真意を確認すべきだったからだ。


「勿論です」


 クロードヴァルトは微笑んで、「シュヴァーロフ公のご子息の執着を知らないほど、私の耳は悪くありません」と言うと、また一口水を飲んだ。


「その執着の対象である貴公が国を出なければならなかった。その理由が気になるのは……別段おかしいことではないでしょう?」


 厄介だ。ウィルフレッドは内心でそうぼやいた。推測にしては質問の意図が明確すぎる。国のそれではなく、ウィルフレッド自身の情報を得ようとしているのだ。それがクロードヴァルトにとってどう重要なのかは分からないが。

 とは言え、神器の情報を得たい理由など、無理に隠すことでもないのかもしれない。もしクロードヴァルトが信用に値する人なら、いっそすべて話してしまう方が得だろう。同情が引ければ尚良い。

 とにかく、向こうが興味を持っているなら取引に使える可能性がある。ウィルフレッドはそう考えて、「個人的なことですので……殿下にお話しするようなことでは……」と話を引っ張ることにした。興味を失ってくれたらそれはそれだ。


「個人的に神器のことを?」

「はい。もちろん、貴国の神器を簒奪しようなどとは思っておりません。ただ情報を得たいだけです」

「ええ、貴公がそういう方だとは思っていませんよ」


 クロードヴァルトは物腰柔らかにそう言って、いくらか間を空けてから、「それほど話しにくいことですか?」と聞いてきた。


「それは……」

「では、取引をしましょうか。貴公が話してくれるのならば、私もこちらが知りうる神器の情報を出しましょう」


 そう言われればこれ以上引っ張る理由もない。ここまでして事情を聞きたがる理由は分からないままだが。

 ウィルフレッドはちょっと俯いてみせてから、「承知しました」と重々しく言った。しょうもない演技だ。

 そうすると、クロードヴァルトがくすっと笑って、「少し待ってください」と言う。そして、書類棚から一枚の紙とナイフを取り出し、机の上に並べた。


「貴公は随分と疑り深い方のようですから」


 クロードヴァルトは笑みを崩さず、ナイフで指を少し切ると、紙の上に血を垂らした。

 血の盟約だ。ウィルフレッドは驚きで反射的に手を強く握り込んだ。これは王家の血筋にだけ使えるものなのだ。

 魔力を多分に含む血は時間が経てば魔力が抜けて色を失う。王族の血とはそういうものだ。はじめ、魔力に恵まれ神器と契約ができる人間を王にしたというのだから、子孫も魔力回路が優れていて当然だろう。

 それを利用して、自身の血で綴った契約書を用意するのだ。それに血を落とすことで文字に魔力を通し、文字が浮かび上がっている間は盟約を有効とする。自らの魔力で自身を縛るのである。

 ウィルフレッドは何とか手の力を抜いて、「そこまでなさることでは……」と言った。嘘を禁じる文言が浮かび上がるのを見て、尚のことそう思った。


「いいえ。貴公の事情は、私にとっても重要なことです」


 クロードヴァルトは一体、どこまで知って話しているのだろう。情報的に劣位に立たされることは、これほど重圧を伴うものだっただろうか。

「それでは、どうぞ。話してください」と促されても、ウィルフレッドはすぐには口を開けなかった。いざとなれば魔力で制圧できる相手をここまで恐ろしいと思ったことは、今まで一度だってなかったからだ。




 第二王子に連れられて、パトリシア達は階段を降りていた。せっかく登ってきたのにと思わなくもないが、あのまま扉の前にいるのも居心地が悪いような気がしたのだ。

 それにしても、クロードヴァルトの言葉は一体どういう意味だったのだろう。ウィルフレッドはなぜ外に出ているように言ったのか、第二王子はどうやって窓から入ってきたのかもだ。考えても分からないことばかりである。

 パトリシアがうーんと唸っていると、シャクドウが「おい、兄ちゃん」と第二王子に向かって声を上げ、即座にルークにどつかれて階段を踏み外しそうになっていた。


「ルーク! 一体何すん……」

「シャクドウさん! 王子様になんて声のかけ方するんですか!」

「じゃあなんて言や良いんだ!」

「王子様か殿下です!」


 シャクドウが声を荒げたまま、今度は「おい! 王子様!」と声を上げ、またルークにどつかれる。第二王子はそれがいくらか面白かったのか、「はは、良いよ、そんなに畏まらなくて。私のことはベルトラートと呼んでくれ」と笑っていた。


「さて、シャクドウだったかな? 何か聞きたいことでも?」

「あぁ。ベルトラート、お前さん、どうやって窓から入ってきたんだ?」


 ロザリーは置いておいて、みんな気になっていたことなのだろう。シャクドウの疑問が出てすぐ、ルーク(口調を咎めるのは諦めたらしい)やヒナタも興味深そうに少し身を乗り出した。もちろん、パトリシアもだ。

 第二王子──ベルトラートと言えば、神器の契約者だと言われている。もしかしたら神器の力を使ったのかもしれないと思えば、興味が湧かないわけがない。


「えっ? 普通に登ってきただけだよ」

「階段をか?」

「いや、壁を」


 シャクドウがちょっと動揺した様子で、「壁って普通に登れるもんなのか……?」と確認すると、ヒナタが困ったふうに「記憶がないから分からないな……」と返す。

 パトリシアは内心で、「そんなわけないでしょ!」と言ったが、ベルトラートの手前大声を出せる気がしなくて黙ることにした。シャクドウみたいな命知らずにはなりたくなかったからだ。


「シャクドウ、君、変なことを気にするんだね」


 ベルトラートが楽しそうに笑って、「そういえば、頼み事はどうなったかな?」とパトリシア達に目を向ける。

 ルークとヒナタがちらりとこちらを見てくるので、パトリシアはふうと息をついた。ルークは緊張して言葉が出てこないのだろうし、ヒナタは記憶がないために自分が粗相をしないか気にしているのだろう。事実だとすれば、どちらも仕方のない理由である。


「第一王子様はすごいけど怖い方で、第二王子様は神様のような……」

「あはは! 神様だって……おっとすまない、口を挟んでしまったな」


 声を上げて笑うベルトラートの姿を見ていると、なんだか質問くらいはしても許されるように思って、パトリシアは「あ、あの、なんで王子様たちのことを聞くように言われたんですか?」と聞いてみることにした。


「うん? 大したことじゃないよ。向こうの人達は私のことを良く言ってくれるからね、兄上をそれでからかってやろうと思ったんだ」

「か、からかう……」

「兄上、怒るだろうなぁ。おかしいったら、はは!」

「怒らせて大丈夫なんですか……?」

「良いよ良いよ、兄上は寛容だからね。大抵のことは一刻半くらい土下座したら許してくれるよ」


 それは寛容と言うのだろうか。パトリシアはそう思ったし、ルークも同じだったようで、「寛容って……?」とこぼしていた。

 ベルトラートはそれを笑って、途中の窓を開くと、「向こうの尖塔の飾りが見える?」と指を差す。パトリシアは先端のことだろうかと思って、すぐに「はいっ」と返した。


「あれ、子供の頃に飛び乗ったら折れてさ」

「えっ」

「あ、庭園の像は見たかな? 金でできたものなんだけれど」

「み、見ました……」

「あれの首も昔折ったことがあるんだよね」


 その後も、割った壺が金貨百枚は下らないものだったとか、城の壁を崩してしまっただとか、随分な子供時代の話をいくつかして、「でも、兄上は全て土下座で許してくれたよ」とあっけからんと笑うベルトラートを見ていると、先程クロードヴァルトが冷たく対応したのが分かるような気がしてくるのだった。

 神器の契約者、神様のような人、そして助けてくれた人──そのとき抱いていた憧れに似たイメージが崩れるようだったが、それと同時に親しみやすい人で良かったとパトリシアは思った。これなら、フリーレンベルクの路地で出会った女の人のことも報告しても良さそうだったからだ。

 それなので、パトリシアはすぐに、「あ、あの! そういえば……他にも王子様達を探ってる? みたいな、女の人がいたんですけど……」と言った。


「そうなんだ? 君達以外にお願いはしていないんだけれど」

「でも、私達のこと小間使いって……」

「へぇ……」


 まだ緊張が残っているせいで取り止めのないパトリシアの言葉に、ベルトラートは少し考え込んでみせた。それから、「変なことに巻き込んでしまったようだね……随分緊張しているようだが、怖い思いはしなかったかい?」と優しく言う。


「だ、大丈夫です! ヒナタく……友達もいたので!」

「それなら良いけれど。まぁ、ロザリーもいるし心配はいらなかったかな」


 ベルトラートに、「そうだろう?」と呼びかけられたロザリーは、ちょっとだけ表情を曇らせて、「残念なことに、そのときパティちゃんとはぐれてしまっていたんです〜」と、本当に残念そうに言った。


「あぁ、それは残念だ」

「そうなんです、グライフだってベル様が倒されたって聞きました……」

「あはは、君ならグライフなんて一捻りだったろうにね」


「見せ場を奪ってしまって悪いね」とベルトラートが揶揄うように言うと、ロザリーも負けていない様子で、「次はきっと私の出番ですから〜!」と唇を尖らせる。二人は随分仲が良いようだ。

 ロザリーは一体何者なんだろうとまた思ったが、そんな二人を見ているシャクドウとルークが何だか暗い顔をしているので、パトリシアはロザリーの正体のことなんて忘れて、ついつい笑ってしまいそうになった。

 そうしていると、突然、「さて……」と窓に腰掛けながらベルトラートが言う。それなので、パトリシアは何か話があるのだと思って、「どうしたんですか?」と聞いた。


「いや、階段を降りるのが面倒になったなと思ってね」

「えっ? どういう……」

「私は下で待っていることにしようかな」


 ベルトラートは「それでは、後でね」と付け加えるなり、あろうことかいきなり階段を蹴って、ぐらりと後ろに倒れるのだ。

 パトリシアはきゃあと悲鳴を上げて、「王子様!」と窓から手を伸ばす。ルークやヒナタ、シャクドウまでもが窓際に身を乗り出した。

 それなのに、ベルトラートときたら、下に落ちながらひらひらとこちらに向かって手を振るのだ。庭園からも悲鳴が上がっているというのに!

 そうして、ベルトラートは途中でくるりと身を捻ると、屋根や壁の間を軽々蹴り跳んでみせて、どうやら怪我一つなく庭園に着地したようだった。

 その瞬間、パトリシアは気付いた。ベルトラートはピンヒールを履いていたのだ。それなのにあんな身のこなしができるものだろうか。

 そんなものだから、ぽつりと「王子様、ピンヒールだったのに……」とパトリシアがこぼすと、「レスティヒの木みたいな人でしょう」とロザリーが笑う。確かに、ロザリーの言う通り、ベルトラートは掴みどころのない人である。

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魂の遺産 とりとり @tori_piyo

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