それぞれのささくれ/KAC20244のお題【ささくれ】
鋏池 穏美
(
パンダ舎でパンダが一匹、女性飼育員に「
そんなんええから笹くれやという、熱い、熱すぎるほどに熱いパンダの熱視線。パンダ舎の中にある笹は食べ尽くした。今は名残惜しそうに、竹の部分をがしがしと噛んでいる。
(わいは柔らかい方が好きなんや……幹より葉っぱ……とにかく笹くれや……)
そんなパンダの呪詛にも似た眼差しが、パンダ舎の柵の外に向けられ、虚空をじっと見つめる──
***
「……痛っ!」
パンダ舎の柵の外、女性飼育員が声を上げながら自身の手を見つめる。季節は冬で、乾燥した右手の指先からは血が滲む。
「ああ……ささくれになっちゃった……」
普段は軍手をして作業をしているのだが、今日は焦っていたせいで忘れてしまった。と言っても、今日以外でも忘れたことは何度かある。
そう、彼女はおっちょこちょいなのだ。早とちりの勘違いもよくしてしまうお茶目さん。軍手を取りに戻ろうかとも思ったが、開園前に作業を終わらせなければならない。何としても開園前にパンダ舎の前を綺麗にしなければ、連れて行かれてお仕置を受ける──と、必死にデッキブラシで地面を擦る。
「うぅ……お仕置は嫌だよぉ……」
そんな必死に清掃作業をする女性飼育員を、じっと見つめる一人の男性の姿が──
***
(ああ……君はいつだって僕のささくれだった心を癒してくれる……君は僕の心の保湿クリームだ……)
そんな気持ち悪いことを考えながら、男性が女性飼育員に近寄る。女性飼育員はそれに気付かず、清掃作業を黙々とこなしていた。
(でも……、でもなんで! なんで僕を殺したんだ!)
そう、この男性は女性飼育員の交際相手。昨日の閉園後にパンダ舎の前で殺されており、気付けば地縛霊のようにパンダ舎の前にいた。死ぬ間際に犯人の──女性飼育員の顔を見たので、彼女に殺されたことは間違いない。確か閉園後にパンダ舎の前で、アイスを食べながら彼女を待っていた気がするが、殺される理由が分からない。
殺される瞬間、彼女が何かを叫んでいた気がするが、はっきりと思い出せない。そんな中、「なんで……なんで浮気なんてしたのよ……。あなたが浮気したから……」と女性が呟いた。
(え? 浮気? 僕が浮気? そ、そんなことしてない! 僕は浮気なんてしてない!)
叫んだところで、もうどうにもならない。自分は誤解されて殺されたんだと絶望する。だがそんな絶望する男性とパンダの目が合う。
(え? もしかして見えてる?)
(見えとるで。そんなんどうでもええから笹くれや)
(え? ってことは昨日も見てた? 僕が彼女に殺されるの見てた?)
(見とったで。なんかよう分からんが、てめぇがぶつぶつ呟いたの聞いてよぉ、あの女ぁブチ切れてたで。そいでてめぇの頭を手頃な棒状の
(いやいや、草食でしょ?)
(雑食の特徴も少ぉし残っとるんや。それより笹くれや)
(分かった! 笹あげるから僕が何を言っていたのか教えて!)
(てめぇ! ぶち殺すぞ!)
(ええ!? なんでブチ切れて……)
(幽霊がどうやって笹持ってくるんや! ジャイアントパンダなめとったら痛い目見るで! とりあえず揉んだるわ! こっち来いや!)
ブチ切れたパンダが男性にガンを飛ばす。すると男性の体がパンダに吸い寄せられ始めた。抗えない吸引力。客寄せパンダとはよく言ったもので、ぐんぐんと吸い寄せる。気付けば男性とパンダの体が重なり──
***
次の瞬間には、男性の視点がパンダの視点に変わっていた。そう──
パンダとがっちゃんこしたのだ。
(ちっ! なんでわいに取り憑いとるんや!)
(ぼ、僕だって分からないよ!)
(とりあえずさ……さ……笹……さ……スーパー〇ップバニラ味くれや! はっ! なんや! 笹やのうてスーパーカッ〇バニラ味がめちゃくちゃ食いたいで!)
(あ……それ僕の好きなアイスだ。冬に食べると堪らなく美味しいんだよね。まあたまには違うのも食べたくなっちゃうけど……って、そういえば昨日も冬にあんまり売ってないアイス食べたなぁ)
(ちっ! てめぇのアイス愛なんぞ知るかぼけっ! わいは笹以外食ったら腹ぁ壊すんや! どうしてくれるんや!)
(し、仕方ないだろ? それより昨日の記憶を教え……うっ……、なんだ……? 勝手に頭の中に昨日の記憶が……)
唐突に男性の中に、昨日の記憶が流れ込む。笹を食いながら柵の外を眺めていたジャイアントパンダの記憶──
そう──
なぜ男性が殺されたかの記憶が──
***
さて、ここまでで全ての情報は出揃いました。皆さんはなぜ、女性飼育員が交際相手の男性を殺したのか、お分かりになりましたでしょうか?
では二人と一匹の物語の結末をご覧下さい──
***
思い出した記憶の中、男性がパンダ舎の前でアイスを食べ終え、空になった容器を置いて手を合わせる。そのまま「ごめんな……、浮気しちゃったよ……。どうしても欲しくて……。なかなか会えないからさ……」と呟く。それを男性の後ろで聞いていた女性飼育員が──
そう、男性はいつもスーパーカッ〇バニラ味を食べていた。だが、この日は冬になかなか出会わないアイスに出会い、思わず浮気してしまったのだ。浮気してしまったことに罪悪感を感じながら食べ終えた男性が、手を合わせながらスー〇ーカップバニラ味に謝罪の言葉を述べ……。
それを浮気の独白だと勘違いした女性飼育員が撲殺──
というのが事の顛末である。
記憶を取り戻した男性は、思わず叫んでしまった。
「サ、サ〇レのことだから! サク〇アイスのことだから!」
と。
だがもはやパンダとなった彼の声は、悲しき獣の慟哭として響いただけだった──
それぞれのささくれ/KAC20244のお題【ささくれ】 鋏池 穏美 @tukaike
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