玩具箱の卵

時輪めぐる

玩具箱の卵




「何だろう、これは」

 タカシは、古い玩具箱おもちゃばこの底に、それを見つけた。


 有休を利用して、実家の荷物の整理に来ている。両親と祖母が鬼籍に入り、長く空き家になっていたが、行政指導があり、解体することになった。ずっと気になっていたけれど、仕事に追われ、空き家の処分を考える時間は無かった。

 有給休暇を消費する旨を伝えた。有休は労働者の権利なのだから、問題ないだろう。入社以来、有休を取ったことは、一度もなかった。取れるような状況ではなかった。会社の携帯端末は置いて来た。

 何はともあれ、仕事を完全オフに出来るのは、どの位ぶりだろうか。


 子供部屋の押し入れには、幼い頃の玩具箱がそのまま残っていた。何でも大切に取って置く祖母の顔が目に浮かぶ。

 当時人気だったキャラクターの人形、怪獣、大型戦闘ロボット、ガチャガチャのカプセル、カードゲームのカード。

 皆なつかしく、手を止めてしまうので、作業は遅々ちちとして進まない。懐かしさばかりでなく、売れるだろうかと考える自分に気付いて、タカシは一人苦笑した。


 仕分けし終えた箱の底に、それはあった

 何だろう。これは、何だったのだろう。銀色の卵を平たくつぶしたような形。小型の育成ゲーム機だろうか。しかし、どこにもボタンもディスプレイも無い。つるりとしたフォルムから、これが何だったのか、どう遊ぶ物だったのか思い出せなかった。

 手に取ってしげしげと眺めていると、少し熱を持って温かくなってきた気がする。

 携帯カイロなのだろうか。

 不意に、タカシは思い出した。これは。



 ――両親は、タカシが小学三年生の時に交通事故で亡くなった。あおり運転による追突事故の被害者だった。祖母と留守番をしていたタカシは、訳が分からなかった。

「お父さんとお母さんは、悪い事したの?」

 日頃、祖母から因果応報いんがおうほうの話を聞かされていた。自分のしたことは、めぐり巡って返ってくると。良い事をすれば良い事が、悪い事をすれば悪い事が。

 世の中に理不尽な事があふれていることを、まだ知らなかった。祖母は静かに涙を流しながら、首を横に振った。

 理解不能だった。タカシは家を飛び出した。

 走って、走って、家の裏手にある小さな神社に辿たどり着いた。

 そこは、鬱蒼うっそうとした森に囲まれ、地元の者だけがお参りするさびれた神社だ。

 両親と散歩がてらに立ち寄ったり、秋に催されるささやかな祭を楽しんだりする場所だった。


 しゃくり上げながらタカシは、無人の本殿の階段に腰掛けた。

 何故なんだ。両親は何も悪い事をしていないのに、命を奪われてしまった。今日も遠方にボランティア活動に行っていた。良い事をしに行ったのに。いつもお参りしていたのに。どうして神様は、まもってくれなかったのだろう。顔を膝に押し当てる。膝は、止めどなく流れる涙で濡れていった。


 どの位経っただろうか、気配を感じて顔を上げた。ぼんやりと涙でかすむ瞳に、小さな銀色の何かが映る。それは人型をしていたが、人間では無かった。背丈は幼児ほどで、耳も鼻も無く、つるりとした体表と、大きな二つの黒い目を持っていた。

 神様だろうか。

 不思議と怖くなかった。それから感じ取れる波動のようなものが、温かで友好的な気がしたからだ。

『ドウシタノダ』

 と訊かれた気がした。

「お父さんとお母さんが、死んでしまったんだ」

 口に出すと、それは、より現実味を帯びて、悲しみと喪失感で圧し潰されそうになった。

 銀色のは、タカシに近付くと長い指を伸ばして、涙をぬぐった。指は三本しかなかった。

『コレハ ナンダ』

「……涙」

『ドウシテ デルノダ』

「……悲しい、から」

『コノ ミヲ フルワス ハドウガ カナシイ トイウコトカ』

 銀色のは、波動に共鳴したように黒い大きな瞳から涙をぽろぽろこぼした。

『カナシイ カナシイ カナシイ……』

 それは、物理的な共鳴だったかもしれない。

 しかし、悲しみを分かち合う相手を見つけ、タカシは、を抱き締めてむせび泣いた。

 は、宇宙の彼方から来たという。

 そして、タカシが再び、どうしようもなく悲しくなったら手に取れと、この謎の物体をくれたのだった。



 両親の葬式や、その後の生活にまぎれてしまっていたが、当時の悲しみを正面から受け止めてくれたを忘れていたとは。

 改めて、手にした物体を見る。

 どうしようもなく悲しくなったら手に取れと言われたが、今はその時なのだろうか。

 悲しいというより、今は、どうしようもなく苦しく辛い。

 アパートに寝る為にだけ帰るような生活で、心も体も悲鳴を上げていた。

 一日の殆どを仕事に注ぎ込み、努力しているにもかかわらず、成果は思うように上がらなかった。上司や同僚に叱責しっせきされ、評価を得ることも出来ず、職場での居場所は無くなっていった。

 こんなはずではなかった。もっと、出来ると思っていた。意欲に燃えていた入社当時を想い自嘲じちょうする。

 幼かったあの日、タカシは理不尽を知った。

 そうだ。こんなものなのだ。

 どんなに努力しても報われることはないのだ。


 そんなことを考えていると、掌の上のそれは微かに発光し始め、突然、室内は真っ白になるほど強烈な光に包まれた。

 光と共に瞬間移動したのだろうか。

 タカシは、空を移動する乗り物の中にいる。

『カナシイノカ?』

 あの日の銀色のが隣にいた。

 驚きより、懐かしさが勝った。

「今は、……苦しい、辛い、かな」

『ミガ ヨジレルヨウダ ツブサレルヨウダ』

 タカシの心の波動を感じ取って、は苦しそうに胸に手を当てた。

『コレガ クルシイ ツライ』

 記憶に刻んでいるようだ。

『ドウシタノダ』

 は、十四年前と同じ事を訊いた。


 タカシは、仕事に追われ心身共に余裕の無い生活をしていることを話した。新卒採用で第三希望の会社に滑り込めたが、思うように成果が出ない。職場に自分の居場所は無い。

 しかも、自分の心の拠り所であった実家も解体することになり、自分には、もう帰る場所が無くなる。そう口に出して理解した。自分が実家の処分が出来なかった理由。

 勿論もちろん、時間的余裕も無かったのだが、帰る場所を失うのが怖かったということを。

『オマエハ ナイトイウガ アルデハナイカ』

「えっ」

『ワタシノホシハ ホロビテシマッタ ドウホウハ チリヂリニナリ ユクエモ ワカラナイ』

 十四年前、タカシと遭遇そうぐうした頃、母星は全面戦争状態になり、滅んでしまったのだという。異星人の感情をサンプリングしていたが、集め回ったサンプルも、もう使われることはないと言った。

 そして驚くことに、銀色の平たい卵の様な物体が、この乗り物なのだという。

 どんなテクノロジーなのか、タカシには想像もつかないが、各所にある卵に同期し、搭乗出来るようだ。

『ワタシト トモニ イクカ?』

 の言葉に孤独の波動が共鳴する。

 共に命尽きるまで、未だ見ぬ宇宙空間を彷徨さまようのも悪くない。どうせ帰る場所もなく、天涯孤独てんがいこどくの身だ。過重な仕事やわずらわしい人間関係を打ち捨てて行っても良いのではないか。自分がいなくなっても大した影響はなく、誰も困らないのではないか。

 タカシの心は揺れた。


 空飛ぶ乗り物は、富士山の上空をゆるい速度で通過した。雲海にそびえる様はおごそかで身が震える光景だった。

 この星は、まだ存続している。世界のどこかで戦争は起きているが、それでも美しい風景や人々の営みは、絶えることなく続いている。

 タカシの仕事は、この星にとって何ということもない事なのかもしれない。それでも、誰かの役に立っているのだと思いたい。

「いや、俺は、もう少しこの星で頑張ってみるよ。今の環境で駄目なら、他の道を探してもいい。貴方の星のように滅びない為に、自分の出来ることをする」

『イノチハ ツキタノニ マダ ガンバルノカ』

 抑揚よくようのない言葉だったが、悲しみの波動を感じた。

「尽きた?」

『オマエハ 20xxネン 3ガツxニチ ゴゼン0ジ 38プンニ シボウ シタ』

 一週間ほど前の日付だった。

「俺が死んだ?」

 タカシは、笑い声を上げた。

 そんな馬鹿な。

『カイシャデ カロウシ シタ』

 タカシの笑う口は次第に閉じられた。


 そうだ。俺は一人、会社で終わらない残業をしていた。走馬灯のように、自分の死までの映像が俯瞰ふかん視点で、脳裏を巡った。既に魂は体から離れてしまっていたのだろうか。

 照明を落としたオフィスに、タカシのパソコンのディスプレイだけが明るい。

 コンビニ弁当の殻と、飲み干したコーヒー缶が散らばる机の上。頬がこけ、目の下にくまを作ったボサボサ頭のタカシは、キーボードの上に突っ伏すように息絶えていた。


「そうか。俺は死んだのか」

 自分の両手をじっと見ると、少し透けていた。

 気掛かりだった実家に、魂は飛んで来たのだろう。

「報われない人生だったな」

『オマエハ ウチュウヲ エイエンニ タビスルコトガ デキル』

「確かに」

 笑いたくなった。

 宇宙飛行士でなく、普通のリーマンだったタカシは、今、大気圏たいきけんを飛び出そうとしていた。

「一緒に連れて行ってくれ」

 苦しく辛かった気持ちは、いつの間にかほぐれ、晴れ晴れとした澄み切った気持ちになっていた。


 銀色の卵の様な物は、古い玩具箱の中から消失していた。




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