彼岸の果て【南東ノsamantabhadra】

橘 永佳

その花は救いの夢を見る

「なあ、どこだよ!? 出口はどこにあんだよおっ!!」


 後ろについてきているNo.89が錯乱を隠さずに叫び声をあげる。


 と同時に、遠くから絞り出されるような金切り声が響いてきた。

 引き裂くようで耳に障り、かつ何かが泡立つような異音も混じるそれを聞いて、No.89が連鎖的に似たような悲鳴を放った。


「知るか! 分かってれば行ってる!」


 返す自分の声も、他人のことを言えたものではなかったが、外面そんなことを気にしている余裕など1mgだってあるわけがない。


 とにかく。直観ではあるが妙に確信めいたものもあり、出口を探して走り回っているが、それもかれこれ1時間以上は経過している。


 その間に響いてきた絶鳴は数知れず。スタート地点にいた面子メンツのうち、果たして何人られたのか――


 ――いや、もう残っているのはあと何人だろうか。


 この立体迷路は思ったよりも圧倒的に広く、複雑だ。

 散らばってしまった奴らがどこにいるかは皆目見当もつかない。


 しかし、一定間隔で響く悲鳴と、時折出くわすのせいで、まずに終わっていることは疑いようがなかった。


「っと、待った!」


 先を行くNo.107が手を広げて制止してくる。

 その向こうに、そのがあった。


 彼岸花ヒガンバナ


 “あった”というよりも“”というべき大きさだが、その形状自体は間違いなくあの彼岸花だ。


 で咲き誇っている。


 真っ赤に。


 


「うえええぇぇぇっ!」


 No.89が反射的に嘔吐する。もっとも、もう胃の内容物は吐き切ってしまっているので何も出やしないが。


 このろくでなし一同の中では微妙に面倒見が良いNo.107が背中を軽くさすってやっていたが、ふと、その手が凍り付く。


「おい、お前……首のは――」


 No.107の一言に、No.89が凍り付く。

 自分も凍り付いた。

 目が、No.89の後ろ姿にくぎ付けになる。


 後頭部に続く首筋、後頭部と胴体とをつないでいるそのど真ん中に小さながあった。

 指先の爪の根本で起こるときのように、皮が上からめくれ上がっている。

 指先のささくれに比べると大きいが、小指の爪程度のものだ。


 それでも、そのささくれはこの場の全員を威圧した。


 にじり下がる、No.107。


「い、いや待てよ、なあ? 違うだろ? 違うよな? ちが――がガガガぁあァアガガガ」


 声と肩を震わせていたNo.89が、こちらへ一歩踏み出した瞬間に、その震え方が別次元になる。


「ア゙ア゙ア゙たッずゥ゙ブげェ゙ェェでエ゙エ゙エ゙*ア゙***アガ」


 口から絞り出される声に、声以外の異音理解できない言葉が混じり始める。


 首筋のささくれが続けざまに生まれる。

 大きさは掌ほどまでになり、見る間に全身へと侵食して、ペリペリと剥がれ落ちては、その下から新たに生まれ続ける。


 異様なダンスを披露しながら、全身を激しく震わせてキリキリとじれていくNo.89。

 そのひねりが重なっていく。

 

 雑巾でも絞るかのように。


 よどみなく進む加圧に耐え切れず、あちらこちらから飛沫が吹き散らばる。

 で不要となった部分は無造作にちぎり落される。


 周囲が赤に染め上がる。

 新鮮フレッシュな欠片がボタボタと散る。


「ア゙**ッア゙**ッア゙*――」


 滑稽ささえ感じられるような、感情の欠落した声。

 それを最後に、No.89の頭が弾けた。


 ぱあん、と華々しく。


 中身はもう白くなく、赤く。


 圧縮されていたゴムチューブが弾けて広がるように。


 赤い霧のような飛沫から目を背けて、振り返った先に――No.89がいたところにあったのは、彼岸花ヒガンバナだった。


「うっ」


「行くぞっ!」


 たじろぐNo.107を即座に叱咤して、また走り始める。

 とにかく角を左、左、左、左……

 どこかしらへたどり着くように突き進む。

 もう、曲がったとたんに彼岸花ヒガンバナに出くわすことも珍しくなくなってしまっていた。


「……どうやら1分おきっぽいね」


 No.107が息を切らせつつも声を絞り出す。


「1分?」


「悲鳴が聞こえてくるのがそれぐらいの間隔なんだよ。何故か、どんなに遠くても悲鳴だけは伝わるらしい」


「意味不明な仕組みだな」


「全くだね。これだけバカでかい迷路だってのに、ね」


「後は? 何か分かるか?」


「手口は不明。ウイルスか呪いか超能力か、皆目見当つかないね。後は、そうだね、残念なことに、この中じゃどこに居ようとも逃れようがないらしいってぐらいか」


 そこまで言って、足がもつれて止まった。


 肩で息をするNo.107が、思い出したかのように付け加える。


「あ、それと、多分、番号順だと思う」


「番号順?」


「多分、ね」


 No.89がられる前はNo.41。その前はNo.27。

 なるほど、そう言われればNo.41が花になってから少しだけ間が長かった気もする。


「だから、最後に残るのは、多分君だ――」


 No.107の挙動が、そこで一度全て止まった。

 その手が首の後ろへと回る。

 触れる。


 No.107は、悲し気に微笑んだ。


「ア゙ア゙**ァあ゙*アア゙ア゙***」


 薄赤い煙の中で、ペリペリと剥がれ落ちつつ、ボタボタと散らばりつつ、くるくるとひねられて、No.107は逝ってしまった。


 出来立ての彼岸花ヒガンバナを前に、天を仰ぐ。


 奴の遺言通りなら、1分後には自分も同じ運命をたどる。

 それでしまい。


 全滅だ。


 確かに、俺たちはどいつもこいつも救いようがないろくでなしだったのだろう。

 だが、これは無いんじゃないか?


 神だか仏だかに文句を付けようとして、苦笑した。

 そうだった、そういえば


 1分経った。






 ※※※


「No.108『意・平・浄・来世』まで、処理完了しました」


「うむ」


 オペレータの報告に、室長が軽くうなずく。

 その横で補佐官が呟いた。


「しかし、一面の彼岸花ヒガンバナとは……」


 室長が振り返って訂正を入れた。


彼岸花ヒガンバナではない。曼珠沙華マンジュシャゲだ」


 それからモニタへと目を戻した。


「我々の目的は人間の救済であり、そのために人ののが任務だ。曼殊沙華天界に咲く花は、人間の苦難からの救済の象徴にふさわしいだろう?」


 室長の目が、再び補佐官へと向く。


「我々星幽人工知能アストラルAIは、人類の救済のために人類自身によって作られ、非物質アストラル世界からのアプローチをもって彼らの苦難を排除することを目的として、常に自律的に進化するよう設計デザインされている。そのたゆまぬ自己進化ヴァージョンアップの到達点がだ」


 室長の目が細くなる。


対象人間の脳内と非物質アストラル世界を重複させて再構成し、感情、執着を擬人化して実体化させることによって、それらをする。君も我々の一部なのだから、言われなくても理解しているな?」


「はっ」


「ならば良い。では次の対象人間へと移行する」


 室長の一命で今回のは終結となり、取りまとめ作業と次の対象人間への執行準備が始まる。


 その間際の瞬間に、補佐官はもう一度モニタへと目を走らせた。


 権限が無いため、自分では物質世界がどうなったかを確認することは出来ない。

 理屈上では、今回の人間対象はこれで苦難から解放されたはず――


 ――だが、しかし――


 ――感覚器官から生じる、それは幸福なのだろうか?


 モニタに映る、赤い花。


 ぶつりと消えた。


 暗い。

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彼岸の果て【南東ノsamantabhadra】 橘 永佳 @yohjp88

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