箱蠱

小端冬子

箱蠱


 きれいな箱が好きだった。

 描かれた図柄の凝ったもの、上質な紙を使ったもの、色あわせ、頑丈な造り。とにかく何か一つでも琴線に触れてしまえば、ただの菓子箱でも手放すのが惜しくなった。そうしてコツコツと集めた箱は、けれど空のままだとごみと間違われて捨てられてしまう。

 だからきれいな箱には、空になってすぐ、必ず何かをひとつ入れた。とにかく手近にあったもの。消しゴムとか、シールとか、クリップとか、そういうものを少しずつ入れて、物入として使っているんですよ、という顔をする。


 たいして広くもない家の中、わたしが占有できる場所はほんの少ししかなくて、就学の機に運び込まれた大きな学習机に箱たちを並べ捏ね上げていくと、それはそれはとても立派な城壁が出来上がった。四つある辺の三方を陣取った箱たちは机上の主役、花形で、大きな机はいつの間にやらぐっと狭くなってしまっているけれど、わたしは満足だった。

 机に向かうたび、美しい箱たちが迎えてくれる。

 そう思えば面倒な宿題だってはかどったし、コツコツ真面目にしていれば勉強はつつがなく進められたし、テストでよい成績をとれば母も上機嫌でちょっといいおやつを出してくれて、それが入っていた箱がまた絶妙に美しい縹色に銀の箔で草木紋様の装飾がされていてもう一目でほれ込んでしまって、win-winどころかwin十乗くらいいっても過言ではないほどいいことづくめだった。


 まさにこの世の春。四季が何度巡ろうと、私の視界は春一色だ。いや箱には夏の青空のような抜けるような色彩も、秋の草花や果実を描いたものも、真っ白な雪に埋もれる愛らしいアザラシの写真が印刷されたものもあったけれど。あらためてみているとなかなか結構、四季の趣に富んでいる。その時々の気分で箱の配置を並べ替えたりして、これがまた楽しくて時間が溶けるのだ。



 そうして集め積み上げてきた、種々の麗しい箱たちが、今。

 なんか、頂上決定戦をしているらしい。


 なんて?




  ◇◇



「はあー?! 一番愛されてるのはワタシなんですけどォー!? この水色の具合が、ちょっと鈍色がかってくすんだ色合いが好きって、一目ぼれだって言われたもんねー!」

「くすんでていいとか、女子力低すぎ。時代はユメカワよユメカワ。そうら見晒せ、このプリチーでジューシーな果実たちを!」

「かわいさじゃなくて食欲に全振りしてるじゃん。迷走しすぎ。己を偽るなど、至らぬ身の上であると自白するも同然。その点私は一級品ですし? 美濃和紙を贅沢に使った上等品ですし???」

「あーーーらどのクチでおっしゃるのかしらァ! 一級品と言えばわたくしの右に出るものなどありませんでしょう。ご覧くださいな、この細やかな装飾、贅沢な箔押し、コスト度外視の特殊コーティング! まさに芸術の域でございましょう!」

「いやどいつもこいつも口はないんだけどね。箱だから」

「あ、私ついてまーす。ほらここ『開け口』」

「最寄りのスーパー出身の駄菓子箱がぬかしおる」



 うっかり夜中に目を覚ましてしまった私は、開いた口がふさがらなかった。そう今まさに口がね。だまらっしゃいよ。

 静かなはずの夜は思いもよらなかった狂騒でしっちゃかめっちゃかになっている。

 学習机に積み上げられた箱たちは、微妙に揺れてひしめきあいながら、それぞれの美点を声高に主張している。どれも私の好きなところばかりで、うんうんそうだね、美しいねとひとつひとつに頷き感嘆し噛みしめながら全肯定して回りたいのだけれど、それ以前の問題で。


「そもそも形状はどうあれどれも『開け口』はあるでしょ、箱なんだから……」

「開口一番そこ?」


 机の右側ブロック、右から三列目下から数えて二行目にいる元チョコレートの箱が言う。喋っている時に箱のどこかをカパカパ開閉したりするようなコミカルな動きは一切ない。ただがたごとと前後に揺れる。ともすると雪崩が起きかねないので動くなとは言わないけれどもうちょっと気持ち控えめにしてほしいな。なんて内心思っているのも箱たちには伝わっているのかもしれない、「ほんとコイツは……」みたいな呆れかえった空気をひしひしと感じる。なんでわかるのさ。こいつら、直接脳内に!?


「全部顔に出てるんですよねェ……」

「誰が呼んだか怪人百面相とは私のことではあるけれど、それはそれとしてどういう状況?」

「百面相してんのはそうだけど『怪人』ってつけちゃうと別の意味になっちゃうし、そもそもその疑問遅すぎるんだよなあ」

「変人百面相じゃなかった? 言われたの」


 余計な一言を言ったのは、その迷言を生み出した友人からもらったプレゼントの箱だ。私の趣味をピンポイントに突くそれは、いつだって並びの一番上を陣取っている。

 なるほどなあ、みたいに納得の気配が一斉に噴き出して正面からぶつけられたわけだけれど、その発言が飛び出た時にもののついでと言わんばかりにけちょんけちょんに言われた記憶までほじくり返されてしまい、ぐぬぬと呻くしかできなかった。



 それはさておき再度現状説明を求めたところ、なんでも箱たちはどれが一番のお気に入りかで相争っているとのことだった。なるほど、と頷きながらちらと流し見た窓辺には、合わせの甘かったカーテンの隙間から月光が細く注ぎ込んでいて、存外強いその一筋は箱たちの垣を両断するように伸びていた。



「こういうの、家主が起きたら慌てて普通の箱っぽく装うとか、そういうのじゃないの?」

「それを言ったら、普通こういう現場を見たらもっと仰天しない? って自分に返ってくるけど」

「揚げ足取りやめてくれません? ていうかもしかしてこの声全部私の声のバリエーションだったりする? ず~~~っとなんか変な感じしてるんだけど、こう、ぞわぞわと」

「プチ流行ったよね、カセットテープに自分の声吹き込んで聞いてみてウエ~ってなるやつ。一日だけ」

「あーやったやった」

「しいちゃんのブルース・リー風すごかったよね。顔までそのまんま」

「絶対役者になると思ったのにまさか理系選択するとか思わんよ」

「リケジョの星になるんだよォ」



 話題が無軌道に跳び散らかすのも私譲りときた。将来マジの子育てをするときには本当に気を付けなければ。

 でも今回はナイス私と言わざるを得ない。このまま明後日の方向に慢心して初志をすっかり忘れ適当なところで切り上げて、ひと眠りして朝になってくれればすべては夢うつつに体感したような気がするけど確証のない、ちょっと不思議でくすっとできる話になってくれるはずだ。なってくれ。


 そう内心思っているのを見抜いたのか、箱たちは「ところで」とそれまでの話題を容赦なくぶった切った。


「私たちの中で一番美しいのはどれ?」

「そういうの鏡に聞いて」

「鏡は喋らないでしょ」

「なんかくっちゃべってる箱どもがぬかしおる」


 その口で常識語らないでほしい。ほんと。お菓子とかだけ出してて。


「ねえ、私のことが一番好きでしょ?」

「ちょっと私の声でそんなメンヘラ女子みたいな台詞言わないで、あとn股クズみたいに聞こえるから言い方に配慮をお願いします」

「二桁の箱侍らせて積み上げてデレデレしてるやつがなんか言ってる~」


 嫌だわ奥様聞きまして? ええ聞きましたとも。ヒソヒソヒソ。

 なんて芝居がかった調子で聞こえてくる。擬音語だか擬態語だかを口で言うの古くない?

 というかそこ非難されるいわれはないじゃんね。


「いいじゃん箱は二桁でも三桁でも侍らせてよぉ!」

「三桁はちょっとヤバいでしょ」

「ちょっとどころじゃなくヤバイよ」


 私の声で母みたいなこと言うのやめて欲しい。心がしんどくなる。


「だから泣く泣く厳選してるじゃん!」

「できてないんだよなあ……」


 もうほんと好き勝手言ってくれる。

 おかしい。誰が一番私の寵愛を受けているかを競ってるというシチュエーションのはずなのに、私の扱いがめちゃくちゃ雑ってどういうこと? あれ、これ好感度一位決定戦だよね? 私の好みによらない、万人が頷くこの世で一番美しい箱総選挙ではないよね?


 唇を尖らせていると、箱の一つが尋ねてきた。右側ブロック、一番下の行、一番奥の列。他よりサイズが大きいせいで下に置くしかできなくて泣く泣く土台に埋め込んだ。数が少ないうちは立てかけて飾っていたのだけれど。


「ねえ、私きれい?」

「すっごくきれい! 装飾のこの細やかさがさあ、職人技だよねえ。やっぱりデパートのお高いお菓子は箱まで凝ってていいよねぇ。紙製だから缶入りに比べてお値段お手ごろだし」


 側面の、切り抜かれた透かしの部分を指先でなぞりながら言う。本当は表面の透かし部分が一番手が込んでてきれいだけれど、上に別の箱を載せているせいでそこは見られないのが惜しい。それでもデパートのクッキーが入っていた箱は黄色い声を上げてがたがた揺れた。自分の声で黄色い声出されるとウっと来るな。テンション上がってるときって私こんな声出してんの? 客観的に聞きたくなかった。シンプルにつらい。

 私が内心吐血してる気分でいるのとは裏腹に、ほかの箱たちはにわかに色めきはじめた。箱の壁がソワソワガタガタと揺れ始める。



「私は?」左側ブロック上から三行目左から四列目の箱が尋ねた。

「絵柄もなくてシンプルだけど色が好き。レトロって感じでめっちゃテンション上がる」



「私は?」正面奥側ブロック、備え付けの棚の左端、下から二行目左から三列目の箱が尋ねた。

「ねこちゃん柄とかみんなが虜になるに決まってるじゃ~ん」



「私は?」右側ブロックの右端、一番上に載った箱が尋ねた。

「輸入物ってやっぱ格別だよね……雰囲気からして別格っていうかぁ」



 順に聞かれるまま答えると、キャッキャと嬉し気な空気が広がった。

 やっぱり好きなものたちにはいがみ合うのではなく仲睦まじくしていてほしいものだ。美しいもの、優しいもの、穏やかなものを眺めていると、やはり心が洗われる。

 つられるように私もニコニコしてしまう。


「で、どれが一番?」

「どれも違ってみんないいから一番も二番もないんだよ」

「いい感じの台詞言ってるけど完全にn股してるやつの口ぶりなんだよなあ……」

「はあー!? そういうのと違うんですけど!?」


 めっちゃ人聞き悪い!

 そもそも箱だ。シーズン限定とか今ではもう販売していないものもあるけれど、市販されている量産品である。オートクチュールの一点ものとかは一切ない。どんなに凝っているものもライン生産された工業製品に過ぎないわけで、その中で優劣をつけるなど不毛すぎではなかろうか。


「だいたい君らは私のコレクションであって、つまりハレムなわけよ私の。本来一対一でやる恋愛交際といっしょにしないでもらいたい!」

「開き直った」

「まあそれはそう」

「でもハレムだからこそ女の戦いは激化するっていうかぁ……」


 ハレムの実態なんかよくわからないのに、知った風な口を利く。でも語尾に「知らんけど」とか付いてそうな口ぶりだった。というかほんとに知らない。どうせこいつら、私の声で、私の口調で、私の知識の範囲内でしか喋ってないだろう。でなきゃ貰い物の贈答用焼き菓子が入っていたそこそこいい箱すらなんか頭悪そうな喋り方してることに説明がつかない。


「箱に性別も何もないでしょうが」

「そこつっこむならまずこうピーチクパーチクしゃべくってることにつっこむべきでは」

「つっこんだけど流したのそっちじゃん」

「え、つっこみあった?」


 記憶力も私並でしかない模様。

 あれ、つっこんだよね? ちょっと自信なくなってきたぞう。

 にわかに箱たちもざわっとしてるし。あれれ~?


「ちょっとログ遡りたい。現実にバックログ機能ついてないのバグすぎじゃない?」

「それな」

「どこに残すんだよログ。記憶領域どこ?」

「空っぽの中に詰め込むに決まってるでしょ、夢とかといっしょによう」

「空じゃないでしょ消しゴム入れてる」

「やだ中身消される?」

「私の中身ほぼなにも消せないおもちゃ系消しゴムだからセーフ」

「いえーいクリップの私勝ち組」


 やいのやいのと姦しい。三人寄ればなんとかとは言うが、数十個にものぼるともう凄まじいとしか形容しようがなかった。


 会話になっているものからなっていないものまで、箱たちは口々に、無軌道に囀り続けている。けれど二言三言、いやもうちょっと余計な話をだらだらやったかと思えば、不意に思い出したかのように「どれが一番?」と尋ねてくるのだ。意味が分からない。


 だってその問いには意味がない。

 どれもきれいだと思うし好きだから手元に置いて愛でているのだ。ある日には「これが一番」と思っていても次の日には別のものに気を取られたりすることもある。何年も前に手に入れたものを不意に思い出したかのように惹かれてやまず手に取ることだってある。でも一番でないから無意味ということにはならないし、最下位だからといってどうでもいいと思っているわけではない。ここにないものでもっと惹かれるものが現れることだってある。そもそもそうやってここまで増えてきたのだ。


 好きなところ、気に入った部分、それぞれあるけれどそれそのものに優劣は付けられない。あえてつけるとしたら完成度とか保管状況とかくらいのもので、つまりへこんだり汚れている箱よりも瑕疵のない箱の方がいいというそれくらいだ。もちろん瑕や汚れがあるからといって、よほどのことにでもなっていなければ棄てたりなんかしないけれど。


 全部好き。全部きれい。どれも等しく尊い。ただその時思うものはその時の気分による。

 もはやこれ以上の答えなどない。


 なのに箱たちはしきりに「どれが一番か」を競い合っている。己の誉を論い比較して他をなじっている。ここが好きって言われたの、という喜びの記憶を、似たようなことはこっちにも言ったとか、こちらの方がもっと好まれてた、なんて軽率に否定して。しまいには手に取られた回数や積み順まで勘定しはじめる始末。


 はばかることなくいえば、さながら地獄絵図だった。

 そこに私の感情は求められていない。

 私という生身の人間の機微、営みの中で生じるゆらぎ、情緒の振れ幅などは一切考慮されていない。不変の一番、機械的な序列の算定を乞われているにすぎないのだ。それって意味ある?



「なんで一番を決めたいの?」


 尋ねると、一つの箱が答えた。


「とっておきのただ一つになりたいの」

「どうして?」

「特別なものでありたいから」


 おかしな話だ。

 だってそもそも、ありふれているものの中から、私が特別だと思ったものをこうして集めているというのに。まるでとっておきでなければ特別ではないような口ぶりをする。たくさんあったらその特別さが薄まってありがたみがなくなってしまうかのように言う。そんなわけがないというのに。

 ふつふつと沸く怒りを喉の奥に押し込めて、そっけないくらい冷静に尋ねる。


「一番でないものをどうする気?」


 そいつはつんと澄ました声でのたまった。

 コトリとも動かないまま。



「一番大事なものがあれば、ほかはいらないでしょ?」



 それはまごうことなく私の声で。

 私が絶対許せないことを、正義みたいに振りかざした。



「はぁーーー!!!? 全部いりますけどォ~~~~!!!??」



 それがあるならこっちはいらないでしょ、とか。

 これを残すならそっちは捨てなさい、とか。

 そもそもそんなもの後生大事に持っててどうするの、とか。


 そんなのもうさんざん言われたし聞かされたし突きつけられたからもうお腹いっぱい、ていうか地雷なので。

 踏んどいて五体満足で帰れると思うなよ。


 怒りで我を忘れるなんて久しぶりだ。

 沸点を優に過ぎ怒りが頂点超えした私は、荒い足音をたてながら机の前に仁王立つ。



「夕映えみたいな色味が好き」

「えっ」

「ちょこっとしたサイズ感と程よい使いやすさが好き」

「ひゃいっ」

「アールデコっぽい図柄がきれいで好き。そのものじゃなくてそれっぽいって程度のゆるさが逆にいい」

「はわわ」

「手間暇かけてデザインされて組まれてもうその趣味の人の心を狙い打ってるとしか思えない。そうです私はそういう趣味です文句ある?」

「ないです……」



 積み上げた箱の一つ一つ、かたっぱしから好きなところを挙げていく。

 言いよどむことなど一度とてない。

 だってこれは私のハレム。私のコレクション。私の「好き」を寄せ集めて組み上げてきた私の城だ。全部覚えているし、忘れていても見ればひとたび思い出す。何度でも同じところに惹かれときめく。なんなら新しい視点で見て更なる魅力に気づくことだってあった。


 たとえ誰にも理解されずとも、笑われたって、好きである事実は変わらない。何度となく否定されたからこそ、私はこの「好き」をいよいよ譲れない。曲げられない。「私」という自我が不要だというならば人形でも相手に喋ればいい。それこそイマドキ、AIでも相手にして自分の望む回答を引き出せばよいのだ。


 好きの理由も同じこと。

 こういう所が好き、と言えるものも、なんか好きとしか言えないものもある。当然説明がついた方が布教には有利だけれど、うまく言語化できないことだってあっていいだろう。私は論理一辺倒で動いていないし圧倒的に感覚派だ。語彙が少ないことの何が悪い。説明できないものを好きと思ってはいけないのか。


 実のところ、こういうのも本当はやりたくない。「好き」はこん棒でもなんでもないので、振りかざして他者をねじ伏せるような真似はほんとうにどうかと思っている。でも私はそう人間ができているわけではないし、悟りも得ていない俗人なので、喧嘩を売られたら買うしかないのだ。まずは言葉で和解を試みて、だめなら徹底抗戦して己の「好き」を守らなくちゃ、それらはすべて他人の尺度で奪われてしまう。そんなの、許してなんていられない。



 休むことなくしゃべり続けながら、垣の中の一つを取り上げる。

 持ち上げられた箱がコトリと揺れた。

 ためすすがめつ眺めても、それに見覚えはない。



「それで、お前はどこのどちら様?」



 問えば、その箱は言いよどむ。「何を言ってるの?」

 震える声は私のものによく似ていた。ひときわそれっぽく聞こえる。でもそれだけで、よくよく聞けばぜんぜん別物だった。まるで継ぎ接ぎで作った機械音声のよう。

 私はその箱を机の上に落としながら手を広げた。



「やっぱり、どれだけ見ても、ぜんぜんときめかない」



 落ちた箱を手のひらで押しつぶす。

 グチャリ。

 紙製の、大したものは入っていないはずの箱は、生々しい音を立てて潰れた。

 引き攣れた断末魔を上げ損ねて。



 ぎゅっと手のひらを押し込んで、持ち上げた時にはその箱らしきものは消えていた。

 深夜の部屋に静寂が舞い戻る。

 並べ捏ねている箱たちは、もうピクリとも動かない。





  ◇◇



「――ってなことがあってさぁ~、今日寝不足なんだよねぇ」

「ねえ、もしかしてこれって怖い話?」

「え? 夢のある話でしょ?」


 翌日友人に事の顛末をおもしろおかしく話したところ、納得いかないみたいな顔をされた。

 まあたしかに、わりとしっちゃかめっちゃかな話だ。でも寝ぼけた頭で夢うつつに見ていたにしてはしっかりしている方ではなかろうか。


「いやホラーにしか聞こえないよ」

「ええ? ホラーにしてはコミカルが過ぎるでしょ」

「普通はホラー一直線なんだよなあ、なによ箱がしゃべるって」

「それこそ夢みたいな話でしょ。ずっと好きで愛でていたものとの会話。あなたの愛で目覚めたのです的な。付喪神と化したみたいな? まあ声もしゃべり方も完全私ってあたりがこう惜しすぎるんだけど。せっかくなら有名声優集めてそれぞれにあてて欲しい。夢なら予算とか度外視でいいじゃん。うーん、ファンタジー!」

「ファンタジーっていうかオカルト路線なんだわ完璧。中身がアンタだからぐだぐだになってるだけであって」


 友人は頭痛がするとでも言いたげに額に手を当て、かぶりを振った。どう見ても手遅れです、本当にありがとうございました。そんな軽口にわざとらしいブーイングで返す。


 でもほんとうに、ちゃちなファンタジーとしか言いようがない。

 悪いものはただ一つで、それを叩き潰せば全部解決する、なんて。

 夢のような話じゃないか。



 こうしている今も、箱たちは変わらず机の上に鎮座しているのだろう。

 でももしかすると、家に帰ったらそれらはすべてなくなっているかもしれない。適当にゴミ袋に放り込まれて、潰れたり、よれたり、汚されたり、ほんとうのゴミにされているかもしれないという不安は、いつだって心のどこかに巣食っている。ふとした瞬間に頭をよぎり、いてもたってもいられなくなる。


 でもだからって箱の前で動かず、引き籠って箱を愛でているばかりもいかないので、私は私の日常が今も変わっていないことを信じ、やらなければならないことをやっていくしかないのだ。みんなと同じことを当たり前にできるんだってふりをして。おかしいことなど何もない、好きなものがあるのなんて普通だし、蒐集趣味なんてごくごくスタンダードな趣味の一つでしょって言い張り続け。



 ため息をつきながら、背を凭れかけさせた窓を振り返る。

 今日も見事な晴天だった。

 机上左側ブロックの奥から三列目、上から二行目に積んだ、同じ色の箱のことを私は思い出していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱蠱 小端冬子 @lyso

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ