二.神の呪いと昔々の物語


 大きな箱型の広間には扉があって、小さな箱型の部屋へと続いていた。毛皮が敷かれた床にローテーブルが置かれている。

 小さなベッドと寝具、食器棚がひとつ。白と焦茶で統一されたあたたかみのある部屋は、チャロの私室だという。見比べればはくの髪色と似ている。

 無駄に身体が大きな私には小さすぎるテーブルの前で身を縮め座っていると、卓にカップが置かれた。淡い金に色づいた飲み物からさわやかな草の香りがする。


「話すほどの事情を抱えているわけでもないのだが」

「毛色まで変わったのは、それだけ繰り返し傷つけられたということだよ。あなたも、神の呪いに囚われていたのだろう?」


 琥珀は人型のまま入口の側に立ち、淡々と問いかけてくる。言葉少なではあるが、やはり私の事情は見抜かれているようだ。いや、見抜かれているというより。


「あなたということは……」

「俺のことより、あなたがどうしたいのか、だ。望んだ自由は手に入れたのだろう?」


 やわらかな笑みを向けられて、私は言葉に詰まる。神が造ったと思われる何らかの装置、彼の言い方と、口のきけない天使の少女。詳しく聞きたいが、自分のことを語らぬままに詮索するのは失礼だろう。

 どこから話したものか……と、私は出された飲み物に舌鼓を打ちつつ逡巡しゅんじゅんした。


探索地ダンジョンというものを知っているだろうか」

「話だけなら」

「私はそこに縛られていたらしい……当時の記憶は薄く、曖昧あいまいな言い方で申し訳ない」


 そもそも自我があったかすら覚束おぼつかない。無機質な石造りの洞窟で侵入してきた誰かと戦い、討たれ、気づけば同じ場所で目覚め――そんな繰り返しを薄ぼんやりと覚えているだけだった。

 あの日、轟音ごうおんと共に洞窟が崩れ、逃げる間もなく岩と砂に埋もれた。圧死しなかったのは僥倖ぎょうこうだったかもしれない。目覚めた瞬間に視界を奪った、あざやかすぎる蒼穹そうきゅう。霧が晴れるように、逃げねばという衝動が胸をついた。


 それから先は、夢中だった。


 はじめて見た地上は荒廃しきっており、どこへ向かえば良いかも全く分からず。獣に襲われるのはまだ、良かった。逃げきれなければ戦うしかないが、仕留めれば食料になる。厄介だったのは、――だった。

 地上へ出て自我を得たあとも、人にとって私は変わらず狩るべき存在らしい。怯えられる、逃げられる、だけでなく、日が経つにつれ追われることも多くなった。荒廃しきった世界でも人同士のつながりは生きていて、噂を交換し討伐隊を組んだのだろう。

 殺す目的をもって追いたてられれば、必死で逃げるしかない。

 まだ水と緑が残る人里の付近には近づくことすらできず、荒野へ逃れ、廃墟に隠れて、いつしか砂漠へさまよいこんだ。それから先は、知っての通りだ。


「私には、名乗れる名前もない。これからの目的も、展望もない。自分のことすら、何も分からないのだ」


 思い出しながら語っているうちに、深いうれいとあきらめが胸に満ちてくる。私の頭部が人と違うのはわかっていた。手も、おそらく足も、獣のものだ。

 獣人と呼ばれる者たち――人の頭部に獣の耳と目を持つ種族でもないと、ようやく理解し始めたところだ。


「あなたのような存在は『合成獣キメラ』というらしい。顔はジャッカルといういきものに似ているよ。神々が設定ことわりを破棄し世界から去ったので、あなたを縛っていた呪いがほどけて自我たましいが解放されたのだろうね」

「なるほど。キメラ、か。では、以後そう名乗ることにするか」


 なにぶん自分の顔を見たことがないので実感は薄いが、世界の黎明れいめい期から生きているという神竜の見立てなら間違いないだろう。私はキメラと呼ばれている、という口上か。うむ、悪くないな。

 深く頷きながら妄想をしていたら、漏れ出るような息遣いが聞こえて耳が動いた。寝台の上でチャロが口元を手で隠し笑っている。私の視線に気づいた彼女は慌てたように立ち上がり、小鳥のように琥珀の腕へ飛び込んだ。怖がらせてしまっただろうか、と焦ったが、ふたりとも表情は明るく楽しげだ。

 しばしチャロを見つめながら黙っていた琥珀が、顔を上げて私を見る。


「キメラは、ないな。俺が神竜と名乗るようなものだ」

「そ、そうか」


 笑顔で告げられおのれの無知を身につまされて、私は内心ひどく落ち込んだ。そうか、キメラは種族名なのか……。

 そんな私の態度に構わず、琥珀は言葉を続ける。


「スフェン、というのはどうだろうと、チャロが。あなたの目は、宝石のようだと」


 抑揚よくようの少ない声が耳から入って私の内側に沁みてゆくにつれ、えも言われぬ感情が湧き上がってきた。

 光を集め闇中にぎらつくこの目が、宝石のようだ――とは。められたと受け取ってもいいのだろうか?


「宝石、とはこれまた如何いかに」

「神竜はいきものより鉱物に近く、目の色にちなんだ名を呼びあうんだ。チャロは、その慣習に合わせてくれている。あなたの目はスフェーンという宝石とよく似た色合い、輝きだから、ほんの少しつづりをえてスフェンとするのが呼びやすく、いいのではないかと」


 衝撃に、開いた口がふさがらないとはこのことだ。美しい由来と、おそれ多くも神竜の慣習にちなんだ名づけを賜るとは。

 私はしばし間抜け顔をさらしていたが、琥珀の腕にちんまりと収まっている少女を見れば疑問が頭をもたげる。


「彼女、話せないのでは」

「正確にいうなら、声が出せない。俺には、聞こえるよ」


 チャロの輝かしい微笑みは、彼の言葉を裏打ちしているようだ。神竜と天使ゆえの能力なのか、ふたりの間にある絆がそのように作用するのか。


「生まれつきではないのだろう。魔法か医療で治せないのか」

「代償、だからね」


 致命傷すら治癒させる『床』を体感しておきながら考えなしな問いだった。琥珀の優しげな相貌そうぼうに深いかげがさす。

 チャロは色違いの目を大きく見開いて、哀愁あいしゅうを漂わせている竜の青年に頬を寄せ、人と同じ形をした彼の耳を指先でつまんで引っ張った。


「いた、痛いだろう。わかったから、やめてくれ」

「……痛いのか、意外だ」

「あなたは俺を何だと思っていたんだ」


 正面から聞かれれば答えにきゅうするが、岩のような竜、という印象が強すぎたのだ。小鳥のように儚く可憐な少女に頭が上がらぬ竜の男と思えば、驚きと微笑ましさで不思議な感情が湧き上がりもする。

 それを正直に告げれば、チャロは楽しげに翼を羽ばたかせなから笑い、琥珀は困ったように物申してきた。

 曰く、儚いなんてとんでもない。神々ですら、彼女には敵わなかったのだ――という。


「おまえたちは、神々と敵対したのか?」

「神竜と天使は創世時代に世界の支配権をめぐって戦ったんだ。神竜は天使に負けて世界の隅へと追いやられたというのが通説だが、実際には捕らえられ使役された者も少なからずいた。……俺のようにね」

「だが、今はそれらの神々も去り、使役のろいは解けたのだろう? 違うのか」


 神々が去って私を縛っていた呪いが解けたのであれば、琥珀もそうではないのか。現に今こうして理性的に話せているのも、呪いが解けた証拠なのでは。


「話せば長い、というか。俺は話が下手だから、わかりやすく話せない。チャロによれば俺の竜核、いきものでいう心臓が『箱』の動力源として組み込まれているらしく」


 正直、彼らのいう『箱』が何を意味しているのかは理解できていない。ただ直感のように、琥珀も私と似た役目を神々から課せられたのだというのはわかった。

 胸がざわつき、無意識に牙を鳴らしてしまう。この優しい竜の青年が人の集団に囲まれ討たれる姿を想像すれば、尋常ではない焦りが胸の奥に生じてひどく苦しい。

 何か事情を抱えているなら力になりたいと思うが、神竜と天使ですら力及ばないのであれば私の出る幕などなさそうだ。


「なるほど。琥珀はおとなしい竜だから、狙われたのか」


 本来敵である天使の少女に対してすら、これほどの慈しみを向けるのだから。そう思ったのだが、琥珀は私の言葉を聞いてチャロと顔を見合わせ、おかしそうに笑った。


「俺は昔は、ほかの誰よりも荒々しい竜だったよ」


 隣でチャロが大きく頷く。私は思わず琥珀を頭のてっぺんから尻尾の先まで観察した。

 確かに、あの巨体で火炎を吐きゴツゴツの尻尾を振り回されたら、相当な脅威になりそうだが……。


「見せしめの意図もあったのだろう。和解の意志は双方はじめからなかった。捕らえられて人の姿を強制され、牢獄につながれた。俺の見張りと世話を任されたのが、彼女だった」


 懐かしいものを見るように遠くへ視線を向け、淡々と語る琥珀の頭を、チャロがよしよしと撫でている。今でこそ微笑ましい光景だが、捕らえた神竜を年端もいかぬ少女に任せるとは。神々は何を考えていたのだろう。


「万が一にもわれるようなことになったら、どうするつもりだったのか」

「さっきも言ったように、チャロは儚い子供ではないよ。治癒師ヒーラーではあるが、当時は天魔法も使いこなす大天使だった」

「大天使ならば、実質、神ではないか。とてもそうは見えない」


 後悔はいつも、発言の後にやってくる。私のイメージする神は残酷で高慢、仮面を被った得体の知れない存在だったから、口をついてしまった。

 大層失礼な発言だったという自己嫌悪に耳がしおれてゆく私を、ふたりともとがめはしなかったが、琥珀は弱い笑みをいてそっと言い添える。


「いろいろあってね。……神々がこの『箱』に俺を組み込みここに埋めたあと、彼女は天界から俺を追って来てくれたんだよ」


 いろいろという言葉で膨大な内容が端折られた気がしたが、聞き返せなかった。それを語る琥珀の瞳が、深い悲しみをたたえているように見えたからだった。


 結局、行き場所の定まらぬ私はしばらくの間、ふたりの住むこの『箱』に居候することになった。

 この時は語られなかった事情を聞き出すつもりはなかったのだが、のちに私はそれを、ひどく苦い出来事とともに知ることとなる。





(続)



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【KAC20243箱】箱庭の異端者たち 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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