【KAC20243箱】箱庭の異端者たち

羽鳥(眞城白歌)

一.名もなき逃亡者と『箱』の中のふたり


 果てしない砂漠の真ん中で、とうとう私は力尽きた。夜気で凍った砂へ背中を預け見あげれば、闇空に銀砂をまいたような星がきらめいている。人生さいに見る景色と思えば、まぁ悪くはないかもしれない。

 分厚い毛皮を身につけているとはいえ、まとうものがぼろ布と変わらぬ薄い外套がいとうでは防寒も望めない。背骨にしみこむような寒さに震えながら、目を閉じる。このまま眠れば苦しむことなく終われるだろうか。


 歩き続けて逃げ続けて、結局どこへもたどり着けなかった。

 神が見捨てた世界で祈りを受けとる者などいないと知りつつも、せめてあたたかな夢を見ながら終われればと願わずにはいられなかった。




 少し、眠ったらしい。

 永眠にはならなかったようだ。驚いたことに、覚醒かくせいが訪れたのだ。


 頭の芯がしびれるようにぼんやりとしているが、先ほどまでの心臓を貫くような寒さはもうなかった。かすんだ目に映るのは、質素で味気ない砂色の天井。いや、天井ともいえぬもの、ただの岩壁にも見える。

 意識が途切れる前に見ていた星空と違いすぎる光景に、脳が混乱していた。ここはどこなのだろう。私は、いったいどうやって――、

 タタッと軽い音が響いて、反射的に耳が立つ。跳ね起きようとしたが、身体がいうことをきかず叶わなかった。上体をひねり、頭を上げる程度がせいぜいか……。視界に飛び込んできた予想外の姿に、私は然と口を開けた。


「……天使?」


 人間で言えば十代半ばだろうか。小さく滑らかな輪郭りんかくふち取るのは、ふわふわしたストロベリーブロンド。猫族を思わせる大きな目は光の具合か、若干色が違って見えた。こんな場所には違和感のありすぎる上品なワンピースをまとっている。

 薄い肩の向こうに見えた白翼と頭上の光輪エンジェルリングから天使というのは分かったが、私自身が置かれている状況は全くつかめない。

 猛獣づらの私を怖れる様子もなく、天使の少女は首を傾げて覗き込んでくる。右は神秘的なすみれ色、左は甘やかな桜色。左右色違いオッド・アイの両目がぱちりと瞬いた。


「ここは、どこだ?」


 乾きのためか割れた声しか出ず、ドスを効かせたようになってしまって内心焦る。少女は怖がる様子はなかったが、返答をくれるわけでもなかった。

 混じりけのない双眸そうぼうにじっと見つめられれば落ち着かず、腰の下にいていた尻尾がそわそわと動き出す。もしや、言葉が通じていない可能性もあるのか……?


「ここは、だ。遠い昔、神々がたわむれに造っててた遊具の、なれのはて」


 待つべきか、質問を重ねるべきかという迷いへの答えは、視界外から飛んできた。声だけ聞けば若い男性のようなのに、抑揚よくようの少ない喋り方は歳経た者の諦観ていかんを感じさせる。

 思うようにならぬ頭を何とか動かし声のしたほうへ耳と顔を向ければ、天使の少女もつられるようにそちらを見た。人形めいた相貌そうぼうにぱっと笑顔の花が咲く。


 声そのままに若い男の姿をした竜がそこにいた。


 人間の姿をしたのだろうが、低い位置から生えた無骨な竜翼と硬そうな太い尾はそのままだ。肌は褐色で、長く癖のない髪は白――と思いきや、目を凝らしてみると黒と白が混じり合っている。

 色鮮やかな薄い布を重ねた衣装をまとってはいるが、手足だけでなく腹も露出しているところ、温度変化に強い種だろうか。あるいは、寒暖に干渉されない空間を造りあげられるほどの力を持った、神竜か。


「箱、だと?」

「ここのは治癒効果がある。固くて寝心地最悪だろうが、もうしばらく眠るといいよ」

「……さっぱり分からん」


 口をきいてもらえたのは良かったが、男の説明は簡潔すぎた。私自身、寝起きで頭が働いていないせいもあるのかもしれない。しかし確かに、凍る砂へ埋もれて意識を手放した時と比べれば、格段に命を実感できている。

 きぬれと尻尾を引きずる音を残し、男は立ち去ったようだ。視界の端で天使の少女も身をひるがしたので、私はあきらめて固い床へ頭を預けた。丁寧に磨かれた大理石と同じ感触だが、ほんのり温かいだけでなく形容しがたい音も聞こえてくる。彼は、神が造った遊具のなれのはて、と口にしていたが――。

 何かに化かされているのでは、という疑念を捨てきれぬまま、それでも意識はすぐ安息の闇へと落ちていった。




 次に目覚めた時には、身体が嘘のように軽くなっていた。用心しつつゆっくり身を起こし、改めて辺りを見回してみる。

 力尽きる前に負っていたはずの怪我も、飢えも渇きも、眠っただけなのにすっかり癒えていた。固い床へ転がるように寝ていたにも関わらず、痛みやりすらない。これはいったい、どういうことなのか。

 聞き覚えある足音が響いたのでそちらへ頭を向ける。身軽く駆けてきた天使の少女は、私から少し距離を取って立ち止まった。色違いの目オッド・アイが怖がる様子なく私を見、瞬く。


「なんだ? 何か用があるのか?」


 少女は躊躇ためらうように視線をさまよわせていたが、ふいに、決死の表情で私を見ながらぐいっと近づき、手に持っていた入れ物を突き出した。途端、甘酸っぱい匂いが私の鼻を刺激して、何かうなり声のような音が盛大に響く。

 少女が小鳥のようにびくりと体を震わせたので、失礼と思いつつも口元がゆるむのを抑えられない。


「今のは、私の腹だ。これは……もらっていいのか?」


 ぱちぱち、と両目を瞬かせたあと少女は吹き出し、ウサギの形にいた林檎が一杯に詰められた入れ物を私の手に押し付けた。笑い続けるその姿に違和感をいだき、そして察する。

 天使の少女からは引きつるような息遣いが聞こえるだけだ。そうか、彼女は話さないのではなく、話せないのか。

 ひとしきり笑って気が済んだのか、彼女はふわふわとした笑顔を私に向けてから、きた時と同じように駆け戻っていった。

 岩をくり抜いたような入り口の向こうへ消えてゆく後ろ姿を見送ったあと、私は改めてもらった林檎を観察する。飢えと渇きが癒えたと感じたのも、錯覚だったのかもしれない。そういったたぐいの力がここには働いているのだろうか。


「あの竜に、いてみるか」


 間違いない、私はあのふたりに助けられたのだ。

 そこに何らかの意図や打算があるのかは分からない。しかし、一度は完全に生をあきらめたこの身、今さら恐れるものなどあるだろうか。




 岩をくり抜いた入口の向こうは、見たまま砂岩の洞窟だった。特に枝道もない通路をまっすぐ進み、突き当たりの穴――入り口を潜り抜けると、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。

 箱という形容はなるほど的確だが、異様に広く高い。巨大な立方体の人工的な部屋だ。箱型のシェルターというものは何度か見たが、この広さと高さは物資置き場や避難所といった性質のものではないだろう。

 部屋の中央には何か装置のようなものが並んでおり、奥のほうは砂岩が崩れたのか埋もれているようだった。

 洞窟の奥にこれほど精密な機構が隠されているなど、想像できようか。


「起き上がれるようになったね」


 砂岩に見えた大きな塊が頭をもたげたので、私は驚いて息を飲んだ。ゴツゴツした首らしきものの陰から白い翼が覗き、天使の少女がひょこりと顔を出す。

 どうやら、岩だと思った塊はあの男――おそらく神竜、だったようだ。


「ああ、……お陰様で。林檎も、よくれていて美味うまかった」

「そうか。チャロも、安心したようだよ」


 チャロ、と聞き返そうとして、嬉しそうに手を振っている少女に気づく。そうか、彼女の名前か――やはりこの男、いろいろと言葉が足りない。名前すらわからないままだ。

 何か意図が、目的があって私を拾ったのだというなら良いのだが。もしこれが完全な善意だったとしたらどうしたものか。

 助けられた礼を告げてここを出ていくのが、後腐れもなく良いのかもしれない。ふたりもそのつもりで私を助けたのかもしれない。しかし、地上にはもう私がゆける場所などどこにもないのだ。


 逡巡しゅんじゅんし、意を決する。

 歩み寄りの第一歩は、私の側から踏み出そう。


「ありがとう。おまえが私を助けてくれたのだろう? 名前を聞いてもいいか」


 言い損ねていた礼を伝え、その流れで思い切って尋ねてみる。しかし返ってきたのは沈黙だった。やはりこちらが名乗らず名を聞くのは失礼だったか……。

 気まずい雰囲気にどうしようかと困惑していると、やにわに砂竜の全身が燐光をまとい、輪郭がぶれた。瞬くほどの間に、最初に見た若い男へと姿が変わる。首にとりついていた少女はそのまま肩に乗っていた。


「名は、神竜の呼び方では『はく』。俺は、特に何もしていないよ」

「そうなのか? 最後の記憶は、地上で途切れているのだが」


 目の高さが揃っただけで、これほど話し易くなるものなのか。まぁ、岩の塊のような竜の姿より、二本の脚で立つ同じ姿のほうが安心はするものだ。親近感が湧くという意味ではなく、警戒心が薄らぐというか。

 聞き返した私に、琥珀と名乗った神竜は小さく笑ったようだった。目の悪い私に表情まではわからないが、楽しげに、というわけでもなさそうな。


「あなたを拾ってきたのは、チャロだよ」

「その子が? とても、大の男を運べるようには見えないぞ」

「言い方を間違えた。チャロが、あなたを見つけて、拾って欲しいと言ったので、俺が砂を操って、あなたをここへ引きずり込んだ」


 琥珀は、見た目通りに砂の竜なのだろうか。巨大なあり地獄に呑み込まれてゆく自分の姿を想像すれば、思わず口が開いてしまう。そうしている間に彼は、少女を肩に乗せたままこちらへ近づいてきた。なるほど、名前の由来は目の色か。


「地上へ戻るなら案内しよう。もっとも、その身なりとあの怪我。名乗れない理由が何かあるなら、あなたの事情を聞かせて欲しい」


 なるほど、この男、話すのが不得意なわけではないのか。おそらく、私の外見と言動を注意深く観察していたのだろう。

 神竜の男と天使の少女、思えば奇妙な組み合わせだった。地上のどこにも行くあてのなかった私は、さまよいの果てに、この不思議な『箱』の中へ迎え入れられたのだった。


 


(続)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る