Sheltered daughter

楸 茉夕

Sheltered daughter



 サシ飲みの席で、酔った同期が急に話し出した。

「俺、本物のお嬢様に会ったことがあってさ」

「なんだ急に。どこで会ったんだよ」

「それは……言えない」

 なんだそれ、と思ったが、話への興味の方がまさった。半分ほどに減ったグラス片手に同期は続ける。

「お金を知らなかったんだよ」

「は? どゆこと? 皇族?」

「皇族ではなかったけど、何代か前では繋がるかもな。多分、世が世なら華族とかそんな感じ」

「へえー」

 相槌を打ちつつ、皇族でもお金は知ってるよな、と胸中で自分の発言を訂正する。でも、だとしたらお金を知らないってどういうことだ。異世界人か? いや異世界にもお金はあるだろ。貨幣文化のない世界ってこと?

「自分で買い物しない箱入りなのか? 使ってもカードだけとか」

「いや、よくよく話を聞いたら、買い物は選ぶだけなんだって」

「選ぶだけ? ネットカタログとかで?」

「スマホは持ってたけど、ネット通販してる様子はなかったな……そんな必要もなさそうな感じで」

 同期は歯切れが悪い。酒が入ってるのもあって頭が回っていないのかもしれない。

「その時聞いたのは、欲しいものが売ってる店に行くんだって。で、これとこれって選んで帰るとすぐに家に届くんだって」

「へえー。支払いは使用人がやるんかね」

「じゃないの? 請求がまとめて家に届くとか。あと、外食も行って食べて帰ってくるだけだって」

「ふーん」

 想像もつかない話だ。多分、その外食で使う店も、俺が想像してるようなネットで予約するちょっといいレストランみたいなのではなく、庶民がお目にかかれないような会員制の高級店なんだろう。知らんけど。

「でもそれって単に、すげえ世間知らずなんじゃねえの? 買い物とか外食とかするのにお金だけ知らないってのは」

「存在は知ってたよ。フィクションだと思ってたってさ」

「フィクション?」

「お話の中の設定だったってこと。現実世界ではみんな自分と同じように買い物したり食事したりしてるけど、映画とか小説とかでは現金を使うことになってる世界だって」

「それはそれで特殊設定だな」

 スターシステムみたいなものか? ちょっと違うか。クトゥルフ神話みたいな、この世界観でお好きに創作してねっての、なんて言うんだっけ。

「つーか、どんなお嬢様だよ。友達いないのか?」

「同じくらいの家柄の友達しかいないとそうなるのかもよ。その友達ってのも……」

「よう伊藤! 久しぶりだな!」

 同期の声を掻き消すように、若い男の大声が響いた。同年代に見える声の主は、同期の肩に手をかけている。……え? 誰? いつの間に? 近付いて来てるの気付かなかった。

 そいつを見上げた同期の顔がみるみる青ざめる。対照的に、にこやかで朗らかな男は同期の腕を掴んで立ち上がらせた。

「せっかくだから向こうで飲もうぜ! 他の連中もいるからよ! すみませんね、ちよっとこいつお借りしますよ」

「あ……はあ……」

 男に引きずられるように同期は連れて行かれてしまった。ぽかんと見送った俺は、我に返って立ち上がる。

「え……え? 誰? 伊藤って何?」

 慌ててスマホを取り上げ、同期にメッセージを送る。しかし、返事はない。

 まあ、一段落ついたら返信が来るだろうと思って、一人残された俺は帰ることにした。


 ―――が。


 その時すぐに追いかけなかったことを、俺は後悔することになる。



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