やぶへび
九文里
第1話やぶへび
小学校低学年くらいの男の子だろう。朝の駅のホームを小走りで走っていた。どうやら電車に乗れないでいるみたいだ。
車両に入ろうとするが、大人達が入り口から溢れるぐらいに乗っていて、入り込む隙がない。
次のドアにやって来ても、やっぱり人が満杯で入り込めない。
慣れた大人なら、半分体をねじ込んで、一気に押し入ってしまうが、小学校低学年の男の子にはそんなテクニックは無い。
男の子は、次のドア次のドアと見ていくが、どの扉も一杯だ。
学校に間に合うためには、どうしても乗りたいようである。
既にホームでは、次の電車を待つ人達が列を作っている。
そのうち「ドアが閉まります」とアナウンスが流れてきた。
男の子は、焦って小走りになるが、全然乗れないまま、ついに最後のドアまでやってきた。
そして、最後のドアも大人達がぎゅうぎゅう詰めで入れそうに無かった。
男の子は、ただ茫然と立ち尽くしてしまった。
課長は、いつもより遅く出勤して来た。始業時間ぎりぎりだった。
タイムカードを押していると直ぐ背後から声がした。
「課長、今日は遅いですね、ぷぷ」
後を見ると、部下の浜茄子麻真子が立っている。何故かその目は笑っていた。
「お前は、いつもギリギリだな」
「おや、それは非難をしているのかな」
「そんな事言っていいんですか?わたし、知ってるんですよ今朝、課長が来るのギリギリになったわけ」
「あんな恥ずかしい事しておいて」
タイムカードの打刻機の前の席で、パソコンを打っていた若い坂本君と八代さんの耳がダンボになった。
「なっ、何を言っている」
「何だ恥ずかしい事って」
「え、言っていいんですか?こんなとこで、ぷぷぷ」
坂本君と八代さん、手はパソコンを打っていたが、集中力は耳に注がれていた。
「今朝、本町新道駅のホームで小学校低学年ぐらいの男の子が電車に乗ろうとしてたら、電車の中が満員でなかなか乗れなかったんですね」
「その子、入ろうとするドア、入ろうとするドア全然入れなくて、そのうち発車のアナウンスが流れてきて、結局、最後の扉も乗れなくて茫然と立ち尽くしてしまったんです」
「そしたら、電車の中から一人の男の人が降りて来ました。その人は、次の電車を待っている列の後に並んだんです。」
「で、男の子は、その男性が降りてできたスペースのおかげで電車に乗り込めました」
「その直後、ドアが閉まって電車は発車しました」
「その時降りた男性が課長ですよね」
「見てましたよ。ああ、恥ずかしい」
(お前が恥ずかしい)
坂本君と八代さんはキーボードを打ちながら思った。
「お前、あの駅に居たのか」
「私の最寄りの駅です」
「何してたの?」
「えっ、ベンチに座ってました」
「ベンチに座って何をしてた。電車にも乗らず」
「そっ、それは、パンを・・」
「パン?お前、もしかして駅のベンチで朝御飯とか食べてないよな」
「い、いいじゃないですか。みんな慌てて電車に乗ってるのを、朝食を取りながらゆっくり見てるの。楽しいじゃないですか」
「毎朝そんな事をしているのか。だからいつもギリギリで出社してるんだな」
「明日から、家で食べて来なさい。駅でお前を見つけたら一緒に会社に連れて行くからな」
浜茄子麻真子は、口を閉ざした。そして、心の中では「しまった」と声が響いていた。
やぶへび 九文里 @kokonotumori
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