大切なものは、目に見えない
佐々木 凛
第1話
「シュレーディンガーの猫って、知ってる?」
彼氏の裕也が突然そんなことを言ってきたのは、私が玄関で宅配便を受け取って、リビングに戻ってきた時だった。
「知らない」
短く、ぶっきらぼうに答える。
大学で源氏物語を研究していた生粋の文系な私にとって、これまた生粋の理系である裕也の語るうんちくは、まるで未知の言語で話されているかのような感覚を覚えるものばかりだった。最初は嬉しそうに話す裕也が見たくて必死に聞いていたが、最近は情報過多になってきている。
はっきり言ってしまえば辟易としているのだが、今日もまたその時間が始まるみたいだ。
「有名な物理学者の思考実験だよ。一定の確率で毒を発生させる装置がある箱に猫を閉じ込めた時、猫が死んでいるかどうかは箱を開けるまで分からない。つまり、箱を開けるまでは死んだ猫と生きた猫、両方の可能性が存在するって話」
「……当り前じゃない?」
「いや、すごく不思議な話だよ。例えば、光には不思議な特性があって――」
そこから先は、まるで何を言っているのか分からなかった。科学の話をしているというよりは、難解な哲学の話を聞いているようだった。
「とにかく、僕たちは既に存在が確定している世界を見ているわけじゃない。瞬きの一瞬で、世界が一変する可能性もあるってこと」
「それは拡大解釈しすぎじゃない?」
「まあ、世界が変わったことなんて誰も証明できないしね」
適当に話を切り上げる裕也を見て、一体何の話だったのかと問いただしたくなった。でも余計面倒になることは自明なので、切り替えて、先ほど受け取った段ボールの方に視線を落とした。
「そんなことより、二人でやろうって言ってたゲーム届いたよ! ほら、早速やってみようよ」
私は箱の中からゲームを取り出して意気揚々と掲げたが、その声は、壁に反射してこちらに戻ってくるだけだった。
「……私の証言だけじゃ、証明にならないかな?」
その質問に、答えは返ってこなかった。
大切なものは、目に見えない 佐々木 凛 @Rin_sasaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます