俯瞰

円野 燈

俯瞰




 気付いたらわたしは、暗い部屋の中にいた。

 明かりはなく、天井の三辺にある僅かな光だけ。その明かりだけで薄っすらと見える室内を目を凝らして見回したが、ドアも何もない。

 あるのは、わたしの目の前にある箱だけ。

 その箱と一緒にカードが置いてあり、


『この箱を解いて、そこから出て下さい。』


 と書いてある。

 謎解きの類なのだろうか。どうやらこの箱をどうにかしないと、わたしはこの部屋から出られないらしい。

 しかし『開けて』ではなく、何故『解いて』なのだろう。

 少し気になるが、そんな細かいことを考えても仕方がない。わたしの現状は、このカードに書いてある通りにすることが最優先だ。取り敢えず今は、この箱をどうにかしよう。


 触ってみたところ、六面ある何の変哲もない普通の箱だ。箱だと言うなら、蓋があるはずだ。

 そう考えて箱の全ての辺を爪で引っかけようとするが、何処にも全く引っかからない。どうやら全ての辺は1ミリのズレもなく、ピッタリと接着されているようだ。

 次の手がかりを探し、その六面すべてを指先の感覚を研ぎ澄まして触ったが、鍵穴らしき穴はない。四つん這いになって満遍なく鍵を探してみたが、やっぱりなかった。もちろん、わたしも持っていない。

 鍵を開けてピッタリ閉まった蓋が開くのかと思ったが、そうではないらしい。この箱、単純な方法では『解けない』ようだ。

 次に、材質を考えてみることにした。

 しっかりした手触りで、温かくも冷たくもない。叩いてみると固そうな音がする。

 わたしは立ち上がって、箱を壁に思い切り投げ付けた。


 ガンッ! ゴトッ。ゴト……


 拾って形状の変形を確認するが、どこも欠けたりへこんだりはしていない。

 次に箱を床に置いて、その上に乗ってみた。片足で乗ってわたしの体重の全てをかけたが、これでも潰れない。ジャンプをしても全く変形しない。

 これだけ強度があるということは、鉄かアルミでできているのだろうか。それなら、溶接で辺をピッタリくっ付けることもできる。この重さ加減も、中がある程度空洞だからなんだ。

 しかし。これをどう『解けば』いいんだ。

 鍵穴もないし蓋もない。投げても壊れないし潰れない。これではわたしはこの部屋から出られない。


「『解く』……『解く』とは何だろう」


 その言い回しに何かヒントがあるような気がして、床に置いた箱を見つめ、しばらく考えた。

 そして、ふと思い付く。


「もしやこれは、本当は箱じゃない?」


 そういうことだとしたら、『解いて』という言い回しも不思議じゃない。

 きっとそうだ。これは最初から箱ではなかったんだ!

 では一体何だろう。強度から考えて、鉄の塊? でも、それほど重くない。

 石だったとしても、重さはもっとあるはずだ。

 キューブ状の木? ……にしては軽過ぎる。

 ガラスでもない。ガラスだったら投げて落ちた時に欠けている。

 それじゃあ……プラスチック? ……いや。それよりも重さがある。

 他には……

 ダンボール! もしくは、紙を何重にも重ねて張り合わせたものか?!

 そう考えた時。箱の感触が変わった。固かった感触が、少し柔らかくなった気がする。

 どういうことだ? まさか、わたしの考えとこの箱がシンクロしているとでもいうのか?

 ずっと固い素材のものをイメージして何も変わらなかったのに、紙をイメージした途端に変化した。

 そういうことなのか? 箱にできそうなもので紙よりも柔らかいものをイメージすれば、『解ける』のか!

 だが、紙よりも柔らかいものとは何だ? 柔らかいもの。柔らかいもの……

 本当にそんなものあるのか? 柔らかくて、重ね合わせた紙よりも強度があるものなんて。

 ……いや。『解かなきゃならない』んだから、もう強度は必要ないのか。


 たぶんわたしは、この箱が本当は何なのかを明らかにするだけでいいんだ。


 この部屋は最初から暗闇だった。そしてカードにも『この箱』と書いてある。手がかりはカードの文言と、この手の感覚のみ。だからわたしは、『箱』という文字に引っ張られて固い素材のものをイメージしていた。


 それは間違いだったんだ。


 恐らくこれは、本当は『箱』ではないのだ。情報が少ないせいでわたしはそう思い込まされていて、これは『箱』と同じ四角い形をした、全くの別物なんだ。

 それがわかれば、この部屋から出られるのは確実だった。

 それなら、この世にある自由に形を変形できるものをイメージすればいい。

 今のわたしがそれを考えるなら……


「これは、水だ」


 そう口にした瞬間、固形だった箱はみるみる形を歪め、水になってパシャン! と床に落ちた。


 箱はなくなった。これで『解けた』のだろうか。このカードの指示通りにできたのだろうか。確信を持って『解いた』が、自信は半々だった。

 すると。天井の一辺の明かりが増した。部屋全体に照明が点くのだろうか。と思っていたら、他の二つの辺の明かりも光を増した。

 三辺の明かりはどんどん増して、天井を覆うほどにわたしの頭上は明るくなり、大量の光が暗闇の部屋に滝のように注がれた。わたしは眩しさで片手で顔を覆った。

 きっとわたしは正しく『解いた』のだ。だからこれでこの部屋から出られるんだと、そう安堵した。

 だが。光は何か大きなものに唐突に遮られた。

 光を遮ったのは雲ではない。けれど建物でもない。


 ……何だ。あれは。


 見上げるわたしの目と、の目が合った。

 は、こちらを覗いているようだった。

 はどこか、見覚えのある顔をしていた。


 の顔は、わたしとそっくりだった。


 その時、わたしの脳が清流のようにクリアになり、自然と全てを理解した。箱を『解く』というのは、そういうことだったのかと。


 わたしが『解いた』のは、自分自身の中にあった強固な思考はこだったのだ。



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俯瞰 円野 燈 @tomoru_106

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