1-2「サスペンデッド」

「…ただいま。」

「お帰りなさい、博士。会合はどうでしたか?」


 デルピニオス高等研究院の一室。魔石や金属製の器具などが並べられていて、研究室というより工房に近い風貌だった。

 ようやくテセウスから抜け出し帰還したリブラ・ブラキウムを、研究室の部下であるレナ・ユーフォルビアが迎え入れる。明らかに不機嫌そうな上司の顔に、レナは困ったような表情を浮かべた。


「どうにもこうにも……どうして私はあの退屈なイベントに招かれたんだ。」

「またそうやって……」


 この研究員が彼の理想との相違に何かと腹を立てるのは、特に珍しいことでは無いのだろう。レナは慣れたようにため息交じりの苦笑いをこぼしながら、彼の帽子とコートを渡すように手だけで促した。それを受けてリブラは「すまない」と口にして差し出す。その謝罪がコートを預けることへなのか、悪態をついたことへなのか、両方へなのか、二人共わからなかった。

 レナは気にする様子もなくそれぞれを受け取って、近くの壁かけに引っ掛けた。とことこと歩きながら、何かを含んだ様子で彼女はそっと語る。


「…物事は古い上品と新しい下品の戦いだって、父が言っていました。これは、『自分にとって親しみのないものは受け入れがたい』って意味だと思うんです。それが芸術でも学問でも、仕事のやり方でも。」

「また父親の話か。」

「またってことは無いでしょう?私に大切なことを教えてくれた方で……」


 からかうようなリブラの言い方に流石にムッとしたのか、レナは言い返した。リブラも今度はからからと笑いながら「悪かったよ」と言っている。


「君の父親も魔法研究者なんだっけか。今は何処に?」

「……魔法研究者というより、もっとおかしな人。でもそれが一番近いと思います。……どこにいるのかはわかりません。世界中が故郷で異郷なものですから。」


 どこか寂しそうなレナの表情に、リブラも少し申し訳無さそうな感情を覚える。


「……君は今日は帰りなさい。遅くまで留守番をさせてすまなかった。」

「いえ、大丈夫です。…あっ、トランジスタの開発は少し進みました。あとは組み込めればテレグラムのプロトタイプが出来ると思います。これが報告書です、メモ書き程度ですけど…」

「おお、本当か。助かった。……ああ、この器具もいつか退屈な研究の対象になるのか。」


 レナはまたそういう、と思ったが言わないでおいた。彼なりの期待表現なのかもしれない。レナの手渡した紙を受け取って、彼は自分の机にそれを持っていく。

 レナは長い銀色の髪をなびかせるようにぺこりとお辞儀をして、壁掛けの黒いローブを羽織った。帰り支度のような単純な作業をしていると、色々と考え事をしてしまう。思いは未来へ過去へ旅をしてきりがないけれど、きっと未来は楽しいから、などと。


「…それじゃあ、失礼します、ブラキウム博士。」


 白く塗られた金属製の扉の前に立って、後ろを振り返りながらそっと口にした。リブラは自分の研究机に座って、手だけを上げて返事をした。

 扉のノブに手をかけて引こうとした瞬間、不意に向こう側から押す力がかかった。レナはびっくりして後ろにひっくり返りそうになったが、とっさにバランスをとって何とか転ばずに済む。


「おっと、ごめん?!」

「ぇ、ぁえっ…?」


 一瞬何が起こったのかわからず目を丸くしているレナの前には、サラサラとした茶髪の青年が立っていた。青い目はレナと同年代くらいの若々しさを帯びていて、黒のコートか似合ういかにも穏やかそうな男。そして胸には金色のワッペンがついていた。


「……ユーフォルビアさんか。リブラはいる?」

「…ジェリコか。ノックはしろって言っているだろ。」

「ああ、そこか…いや、この時間はお前だけだと思ってさ。…ごめんね、ユーフォルビアさん。」

「いえ、大丈夫です。…少し驚いたけど…」


 あはは、と笑いながら、ジェリコは眉を八の字にして申し訳無さそうな表情を作る。ただ、その顔にはドアの件とは他の何かを帯びているような気がした。


「……要件は何だ?まさか今から酒なんて飲まないから…な……」


 そう言いながら振り返るリブラの声は平生より大分穏やかだったが、そこに立っているジェリコの様子を見て少しずつフェードアウトしていった。その目線はジェリコというより、彼の胸のワッペンに向けられていたが。


「……それは、中央管理局員のワッペン?そのコートは借り物か。」

「誰がこんな大事なものがついてるコートを貸すか。…少し前に管理官になった。それもあって忙しかったから、連絡できなかったけど…」


 決まり悪そうに口をつくジェリコのもとに、リブラはゆっくり立ち上がって歩み寄る。椅子の軋みがやけに不穏な空気を増長させた。

 話すのに適切な距離まで来て、リブラはようやく彼の友人に微笑みかける。ただその笑みは、テセウスで少年に向けていた笑顔とそっくりだった。


「…その報告をしにきたのか?」

「まさか。もっと大事な話だよ。」


 いやに張り詰めた空気。二人の横で立ち尽くしていたレナは、思わず肩に掛けた鞄の紐をぎゅーっと握りしめた。自分はここに居るべきじゃないんじゃないか、と漠然と感じる。この場から立ち去るのがどうしても適切に思えて、切り出す。


「……えっと、私は帰ります。邪魔してすみませんでした…」

「ううん、多分ユーフォルビアさんも聞いておいたほうが良いと思う。」

「……えっ?」


 予想外に引き止められて、身体が強張りながら変に脱力する。一体どうしたらいいのか、彼女は立ち回りを考えながら事の成り行きを見守るほか道は残されていなかった。


「……要件は。」

「ああ、ごめん。……あまり、気を悪くしないでほしい。」


 酷く嫌な予感がする一言を呟きながら、彼は一通の手紙を渡した。温かみのある白の上等紙だった。

 レナとリブラは二人で並んで、内容に目を通す。短い文に、簡潔な内容。しかし、暫く内容が理解できないというふうに固まってしまう。どちらかといえば、理解したくなかった。

 それは、研究室への支援の打ち切り通告だった。


「……えっ。」


 先に声を漏らしたのはリブラだ。大の大人とは思えないほど、か細く気が抜けた声。

 ジェリコは自分の首を掻きながら、見かねたように声を掛ける。


「……俺は最後まで反対をした。でも、駄目だった。」

「…決定の理由は?」

「『プロジェクトの未来が見えない』って。援助に対して実績が少なすぎるんだと。」

「そんな……」


 落胆、というよりは絶望の声。紙を持った手をだらりと垂れて、目はどこを見ているか分からない。何をどうしたらいいのか、一つもわからない。


「……流石に、ここまで唐突だと問題があるんじゃないですか。」


 あまりにも陰鬱な静寂を叩き割るつもりで、レナがジェリコに訪ねた。ジェリコは頷きながら、二人を交互に見ながら答える。


「…だから、なんとか交換条件を呑ませた。」

「交換条件?」

「……それは、何だ?」


 ジェリコは深く息をつく。深い青色の目を一度ぎゅーっと瞑ってから、ぱちりと開いた。


「あと少しだけ支援が続けられる。その間に何か大きな功績を成し遂げれば、その後も引き続き援助をさせてもらおう。期限は一年間だ。」

「一、年間………」

「この条件を飲まないなら直ぐに打ち切りになるよ。どうする?」


 酷く無責任に投げつけるような言い方。でもそうするしか無い。彼自身も友人が主任を務めているプロジェクトの停止命令をしたくもないのに押し付けられているわけだ。他人事のように語ることでしか、罪悪感が相殺できないと何処かで思っていた。

 何も考えることのできないリブラは、この残酷な慈悲に対しての返事ができずにいた。一分も立っていないのに、随分と長い時間が流れた気がする沈黙の中、傘を忘れて雨に打たれているかのように立ち尽くす。


「……えっと…」

「…やりましょう、博士。」

「えっ。」


 先に結論を出したのはレナだった。宵のうちの空のような青色の目は決意が見えるように潤んでいる。少ししかめさせた顔で上司をじっと見ながら、彼の返事を待つ。


「…それは。」

「……ここまで頑張ったんです。絶対諦めたくない。他の皆だって、そういう筈です。あなたが弱気じゃ、私も困って……」


 目線が徐々に外れて下がっていく。やがて俯いた彼女の顔は、泣き出しそうになっていた。

 リブラはジェリコの方を向き直って、やっと出した結論を言葉に紡いだ。


「…明日、研究室で会議を開く。夕方に報告に行く。…一つ言っておくが、私もプロジェクトを中止する気などないからな。」

「うん……そう、か。分かった、待っているよ。…急に来て悪かった、それじゃあ。」


 無理に作った笑顔を二人に向けて、若い管理官はコートを翻した。扉を閉める時、複雑な目線を残して。

 再び二人になった研究室は、嵐が去ったあとのように静まり返っている。乱雑にものが積まれた工房のような部屋が、厄災を経験した世界のように目に映る。


「…博士。」

「どうした?」

「……ありがとうございます。」

「…ああ。」

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リライティング・ピルグリム(Rewriting Pilgrim) 霊岩 @KYIV0523

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