「お前がお前の全てを懸ける3分に、絶対に負けない男になれたなら、絶対に負けられない『まことの理由』を見つけられたなら」

 王都のザインの屋敷から西へ進んで、ベトミリィにメモを貰って、その後。俺は王都の南側すぐそこにあるなんたら停留街に向かった。


 なんたら停留街は、何か昔色々あって、王都の南側のすぐ近くに出来た街だ。なんか便利だからそのまま使うか、みたいな意見が出て、長い時間をかけて、色んな交通経路が発展していった。そのはずだ。こことは別の街の話だっけ?

 王都は人が住むことと、大魔獣を撃退することに特化してると聞いてるが、この街はできるだけたくさんの物を流通させることに特化してるとかなんとか聞いた覚えがある。


 つまり、この街丸ごと1つ、王都のために横に置かれた流通倉庫なのだ。大きな、大きな、歴史ある倉庫。王都という街が背負う街型バッグみたいなものか。


「おやおやそこのフードで顔を隠したおぼっちゃん! アエネイス停留街へようこそ! ここはかつて王都が発展する途中で連鎖的に発展した、アエネイス停留所が街になった所だよぉ! 昔は王都の建設と拡大にいっぱい物が必要だったからねえ、ここにたくさんの荷馬車や運び屋が集まって物を置き、休み、泊まり、飯を食っていったものさぁ! ここに置かれていったものが王都に運び込まれる形で今の王都は出来てるんだよぉ! だから今でも交通の要になっているのさぁ! さあさ少年! 飴玉をどうぞ! この街を楽しんで行ってねぇ! そしてできるなら、この街を愛してくれたら嬉しいなぁ」


「ども」


 町の入り口、門の上で踊っている道化師が何やら語っているのを聞き流して、街の中へ入る。

 貰った飴玉1つ、口に放り込んだ。


「あみゃい」


 俺はベトミリィから貰ったメモを頼りに、フェニアを追い始めた。


 フェニアは俺と戦う前に、国の色んなところで人助けをしていて、その度に目撃されている。その軌跡を辿って行けば、俺はフェニアのことを知りつつ、どこかでフェニアに会える可能性もあるはずだと思って、歩き出したんだ。


 腕試し目的や名声を得るために大会に出るとかではなく、各地方で魔獣を倒し、悪党を捕まえ、子供をあやし、農家を手伝って、通りすがりに崩れた貨物を積み直したりし続けている女。

 恐ろしい女だ。

 心底、そう思った。


「……勝つべくして勝った人格の持ち主。まるで英雄譚に登場する美化された人物のそれ。自分の家のこと、自分の剣のことばかり考えていた俺が勝てる相手じゃなかった……のか」


 俺は、まず心の向きを整える必要があった。

 『勝てる』と思えるように。

 今のままだと「こいつに負けたくない」が薄れて「こいつに負けるならいいか」だけで自分の内側がいっぱいになってしまいかねない。

 そうなったら勝てない。

 俺は、もう二度とあの女に負けたくない。

 勝てる心で在る必要があった。


「ベトミリィとも約束したんだ。必ず勝たなければならない。そうだろう」


 自分に言い聞かせて、俺は歩いた。


 そして、そこで。


「───」


 肌に覚えのある剣気を感じた。


「まさか……」


 剣気。

 強者のみが感じられる強者の存在感。

 捧剣祭優勝者あたりの強さを皮切りに、それを感じられる者達が現れるという。

 俺はその時感じた剣気に覚えがあった。


 この剣気の持ち主は普段剣気を隠していたはずだが、と、疑問を持ちながらもその場所に走る。強くなろうとするなら、その男に会う以上の選択肢はないと、俺は理解していたからだ。


「お前もこの街に居たのか」


「……クアイン先生」


 加齢のせいか白髪が目立ってきた茶髪。

 黒に赤が溶けたような革と、緑に黒が溶けたような革を、布の服に合わせた軽装の騎士服。

 目にするだけで身が竦む鋭い眼光。

 腰には根本からへし折れた、もう使いようがなさそうな剣が2本。

 その全身に漲る剣気は、強者であれば誰もが分かる、彼の絶対的な強さの証。


 剣神クアインが、そこに居た。


 俺は予想外の再会に驚愕し、息を呑んだ。

 剣神クアイン。

 疑いようもなく人類の最強である男。

 この男が勝てない人間なんてどこにも居ないと、俺は思っている。


 俺の決闘の無敗記録の箔を守るため、父上が剣神クアインと公式に決闘することを厳密に禁じていたほどだ。

 祖父も、父も、この男と決闘しなかった。

 逃げてザインの名声を守った。

 守る価値もない名声を。


 俺は、この男に勝てる域には到達していない。

 勝ち目はおそらく、今でも0だ。

 父上は俺がいつかこの男にも勝つことを期待していたが、俺は『今なら剣神クアインに勝てる』と思えたことは一度もない。


 ザインの家の、強さで名声を得ようとする先祖伝来の夢を、ただ生きているだけでごみにする男。


 俺が一番に憧れる強き騎士。


 剣神クアインの全盛期を過ぎてから20年前後経っているなどという話も聞くが、俺は言える。言い切れる。剣神が弱くなったところで、他の剣士が弱くなってないなら何の意味もない。勝てないなら同じことだ。


 俺は、先生の前に跪いた。


「先生。お久しぶりです」


「相変わらず畏まってるな。たしかな礼節だ」


「一度は剣の手ほどきを受けた者です。ましてや、先生はこの世で最も強い人です。強さの世界に生きる人間であるならば、先生には敬意を持って接するべきだと思っています」


 街の人達がガヤガヤと賑わった喧騒を作っていて、ベンチに座った先生が曖昧な顔をしていて、俺はずっとその前で跪いていた。


「私はたしか、一手指南しただけだが」


「俺にとっては忘れられない一手でした」


 昔、22家の出身である同年代の剣士……兄さんや俺を含めた色んな貴族の剣士が集められて、先生に1人1人指南してもらう日があった。


 才能があれば国境警備隊とか、出世ルートに内定するとかいう噂まであった。剣神クアインは『勇者の瞳』アインの子孫。アインの家は国内外を見張る要職の家系だ。そこに属する剣神クアインに認められることは将来が安泰したも同然だと、同年代の皆は張り切っていた。


 確かその日の先生は、姪を連れて来ていたと記憶している。

 先生は姪に皆が鍛錬しているところを見せながら、俺達に1人あたり数分の指導をしてくれていた。


 俺は隙を見て先生を倒そうとしていたが、全く隙が無かったことをよく覚えている。


「……ああ、そういえば、たしかあの時だったか……」


「どの時ですか?」


「いや、なんでもない。たしかな答え合わせは私の仕事ではないからな」


 何かを思い出して、何かに呆れるように、先生は短く息を吐く。俺はなんとなく、先生が前に見た時よりも痩せたように見えた。


「先生、痩せましたか?」


「ああ。微妙に調子も悪い」


「先生の身体って調子悪くなるんですか!?」


「なるだろ」


 よく考えると普通のことなんだが、俺にとっては、天地がひっくり返るような衝撃だった。


「なるほど……食生活に何か問題があるのかもしれません。この街の医療院に相談に行きましょう。何か病気がありそうなら、王都の病院も紹介してもらえますよ」


「病院?」


「兄さんからの又聞きですけど、今は王都のアッカド大病院にカフマイト先生という方が居て、その人に治せない病気は無いそうですよ。いい時代に生まれましたね、俺達」


「要らん」


 騎士は定期検診に行くのも仕事の内なんですよ、なんて俺は思ったが、国を代表する最強の騎士に偉そうなことを言えるほど俺は偉くない。そもそもザインの家を追放された時点で俺は平民だ。


「俺達の世代の子供は皆、先生に長生きしてほしいんですよ。ダメですか?」


「……たしかに、そうだな。私は長生きする責任があるか。分かった、従おう」


 先生は、割と優しい。

 口ぶり以上に優しい。

 話に筋を通していれば肯定してくれる。

 子供の言うことを聞いてくれる大人だ。

 つまり俺は15になってもまだ先生に子供扱いされているということで、そんなしょうもないことで、内心少ししょんぼりとしていた。






 俺は先生と医療院に行き、先生が予約手続きするのを待って、一緒に出て来た。手続きして予約しないと、今時の大きめの医療院・病院で診察は受けられないらしい。知らなかった。


 平民運営が多くて軽い病気や怪我を対処するのが医療院で、貴族運営が多くて重い病気や怪我を対処するのが病院らしい。知らなかった。


 15歳以下は受付でただで飴を貰えるらしい。味は3種類あった。俺は一番酸っぱくないやつを貰った。喉を殺菌して風邪を予防するらしい。知らなかった。


 医療院と病院と薬局は仲が良いだけで全部別の資本が運営してるらしい。知らなかった。


 そして、別に俺が一緒に行く必要なかったなと、予約を終えた先生と医療院を出るタイミングまで気付かなかった。俺はぼーっと立ってるだけだった。あまりにもすることがなくて医療員の壁を右端から順番に見つめてた。医療院の人になんて思われてたんだ俺?


たしかに予約した。後日診察も受ける。これでいいか?」


「大丈夫……だと、思います。俺医療員も病院も行ったことないのでその辺ちょっとよく分かんないですけど。あ、母上から生まれた時は居たのか」


 俺は、剣にだけ人生を捧げていたせいか、人生経験が少なすぎて事あることに無知を自覚する。旅に出て、それはより増えていた。


たしか一度、お前が病に罹り22家の合同の練習会に休んだことがあると聞いたが」


「あ、知ってらしたんですか。あの時は父上に病院には絶対に行かないよう言われていまして。病気の中でも戦えるようにするための訓練を受けていました。それと、お爺様が薬に頼らない方が強い身体ができるはずだと」


「……そうか」


 先生の表情から、先生が何を言いかけて辞めたのか分からないでもなかったが、俺はザインの家に生まれた人間だから、それが普通で、それで良かったのだ。きっと。


「先生はいつ頃から調子が悪くなったのですか」


「最近、少々強い獣を20と少し斬った。たしかに全て仕留めたが、剣も折られ、微妙に調子も悪い」


「先生が振ってる時の剣って……折れるんですか!? 本当に!?」


「折れるが」


「山を斬っても折れてなかったので折れないものなんだと思ってました」


「たまに折れる」


「たまに折れるんですね」


 先生の腰から吊り下がった、根本から吊り下がった剣が2本。先生が役に立たないものを腰から吊っているのは珍しいと思ったが、実は『少々強い獣』という敵に折られていたらしい。


 剣神クアインの剣を折れる自然生物が実在するとは思えなかったが、先生は普段王命を受けて誰も知らない強敵と戦っているとかいう噂もある。そういうこともあるんだろう、と納得した。


 先生は近くの虹色街路樹に近寄っていくと、柄と柄だけ残った剣を振る。そうしたら、木の枝が2本斬り離され、削られ、あっという間に木刀が2本出来上がった。目にも止まらぬ早業だった。


「さて。心配と気遣いの礼だ。一手指南してやる」


「……!」


 最高の先生だ。


 そう思って、俺は薄っすらと笑ってた。






 本当のところを言えば、俺は稽古をつけてもらうのにかこつけて、隙あらば一発かましてやろうと思ってはいた。油断して負けるならそれは油断してる奴が悪い。俺は先生が油断してたら普通に倒す。そのくらいのつもりで。


 だが、かすりもしなかった。


「……」


たしかな成長を感じる。よく剣を振っているな。それも考えて振っている。せっかく人間には脳と筋肉が備わっているのだ。お前のように考えて鍛えた一撃を振るえるようでないと人間である意味がないからな」


「…………………………ありがとうございます」


 高速移動、瞬間移動、攻撃が当たった瞬間に揺らめいて消失、攻撃が増える、そもそも先生が増える、右に跳んだはずが右に跳んでる、先生が俺の攻撃を防御してたはずなのに先生の攻撃が俺に当たってる、もうなんでもやりたい放題だった。


 どうしようもない。

 今の俺がこの人に勝てる可能性は無い。

 俺が至近距離からひと呼吸の間に100回以上も剣を振って、それで1回かすることすら無かったのだから、俺に到底勝ち目はないのだ。


「ところどころはヒヤリとした。あと1年か2年あれば、調子が悪い私でも勝てなくなるだろうな。調子が悪くない時の私を超えるのは、10年後か」


「……お世辞はいいです……」


「別に世辞ではないのだが」


 剣神クアインは、あと千年は余裕で死ななそうな男だった。

 どうせ不調とかいうのも鬼の霍乱、すぐに戻ってまた不動の最強として君臨し続ける、そう思うと病気の心配をしたのが馬鹿らしく思える俺が居た。


「先生はずっと最強で、逆に安心します」


「もう40だ。たしかに順調に老いている」


「またまた……」


「見ろ、また白髪が増えたのだ」


「先生は昔から若白髪がちょっとありましたよ」


「ぬ」


 先生の強さを思い知る度、心底思う。

 ああ、祖父は、父は、俺にこういう剣士になってほしかったんだろうな……と。


 俺は兄を尊敬してる。

 先生も尊敬してる。

 豊かな兄も、強い先生も、敬える人達だ。

 だけど、俺がなりたかった大人は、どちらかというと先生のような男だった。

 兄には、少し申し訳ないと思っているけども、俺はずっとそういう人間だった。


 俺はフェニアともう一度戦えば負ける。

 頭で何を考えても、心がそう思っている。

 だけど、剣神クアインに問えば、「誰と戦っても負けない」と応えるはずだ。


 俺は一度負けて、無敗を失って初めて、誰にも負けない先生さいきょうの、途方も無い高さを実感した。

 最強は負けない。

 負けてはならない。

 国や平和を背負うなら負けられない。

 だから、負けない。

 先生にはそういう強さの厚みがある。


 憧れれば憧れるほど、先生は遠く感じた。


 俺が先生を真似るには、足りないものが多すぎた。


「ザイナス」


 汗だくで地面に転がっている俺を、先生が穏やかな目で見下ろしている。


「お前はたしかにザインの家の当主に相応しい人間だ。自分には1つのことしかできないと思い込み、1つのことに全てを注ぎ込み、結果としてその1つを狂ったように極める者達だ。お前の父も、祖父も、その目をしていた。家は継がれる。家族は繋がる。家風は消えない。……だが、そこに異端が生まれた。お前の兄、ウォルザインだ。異端はより大きな、正しく強い歪みを産んだ。それがお前、ザイナスだ」


「正しく強い歪み……?」


 抽象的な先生の言葉は、よく分からなかった。


「ザイナス。私はお前が負けた事を嬉しく思う。あれは正しい負け方だった。たしかな実りがある」


「えっ……ま、負けたことを喜ばないでください! 負ければ全部終わりです。失われるものが多すぎる……! 俺は、先生みたいに負けない男に」


「お前は人生の全てを3分に懸けて生きる類の人間だが、人生はたった3分では終わらない。3分の後も人生は続く。……人生にはたった3分で全てが決まる瞬間がある、それは事実で、それはお前に限った話ではない、全ての人に共通する真理だが……」


 この日の先生は、何故か、普段の先生から想像もできないくらいに饒舌だった。

 まるで、死の間際の人が、今まで言っておかなかった言葉を、今際の時に片っ端から言っている時みたいな。そういう時に、少し似ていた。


「ザイナス。人がたった3分に死力を尽くす意味は……その3分で守りたいと強く思える物に出会うのは……その3分以外の時間にあるのだ。人は、一瞬に人生を懸ける意味を探して長くを生きる。そういうものなのだ。前のお前ならばともかく、今のお前ならば、この言葉が必要になる時が来る」


「……分かりません」


「分かる時が来る。たしかな未来だ」


 俺はずっと確信を持っていた。

 先生と俺は違うと。

 だから『先生は負けたことがないから俺のことなんか分からないんじゃないか』なんて思わなかった。『先生は負けても俺みたいにはならないだろう』と確信を持っていた。


 先生は、いつも人に見えないものが見えていて、その上で選択を迷わない人だった。


「一曲吟じる音楽家も。王家御用達になるかを賭けて一食献上する料理人も。戦争で判断を迫られる軍人も。国の行く末を決断する貴族も。たった3分で人生が決まる瞬間というものはある」


「……」


「誰の人生にも永遠と一瞬がある。永遠に残るものと、一瞬に全てを懸けなければならない瞬間だ。永遠の愛のために、一瞬の殺し合いに勝利する騎士を、私は何人も見て来た」


「永遠と、一瞬……戦う理由と、負けられない一瞬……先生にもあるんですか?」


 先生は、頷いた。


「お前がお前の全てを懸ける3分に、絶対に負けない男になれたなら、絶対に負けられない『まことの理由』を見つけられたなら……」


 俺は、別れ際に先生が残した言葉を。


「お前は必ず、私よりも強くなる」


 ずっと、今も、疑っている。


 信じている先生の、その言葉だけを、ずっと信じられないでいる。






 短い時間だったが、クアイン先生に徹底的に鍛え直され、俺は最終目標・打倒フェニアを胸に秘めて歩き出した。


 目指すは南。


 フェニアが多くの人の命を助けたという、酪農大都市サロンボだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「貴方を騎士と認める。どうか末永く、守護の礎と成らんことを願う」 オドマン★コマ / ルシエド @Brekyirihunuade

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ