第2話 ひどい小芝居と箱のなかみ

「じゃ、私がクローエンの役をやるから」


 一時間後。人数分の台本を用意したロゼが、四人を前に指揮をとる。


「く、『クローエンさん。少し、話があるんですけど』」


 台本を握りしめたアミリアが、つっかえながら、最初の台詞を口にした。


「『なんですか? アミリア。あらたまって』」


 ロゼは四人を前に、街娘の憧れの的であるクローエンを演じた。本人は気付いていないが、棒読みである。


「こ、『これなんですけれど』」


 アミリアはテーブルの上の箱を手に取ると、クローエン役のロゼに見えるよう、胸の前まで持ち上げる。


「『まさかアミリア。開けたんですか。その箱を』」


 驚愕の表情を作ったつもりのロゼ。ダイコンである。


「『私、とても信じられなくて。まさかクローエンさがこんなものを。きっと、何かの間違いですよね!?』」

 

 一方、アミリアはどんどん演技が上手くなってきている。


「『幻滅しましたよね。俺がこんなものを箱の中に入れているなんて……』」


 ロゼはダイコンのままだった。自覚が無いのでどうしようもない。


「『クローエンさん……』」


 アミリアはクローエン(ロゼ)を潤んだ目でたっぷり数秒間見つめてから、大きくかぶりをふる。


「『いいえ! 私、幻滅なんてしていません! クローエンさんは、クローエンですもの! 千年以上生きておられるんだから、色んな事があって当たり前ですよ!』」


「『そうだぜクローエン。誰にだって、隠したい事の一つや二ちゅ』……」


「本番は噛んじゃだめよ。リューク」


 舌を噛んで悶絶しているリュークに、ロゼが冷たく言い放った。


「おいユウリ。次、お前の番だぞ」


 アダンが、台本を手に口を真一文字に結んでいるユウリに声をかける。


「ぼ、僕は、こんな茶番はごめんだ!」


 叫んだユウリが、ぐしゃりと台本を握りつぶした。


「お願いします、ユウリさん。協力して下さい」


「死なばもろともってゆーだろ。乗りかかった船じゃねえか」


 エル・アトゥラスの幼馴染代表のような少年少女二人が、揃ってユウリに懇願する。しかしユウリは、頑な姿勢を崩さない。


「嫌だ。僕はやらない」


 黒髪ボブの毛先を揺らし、プイとそっぽを向いてしまった。ロゼは顎を上げすっと目を細めると、非協力的な仲間を見る。


「あっそ。じゃ、この箱はあんたが開けた事にするわ」


「なっ、なんでそうなるんだよ!」


 ユウリが弾かれたようにロゼに振り向き、抗議する。頑なだがやはり、クローエンは怖いらしい。


「自分勝手な奴を擁護するつもりは無いわ。一人で逃げるなら、それくらい覚悟なさい」


 情け容赦のないロゼの対応に歯がみしたユウリが、渋々台本を広げる。


「『こんな箱ごときで、クローエンの価値は変わらない!』」


 台詞を口にしつつ、台本に書かれた通り、自分の胸に手を添えて、クローエン(ロゼ)をじっと見つめる。


「まぁ。ユウリさん上手!」


 アミリアが拍手した。


「一番自然体だな」


 アダンが頷く。


「ほっといてくれ」


 ユウリは真っ赤になって俯いた。

 今度はアダンの番である。


「きょ……『今日の事は誰にも言わねえぜ。このアダンが、命に賭けて誓ってやるってなもんよ!』って俺ってこんなキャラだっけ!?」


 アダンもダイコンだ。しかし声だけはでかかった。


「『アダン……』」


 ロゼは感動しているクローエンを演じる。


「『ほら、この箱は返すぜ。大事にしろよ』」


 アミリアの手から箱を取ったリュークが、それをクローエン役のロゼに差し出す。


「『ああ。みんな……すまない』」


 箱を受け取ったロゼは、すがすがしい笑顔を意識して顔面筋を動かした。若干、口角がひきつった自覚はあった。


 フィニッシュである。


 数秒の後、はぁ~、と全員が肩の力を抜く。


「しっかし、ホントにこんなんでクローエンを丸めこめるのかぁ?」


 アダンが台本を見ながら、ガリガリと後頭部をかく。


「いやムリだろ絶対」


 ユウリがすかさず断言した。


「不安は拭えねえけどさ。やるしかねえだろが、こうなりゃ」


 思いきりの良さはリュークが一番である。


 ロゼは四人に「大丈夫よ」と得意気に微笑んだ。


「後は、箱の中身を確認して、必要に応じて台詞を部分的に変更すればいいんだから」


「よかった。ロゼさんのとこに持ってきて」


 アミリアが心底ほっとした様子で、胸に両手を重ねる。その時、扉がノックされた。続けて、「ロゼ。いますか? 俺ですが」という柔らかい響きを持った若い男性の声が聞こえる。


「く、クローエン!」


 ロゼは青ざめた。他の四人も各々、慌てふためく。


「どどどどーしよう? ねえリューク!」


「どーしようったってアミリア、おめぇ! ど、どうすんだよ!」


「おいこらユウリ! 窓から逃げようとすんじゃねえ!」


「放せアダン! 僕は白銀しろがね(ユウリの天馬)のブラッシングに行かないと!」


 右往左往している四人を前に、ロゼが「落ち着いて!」と叫んだ。


「計画が早まっただけよ。台詞はそのままでいきましょ。練習通りにやれば大丈夫だから」


 四人を落ち着かせたロゼは、なにくわぬ顔で扉を開ける。


 扉の前には、演習用の戦闘着をまとった赤髪赤目の青年が立っていた。『赤碧』の異名に相応しい、あでやかな色彩である。長い髪を後頭部の高い位置で一つにまとめたそのスタイルは颯爽としていて、中性的な美しさを持つその容姿に、大変よく似合っている。左手に茶色い革手袋をはめており、右手は素手だった。


「すまないロゼ、ちょっと聞きたい事があるんですが、俺の――」


 クローエンが手袋をはめていない右手を前に出して、ロゼに何かを訊ねかける。そこに、箱を持ったアミリアが飛びこんできた。


「あ、あのぉっ! クローエンさん、こここここれなんですけれども!」


「あれ? この箱って……」


 クローエンが目を瞬いた。アミリアは頭上に箱を掲げる。


「はい! そうなんです! 開けました……いえまだ開けてないんですが、私はクローエンさんを信じられません! きっと何かの間違いなんです! だから幻滅はしていません!」


「……え?」


 クローエンが形のいい眉をひそめた。

 第一声から支離滅裂である。ロゼは額に手を当てると、天井を仰いだ。そこからの現場は、更に混乱を極め、てんやわんやとなる。


「そうだぜ! 千年以上生きてる爺なら、秘密の一つや二ちゅ!」


「リューク、今、舌を噛んだのか?」


「そうだクローエン! お前の価値は変わらない! 死なばもろともだ!」


「ユウリ、一体何を言って……」


「このアダン、命にかけて秘密を守ってやるからこの箱もう返していいかな!?」


「どうして泣いているんだ?」


 意味不明の台詞の連続にいちいち反応するクローエンもおかしいんじゃねえか? とロゼは完全に傍観者の気分で、もはや収集のつけようがない惨状を眺めていた。


「何だかよく分らないが……」


 クローエンはそう言いつつ、箱を頭上に掲げたまま停止しているアミリアの両手から、螺鈿の箱をそっと抜きとった。箱の正面に顔を近づけると、鍵穴に向けてふっと息を吹きかける。次の瞬間、カチャン、と軽い音がした。


「あれ? もしかして今、鍵、開いたの?」


 目を丸くしたロゼが箱の持ち主に訊ねる。


「ええ。鍵は無くしたと思っていたんですが、そもそもこれは鍵なんてなくて、俺の息に反応するように作っていたんですよ。今この瞬間まで、すっかり忘れていましたが」


「そ、それで、中身は?」


 おそるおそる、リュークが訊ねる。

 クローエンは答えなかった。その代わり、実にさわやかな笑顔を質問者に向けた彼は、解錠した箱を「はい」とロゼに渡した。


「これは、みんなにあげますよ」


「え、マジで?」


 ユウリが、口をあんぐり空けた間抜け面で訊き返した。自称『隊のスイートポイント』を演じている普段の彼であれば、絶対にしない変顔である。

 一方、元来スマートなクローエンは、意図せず素をさらけ出している仲間の珍プレーにも、普段通りの対応をとるという紳士ぶりを見せる。


「もちろん。むしろ、みんなの手に渡ってほっとしているんだ」


 部屋にいる全員を見渡し、にこりと微笑んだ。当然ながら、つい先ほどまでてんやわんやしていた五名は、完全に拍子抜けである。

 目瞪口呆とした空気が漂う中、一人飄々としたクローエンが、箱を持ったまま棒立ちしているロゼに話しかける。


「ところでロゼ。魔界から来た料理人が、街で軽食屋を開いたそうなんですが。今度行ってみますか?」


「え? あ、ああ。考えとくわ」


「じゃあ、五日後の休日に。昼前に城門集合で。午後いっぱい、予定を空けておいてくれると有難いです」


 こいつ、誘い慣れている。

 クローエンを除いた全員の、心の声が一致する。


「それじゃあ、俺はこれから演習があるんで失礼。あ、そうだ。もし俺の革手袋を見つけたら、拾っておいて下さい」


 エル・アケルティでは浮名を流していたのかもしれない神族の美青年は、そこにいる面々に笑顔でそう言うと、手袋をしていない右手をひらひらさせた。


「……はい」


 リュークが茫然としながら頷いた。


「アミリア。ちょっと」


 扉に手を添えたクローエンが、退場前にアミリアを手招きする。


「え? あ、はい」


 我に返ったアミリアが、クローエンに促され、ロゼの部屋を出る。

 クローエンはアミリアが廊下に出ると、パタリと扉を閉めた。


「なんでしょう?」


 小首を傾げて訊ねてきた侍女の背中をそっと押して廊下を歩みながら、クローエンは答える。


「いえ。君は避難しておいた方がいいと思って」


「ひなん?」


「開けずに対策ばかり練っていたのは失敗でしたね。考案者は、ロゼといったところかな」


 クローエンがくすりと笑った。アミリアは目を丸くし、「ええ~」と声を上げる。


「なんだ。それじゃあ全部、お見通しだったってことですか?」


「なかなか楽しい劇でしたよ。子供のころにやった、演芸会を思い出しました」


 クローエンの声は笑いを帯びている。微笑みを浮かべているその顔は、自分の少年時代を思い出しているのか、アミリアの目にはいつもの彼より若く映った。

 アミリアは自分の胸に手を当てて、あははと笑う。


「もう。ドキドキして損しました。ところで、中身は何だったんですか?」


「魔界の食虫植物ですよ」


「しょくちゅうしょくぶつ?」


 アミリアは立ち止まった。クローエンが、「もう少し歩いて」とアミリアの手を引く。どことなく、急いでいる様子である。

 クローエンは歩みを止める事無く、箱の中身について説明を始めた。


「二年前の魔界遠征の時に、面白そうだと思って採取して、箱にしまってあったんです。外気に触れると巨大化する品種みたいだったので、誰かが開けたりしないよう箱に仕掛けを施しておいたんですが、俺とした事がうっかり、採取した事自体を忘れていて。だから丁度よかった」


「ああ、そうだったんですか。でも、あれ? 巨大化する、ってことは、まさか……」


「襲いますよ。もちろん、人もね」


 次の瞬間、後方から数名の悲鳴が上がった。続いて、どおん、どどーん、という轟音が響く。ロゼの部屋の扉が廊下に吹っ飛んだかと思うと、部屋の中から何やら緑色の蔓のようなものが、うにょうにょと出てきた。


 絶句しているアミリアの背中を押して、クローエンが歩調を速める。


「『みんな……すまない』」


 扉の向こうで立ち聞きして覚えた最後の台詞を口にしたその美貌には、いたずらっ子のような微笑みが浮かんでいた。


~おしまい♡~


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エル・アケルティ物語 KAC20243〜あかずの箱〜 みかみ @mikamisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ