エル・アケルティ物語 KAC20243〜あかずの箱〜
みかみ
第1話 クローエンの箱
ここは、エル・アトゥラス大陸のほぼ中央に位置する王都である。名前は無い。古来からこの大陸に国はたった一つで、『王都』といえば、それで通じたからである。たまに『帝都』と呼ぶ者もいる。
国王は聖王と呼ばれ、精霊族の長が玉座を継いでいる。現聖王は、エイドリアスという若き美男であった。若いといっても、数千歳である。精霊族の寿命は限りない。
エイドリアスは、直属の武装集団を所有している。その名は聖騎士団。齢一五歳の王子リュークを総司令官として、飛竜、天馬、飛蟲の三部で構成された、精鋭隊である。
二年前、この聖騎士団はエイドリアスを大将として魔界へ乗り込み、一晩で魔王城を落とした。以後、魔界の住人からは別名、『空飛ぶ災厄』と恐れられている。とどのつまりは、バケモノ集団だ。
この日、そのバケモノ集団の三隊長のうちの二人、および総司令官。そして、総司令官の幼馴染である聖女エラ付きの女官一名が、王城のお抱え占い師の部屋に集合していた。
一つの箱を携えて。
その箱は、両手に納まるくらいの小さなものだった。繊細な螺鈿細工が施された、美しい逸品である。さぞかし見る者の心を華やがせるかと思いきや――
丸テーブルの中央に置かれたその箱を囲む面々は、実に困惑した表情であった。まるで、呪われた魔法具を前にしているかのような眼差しだ。
「それで? あんたの剣技を使っても壊せなかったっていうのね? この、『クローエンの秘密の箱』とやらは」
部屋の
「僕は己の修行不足を恥じているっ」
そう言うと、横に流した前髪の下で悔しげな表情を作り、くっと歯をくいしばる。
「何お前、剣豪気取ってんだよ」
聖王の実子、聖騎士団の司令官を務めるリュークが、持ち前のざっくばらんさで、戦友の気取りっぷりをせせら笑った。
「けどよお、とんでもねえ箱なんだぜ、実際。開け方が分らねえ上に、剣でも斧でも、びくともしねえんだからよ」
斧で箱を叩き壊そうとして、逆に斧を木っ端みじんにされてしまった飛蟲隊隊長のアダンが、その大柄な体躯に見合う分厚い右手を上下に振って説明した。斧に攻撃が跳ねかえってきた時の衝撃が、まだ腕に残っているらしい。ちなみにユウリの剣は、真っ二つに折れたのだそうだ。
「保護魔法がかかっているみたいなんです。鍵の形も、普通のものとは違うみたいですし」
リュークの幼馴染で、聖女付きの女官でもあるアミリアが、その清楚な顔を好奇心でいっぱいにし、テーブルに置かれた箱を両手でそっと持ち上げた。「どうぞ」とロゼに渡す。
ロゼは、アミリアが中古市から買い取って来たというその箱を受け取ると、傾けたり裏返したりしながら、その箱を観察する。
「ふーん。確かに面白い仕掛けがされてるようね。でも、どうしてクローエンのものだって分ったの?」
「売りに来てたんですよ。クローエンさんが。『鍵を失くしたんだけど、それでもかまわないか?』って店主に訊いてらして」
丁度、換金していた最中にばったり出会ったのだという。
「へえ。あいつが私物を売りにねえ」
物持ちがいいタイプなのに珍しい、とロゼは素直な感想を抱く。
クローエンとは、聖騎士団飛竜隊の隊長である。エル・アケルティという幻の大陸に住むと言われている神族の一人である。ここエル・アトゥラスに亡命した身であり、現在ロゼとは、共に聖王の命令を受けている仕事仲間でもあった。
ええ、とアミリアがロゼの感想に同意する。
「でも最近、物が増えてきたとかで、いくつか整理されたようなんです。箱自体がとても綺麗なので、捨てるのが勿体なかったのかな、って思ったんですが。鍵をしてある、っていうのが少し気になって」
そして、その箱に興味を持ったアミリアは、クローエンファンクラブの少女たちがそれを競り合う前に、つい買い取ってしまったのだそうだ。その後、箱をどうするかも考えず。
「私がこの箱を持ってたら……やっぱりちょっと、変ですよねぇ」
そこにいる全員の顔色を伺いながら、アミリアが訊ねる。
ロゼと隊長二人は、同時に「「「うん」」」と頷いた。
「隠れファンの一人だったって思われるだけじゃねー?」
リュークだけが、どうでもいいと言わんばかりに右の小指で耳を掃除しながら、そっぽを向く。幼馴染が他の男に興味を持った事に対して、ヤキモチを焼いているらしい。
「またこっそり売ればいいじゃない」
ロゼは最も簡単だと思えるアドバイスをした。買った事はばれていないのだから、さっさと転売してしまえばいいのである。
しかしアミリアは珍しく、「そうなんですけど……」と歯切れ悪くロゼを上目使いに見ると、こう言った。
「中身、気になりません?」
アミリアがロゼに問いかけた途端、そこにいた全員の視線が、ロゼに集中する。
どうやらここにいる全員、クローエンの箱の中身が気になって仕方がないらしい。故に売る事も出来ず、かといって開ける事も出来ず、困った末にここへ来たのだろう。ロゼはそのように解釈した。
ロゼは野次馬精神旺盛な四人の若者に、ゆっくり顔を近づけると、その唇に蠱惑的な笑みを作った。たっぷりと間を取り、十分に四人の注意を引きつけてから――
「ならない」
と、わざと大きめに唇を動かして否定する。
「「「「ええ~!?」」」」
身を引いた四人が、不満げな叫び声を上げた。
「うっそだ~! ひねくれ魔女が嘘ついた~!」
子供っぽい台詞を発したユウリが、ロゼを指さす。
「ユウリ。(ベ・ル)」
冷たい笑みを浮かべたロゼが、ユウリが密かに想いを寄せているメイドの名を口パクで伝える。
ベルの好みに合わせて己の性格を偽っている事や、ベルの為に書いた熱いポエムの存在などをネタに、ロゼから強請られた経験があるユウリは、青ざめて口を閉じた。
「さっさと手放しちゃいなさい、こんなもの。開けたって、絶対良い事なんかないわよ」
波打つ黒髪をさっと払ったロゼが、箱を中心にした円陣から抜けて、ベッドに座る。
「歴史的に、箱に関わって幸福になった人間はいないって知ってる? 大昔の武将は空箱を贈られて自害したし、どっかの漁師はつづらを開けて爺になったっていうんだから」
「それ一個は確実にお伽話だぞ。つづらじゃなくて、玉手箱だしな」
したり顔のロゼから披露された微妙な知識に、リュークが訂正を加えた。
続いてアダンが、大きな口を歪めて悪質な笑みを作る。
「ロゼよぉ。んなこと言ってっけどお前、実は開けられねえだけじゃねえのか? 陛下の眼球作った割には、『創造』の力も大したことねえんだなぁ」
アダンが大いにロゼを煽る。ムッとした表情を作ったロゼは立ち上がると、その細腰に手を置いて、成人を迎えたにしてはボリュームにやや欠ける胸を張った。
「なめんじゃないわよ。こんなオモチャ同然の仕掛け、五秒で外せるわ」
でもね、といい繋ぐ。
「どっちにしろ、仕掛け箱に入れてあるってことは、その中身はあいつにとって、見られちゃ都合の悪いものなのよ。よく考えなさい、あんたたち。ほんっっっとに、それを開けたいわけ?」
うーん、と四人が腕を組んで考えこんだ。ほどなくして全員が、引きつった笑みを浮かべる。
「でしょ? 一度開けたが最後。根性悪な絶対零度の怒りに触れて、泣きを見るのがオチなのよ。こんなもん、さっさと手放すに限るわ」
結論を出したロゼはまた、ベッドにどさりと座る。今度は脚を組んだ。『はいサヨナラ』とばかりに、上に組んだ足を四人に向かって前後に振る。
「なあいっそ、本人に返す、ってのはどうだ?」
アダンが言った。
「そんで、中身が何か訊くんだよ」
どうやらアダンは、野次馬精神が恐怖を上回ったようである。
「バッカじゃないの。誰がやるのよ、そんな役」
吐き捨てたロゼに、注目が集まった。無言の訴えが、四人の視線から溢れている。視線の意味を理解したロゼは、愕然とした。
「なんであたしが!」
「でもロゼさんはお城じゃ、クローエンさんの片腕って言われてるんですよ。きっと一番上手く、やれると思うんです!」
胸の前で両手を結んだアミリアが、身を乗り出して熱弁してきた。初耳だったロゼは、鼻で笑う。
「何その不名誉なポジション。いらないわ」
「キスまでしといてよく言うぜ」
リュークが茶化した。以前、ロゼの変身が解けず困っていた時に、『蛙の王子様』という童話のようにキスをしたら人の姿に戻るのではないか、とリュークが二人に口づけを強制したのである。結局、するだけ無駄に終わってしまったが。
「あんたが馬鹿みたいにけしかけたからでしょ! やったのはあいつで、あたしじゃない!」
ロゼが顔を真っ赤にして怒鳴った。
「屁理屈言うよなぁ。キスは一人じゃできねえじゃねえか」
アダンの意見に、ユウリが「うん、できない」と同意する。
話題がクローエンの箱から、一月ほど前の悪ふざけに変わりかけている中、アミリアが「わ、わたし……」と声を震わせる。
「わたし、売りに行く所をもしクローエンさんに見られたり、売った事がバレたりしたら……そっちの方が侍女としては不名誉というか、美学に反すると言うか。自分で自分が許せないというか」
情に訴える作戦のようだ。
「そう。つまりあたしは、侍女のよく分らない名誉と美学と自己満足の為に犠牲になるってわけね」
ロゼにザクリとやられたアミリアは、羞恥で真っ赤にした顔を、両手で覆い隠す。
「すみません! 私が好奇心に負けたばっかりに!」
まったくだ、とロゼは思った。
しかし、アミリアにはまだ返せていない恩がある。強い好奇心も、若いが故なのだろう。
「仕方ないなぁ。こうなったら、あたしができる事はただ一つ」
ロゼは人差し指を一本、立てた。そして、「開けてやるわよ、その箱を。で、あいつに空箱を返してやるの」と新たな道を提案する。
「マジ!?」
「本気かよ!?」
「中を見た事がバレたらまずいんじゃねえのかよ」
ユウリ、アダン、リュークが順番に、慄いて身を引いた。ロゼは「ノンノン」と立てた人さし指を左右にふると、続けてパチンと指を鳴らす。
「中身を見れば、あいつの弱点を握れるかもしれないでしょ。大切なのは、先手必勝よ。蓋を開けた箱を返す時、最初の一手で、あいつにどれだけ心理的揺さぶりをかけられるか。それで勝負は決まるわ」
「オメエ、クローエンを強請る気か?」
リュークが顔をしかめた。
「おいおい、そりゃ自殺行為ってもんだぜェ」
苦い経験があるのだろう。アダンがごつい両腕を抱えて、身震いした。ユウリは真っ青になって、直立姿勢のまま固まっている。
「バカね。ちょっとした芝居をするだけよ」
くすりと笑ったロゼは、胸にかかっていた黒髪を指に絡ませた。くるくると巻きながら思案する。
「問題は、誰が特攻役をするかよね……。罪悪感や羞恥心を引っ張りだす重要な役よ。絶対にやってはいけないのは、怒りを買うことだから……」
唯一思いあたる人物に目をやると、他の四人も同じ人物を見ていた。アミリアである。
「満場一致ね、おめでとう」
歌うように言ったロゼが、特攻役の少女に拍手を贈った。
アミリアはしばし絶句していたが、やがて腹を決めたとばかりに、きっ、と表情を引き締める。
「分りました。箱を買ってきたのは私です。具体的に何をすればいいのか、教えて下さい」
「流石はアミリア! 昔から度胸あるもんな、お前」
リュークが手放しで幼馴染を褒めた。そこは『俺が代わる!』と名乗り出た方が男として株が上がったのではないだろうか、とロゼは思ったが、黙っておく事にする。
「決まりね」
脚を組み変えたロゼが、四人に向かって不敵な笑みを浮かべた。
「任せてちょうだい。魔女のプライドにかけて、勝ちに導くシナリオを書くわ」
ロゼにとって魔女のプライドとはすなわち、卑劣のみを避け、とことん勝ちに拘った姿勢を貫く強い執念だった。
つづく♡
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