小さな灰色の貝殻が入っている木箱は引き出しの片隅に
葛西 秋
小さな灰色の貝殻が入っている木箱は引き出しの片隅に
小さな灰色の貝殻が入っている木箱は引き出しの片隅にずっと忘れ去られていた。その木箱は数十年前、この家の持ち主だった家族が夏の旅行の思い出に買い求めたものだった。
なんてことは無い寄木造の小箱は、幸せな家族の夏の思い出の欠片として小さな灰色の貝殻を預かり、引き出しの片隅でずっとそれを守り続けていた。
やがて年月が過ぎて家の持ち主が何回か代わり、建て付けの戸棚の引き出しは次第、次第に古びて使われるどころか存在すらも忘れ去られた。小さな灰色の貝殻が入った寄木造の小箱も、引き出しの片隅でいっしょに忘れられていた。
それは箱にとってとても幸せな時間だった。この家の持ち主だった幸せな家族の夏の思い出をずっと守っていられるのだから。
だがその幸せが危うくなる事態が生じた。
今度、この家に新たに引っ越してきた家族には十五、六歳の少女がいた。
引っ越しの荷解きの手伝いもしないで好奇心の赴くまま、少女は家の奥にずんずんと進み、
「こういうところに何かあったりしないかな」
古い建て付けの戸棚の引き出しを上から順に開けていって三つ目の引き出しの片隅に小さな灰色の貝殻が入っていている木箱を見つけた。
「わあ、もしかしてこれは呪いの箱?」
言っている言葉のわりにはとても楽しそうである。
「開けたら呪いが解放されるとか、あるのかな?」
物騒な言葉のわりに少女は無造作に指を蓋にかけて、
「開かない。これはやっぱり呪いの箱だわ!」
――呪いとはいったい何なのか。
なんてことは無い寄木造の小箱は少女の言葉を反芻した。
――呪い。はて、身に覚えはない。身に覚えはないが……
「お母さん、お母さん! 見てこれ、呪いの箱!」
少女は箱を片手で掴むと走りだした。箱にとっては今この状況こそ呪いである。
ばたばたと少女の足は廊下を駆け抜け、たたたん、たん、と勢いよく階段を降りていく。
箱は必死で自分が預かっている小さな灰色の貝殻を包んで守った。
割れないように、壊れないように、あの幸せな家族の夏の思い出の欠片を。
「お母さん! これ! 呪い!」
少女はいきなり足を止め、息を弾ませて、ただ言いたい単語だけを大声で叫んだ。
「呪いって、あなたねえ。手伝いもしないで……」
小言が始まりそうな雰囲気ではあったが、母親の視線は興味深そうに少女の手の中の箱に向かった。
「あら、きれいな箱じゃない」
「呪いの箱なのよ、古い引き出しにあったの。蓋が開かないの」
「あなたはもう少し落ち着いて話す癖を付けたらどうかしら」
母親はそう言って少女の手の中から箱を取り上げた。
そうして目の前まで持ち上げてクルリと箱を一回転させると、コツコツと箱の脇の方を何回か、向きを変えて指で叩いた。
と、まるで魔法のようにするりと箱のふたが開いた。
「きゃあ、呪いが出てきちゃう!」
「開けたいのか開けたくないのか、はっきりしなさいよ。開けたけど」
ことん、と開いた箱には丁寧に綿が詰められて、中には小さな灰色の貝殻が一つ、収められていた。
「こんなに丁寧にしまってあるのなら、きっと大事な物だったのでしょう。それをあなたは呪い呪いと。騒ぐこともないでしょう」
「だってこんな古い家にあるのは呪いのなにかだって」
「そんな思い込みよりも確かめなさい、自分の目で」
はぁい、と少女は小さく口にして、
「あ、そうだ!」
また唐突に走り出した。どうも元気が良すぎて落ち着かない。
箱は周りを見回した。しばらく引き出しの中にいたものだから、家の中を見たのは久しぶりだった。壁の表面や建具は見覚えがない新しいものになっていたが、吹き抜けの天井に見覚えのある大きな梁が見えた。最近磨いてもらったばかりのようで、黒光りしながらじっとこちらを見下ろしている。
――ああ、この家もずっと幸せだったんだ。
箱は自分だけが幸せではなかったことに安心した。
「あったあ!」
少女が叫びながら廊下の向こうから走ってきた。急ブレーキで母親の前で止まり、箱の中に手を伸ばし、そして。
とん、と小さな灰色の貝殻の横に小さなガラスの欠片を置いた。
海の波と砂に洗われて丸くなったガラスの欠片。
表面はまるで砂糖菓子のように白く、バニラアイスが溶けかけたクリームソーダのような色をしている。
「これでよし。お母さん、ふたをして」
勢いだけの少女の言葉に、呆れながらも母親は寄木造の箱のふたをきちんと締め直し少女の掌に箱を返した。
「どうするのよ、それ」
「戻してくる」
たたたん、たん、と勢いよく階段を昇り、ばたばたと廊下を駆け抜け、
「これでよし!」
箱は再び建て付けの戸棚の引き出しの中に戻された。
そして勢いよく戸棚の引き出しは閉められて。
箱は再び、静けさの中に取り残された。
穏やかな暗がりの中、少女がばたばたと廊下を駆け抜け、たたたん、たん、と勢いよく階段を降りていく音が聞こえた。
――呪いの、箱。
身に覚えは全くなかったけれど。
なんてことは無い寄木造の小箱の中には小さな灰色の貝殻に加えてクリームソーダ色のガラスの欠片が入っていた。
少女はなにも説明をしなかったけれど、きっとこれは今日からここに住むことになるあの少女の幸せの欠片に違いない。
小さな灰色の貝殻が入っている寄木造の木箱は、古い家に建て付けられた引き出しの片隅で、二つの小さな幸せの欠片をそっと包み込んだ。
これからもずっと、守り続けていくために。
小さな灰色の貝殻が入っている木箱は引き出しの片隅に 葛西 秋 @gonnozui0123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
甑のまじない/葛西 秋
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 20話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます