賢人の贈り物 ~モスクワより愛をこめて~

隠井 迅

今日のナージャ

 坂上ハナが帰宅すると、国際小包が机の上に置かれていた。

 開梱すると、クリムゾン・レッドの包装紙でラッピングされた箱が入っていて、ゴールドのリボンに、ロシア語で書かれたカードが挟まれていた。


「Дорогая Надя(親愛なるナージャ)」


「ユーリイ君からだ」

 送り主は、春休みにロシアに短期留学している二浦賢人(にうら・けんと)であった。


 ハナと賢人が履修していたロシア語の講義を担当していた外国人講師は、受講生の一人一人にロシア語の名を付けていたのだが、例えば、ハナが「ナージャ」、賢人が「ユーリイ」で、一年間・週四回の語学クラスの仲間内では、互いをロシア語の愛称で呼び合っているのだ。


 そして――

 年度の締めくくりである定期テストの後に新宿のロシア料理店で催された打ち上げからの帰り道、ハナから賢人に告白し、二人は晴れて〈彼氏彼女〉の間柄になったのである。

 だが、賢人は、打ち上げの後、その足で空港に向かい、短期留学の為にロシアへと旅立ってしまったので、恋人になりたての二人が一緒にいられたのは、新宿から羽田までの移動の間だけであった。

 これが、東京・ロシア間でプチ遠恋する事になった、新米の彼氏彼女の事情である。


 三月十日はハナの誕生日で、この日に届くように、日付指定で、賢人はロシアから荷物を送ってきたようである。

「何が出るかな? 何が出るかな?」

 箱を開けると、その中には、ひとまわり小さな箱が入っており、さらに、その箱を開けると、もうひとまわり小さな箱が入っていた。

「まるでマトリョーシカじゃないのっ! でも、ユーリイ君らしいっていえばらしいか」

 マトリョーシカとは、人形の中に、より小さな人形が入っているロシアの民芸品である。


「あれっ!?」

 サプライズ好きの賢人が最後の箱の中に誕生日の贈り物を入れているのでは、と期待しながら、ハナは蓋を五度あけてみたものの、最後の箱の中は空であった。

 なかみはなかったのだ。

 しかし、ハッと何か思い付いて、ハナが最後にして最小の箱の底を触れてみると、そこに微かな出っ張りが感じられたので、その敷紙を捲ってみると、底にはUSBメモリスティックが置かれていた。


「ユーリイ君たら」

 ハナが、ノートパソコンにUSBを差し、一つだけ入っていたファイルをクリックすると、動画の再生が開始された。

 それは、ハナの誕生祝いに、賢人が制作した短いアニメーションであった。

 

 ハナは、四月のロシア語の最初の講義でした自己紹介の時に、賢人が語っていた事を思い出した。

 賢人は、小学生の頃に観た、ロシアのアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテインが制作した『話の話』というショート・アニメに感動し、大学の第二外国語ではロシア語を選択する事にしたそうだ。


「でも、わたしの為にアニメなんて作って、せっかくのロシア滞在なのに時間がもったいないよ」

 軽い批判めいた事を口にしつつも、ハナの目頭は熱くなり出していた。


 やがて、短い動画は終わりを迎え、そのアニメの最後のシーンでは、黒い宇宙空間を背景に青い地球が浮かび上り、その一部が、青白い輝きを放ち出した。

「ハラショー! これって、ガガーリンじゃないのっ! ユーリイ君、覚えていてくれたんだ」


 自己紹介の時に、ハナは「わたし、宇宙が好きなんです」と語り、ユーリ・ガガーリンの事を話題にしていたのだ。

 そして、映像の最後の最後に、地球の下に「光をクリック」という文字が現れた。


「いったい何だろう?」


 ハナが光をクリックすると、ミーティング・アプリが起動し、枠の中に賢人の姿が見止められた。


「ドーブライ・ヴェーチェル(こんばんは)、ナージャ。君がアクセスしてくるのを今日はずっと待っていたよ。この映像付きの生通話が、僕からの贈り物だけど、どうかな?」

「ユーリイ……、賢人君ったら」

「僕が日本を発った日以来だけど、今日もナージャ……、ハナはやはり」

「『やはり』?」


「君は美しかった」

  

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賢人の贈り物 ~モスクワより愛をこめて~ 隠井 迅 @kraijean

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