あなたはパンドラのように笑った

星見守灯也

あなたはパンドラのように笑った


 今日も今日とて、暗いニュースばかりだ。スマホを見ながら昼食をとっていた俺はそう思った。

 金を騙し取ったとか、トラブルの末に殺したとか、いじめが見逃されてきた、賞味期限を改竄かいざんした、地震被害、セクハラ、伝染病、虐待。ありとあらゆる災いがこの世にはある。玩具箱おもちゃばこをひっくり返したようにあちらこちらに散らばっている。


「パンドラの箱って知ってる?」

 ひどい交通事故のニュースに顔をしかめた俺に、彼女がお弁当を片づけながら聞いてきた。彼女は一年先輩で、ときどきよくわからない話をする。

「……ええと。たしかギリシャ神話だったかな」

「そう。パンドラという人間の女は、開けてはならないと言われた『箱』を開けた。すると箱からは、ありとあらゆる災いが出てきて世の中に広まってしまった、という話。ちゃんちゃん」

「災いがあるのはパンドラが箱を開けたせいというわけですか」

「でもね、大神は開けられることをわかってこの箱を預けたの。そのために男を誘惑するパンドラを作ったのだから」

「へえ……。え、ひどくない?」

「まあね。人間と人間のため大神を欺いた神への罰なんだって。もっとも本当は箱ではなく、壺だったみたいだけど」

 つまり、なぜ世の中にこんなに災いがあるのか説明するための神話というわけだ。失楽園みたいでもある。ひとりの女性がすべての災いのもとという話。

「ふーん。で、それで終わりですか?」

 彼女の話はいつもオチがない。なのについつい聞いてしまう。

「この後はいろいろあるみたい。有名なのは、箱にはひとつだけ『希望』が残ったと言うものね。慌てて蓋を閉めたからだとか」

 それを聞いて俺は不思議に思った。

「えーっと、二つ聞いても?」

「はい、海老目くん。どうぞ」

「残った希望ってまだ箱の中?」

「おそらくは」

「じゃあ、世界には希望がないってことになりません?」

「うーん。たぶん、希望って世の中にあるものじゃないのよ。人間がその内に持ち続けているものなの。……という解釈があるわ」

 パンドラ……人間の持つ「箱」の中に今もある。希望は外から与えられるものではなく、内から生まれるものだから。

「なるほど。じゃあ、なんでたくさんの災厄のなかに希望が紛れ込んでたの?」

「大神の考えることはわからないけど……人間、希望を抱くとだいたい痛い目に遭うじゃない?」

「ああ……身に覚えがある」

「むなしい希望は災いより恐ろしいってことかしら」

 だから、神を欺いた人間とて大神の御心から逃れることはできない。大いなる力を持つ大神は、力に抗う希望というものを愚かと思っていたのかもしれなかった。

「大神様の思い通りってわけですか」

「そうね。でも、全部がそうじゃないでしょ。むなしい希望がたくさんある中から、本当の希望が出てくるんだもの」

「そうかなあ」

「そう。だから希望を信じてもいいんだと思うの。大神の期待通りにね」



「……じゃあ。次の土曜日、もしよければ、二人でどこか出かけませんか?」

 これは俺の希望。

「残念、その日は用事があります」

 やっぱり希望はむなしい。浦島太郎が玉手箱を開けたときのように。


「でも、その次なら開けときますので、おつきあいします」

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