「あわい荘の魔にまに」のタイトルの元ネタは、
福島県猪苗代町にある「はじまりの美術館」での展覧会、
「あいまいな あわいの まにまに」です。
それは「境界」をテーマにした展覧会でした。
「わかる / わからない、正しい / 正しくない、支援する / される、大人 / 子供、性別、あなたとわたし」
そこには線が引かれているようで、それは誰かが勝手に引いただけかもしれない。
本当はグラデーションのように曖昧で、間があるものかもしれない。
世の中には線を引かなければならないものもあります。
(999円では1000円のものは買えませんからね)
でも、その線をとってみたとき、それらのあいだにどれだけの違いがあるでしょう。
もちろん、違いは発見できるかもしれません。では、同じところは?
あるいは同じと思っていたものにも違いを見つけられるかもしれません。
どこまでが「同じ」で、どこからが「違う」ものなのか。
線を引いて区別する、名づけることで分類する。
それはとても大事なことです。
そうしなければ、私は自分が何を考えているかもこうして書けないでしょう。
でも、本当にそれは隔絶したものであるのか。
あいまいなものをあいまいなままにしておいたほうがいいのではないか。
そのほうが実態に近いのではないか。
なんとなく間《ま》を作るほうが上手くいくのではないか。
私たちは言葉を使って物事を分類してつかんだと思っているけれど、
言葉にすることで抜け落ちてしまう「あいまい」や「あわい」をぼんやりと考えています。