空箱のアリ

秋犬

空箱のアリ

 私の娘は空箱が大好きだ。お菓子の空箱に石鹸の空箱、スーパーでもらってきた段ボール箱でもよく遊んでいる。箱をビルに見立てて街を作ったり、箱を開けてそこにおもちゃを並べて家のように見立てて遊ぶことが多い。うっかり箱を破ったり捨ててしまったりすると泣くので、妻からは「箱が空いたら一度見せるように」との通達が出ている。


 最近の娘は牛乳パックがお気に入りで、箱を何個も積み重ねて大きなビルを建設している。ガムテープで貼り合わせただけのものだが、リビングの端に鎮座するそれは娘の要塞には違わなかった。箱の中で娘は微笑み、彼女の書いた風景画がぺたりとセロハンテープで付けられ、お気に入りのぬいぐるみたちが彼女のテリトリーの中で楽しそうにお喋りをしている。我が娘ながらそこそこいい趣味を持っていると思う。


 ある日、娘が熱心に庭で何かをしていた。しゃがんでいる娘を覗き込むと、空き箱に蟻を次々と入れている。


「何してるんだ?」

「アリさんのおうち作ってるの」


 娘は次々と蟻をつまみ上げる。蟻はじたばたともがき、箱に入れられて右往左往する。


「こっちがリビング、こっちがトイレよ」


 菓子を置くのについていた仕切りを壁に見立て、娘は蟻を娘の世界の家へ閉じ込めていく。


「このアリがお父さんでね、こっちがお母さん。あとは子供とペットのアリ」


 どうやら娘の世界の蟻たちには役割があるらしい。この辺をうろうろしている蟻はみんな働き蟻だからメスだよ、などという野暮は言わない。娘の世界は尊重してあげたい。


「あ、お父さんどこ行くの。お母さんと仲良くしないとダメでしょ。子供たちはペットとお散歩に行くんだよ、さあリビングに集まって、こら、ダメでしょ勝手に外に行かないの!」


 娘の言葉に苦笑する。まるで小さな妻が話しているようだ。こうして子供は親の言葉を覚えていくのだな。


「お父さんは勝手にどこかに行かないの、ダメでしょ!」


 娘がお父さんアリをつまみ上げる。お父さんアリはもがいて娘の思い描く場所へ連れて行かれる。蟻が可哀想だから放してあげなさい、と言おうと思ったが娘の世界に入っているところに水を差すとまた機嫌が悪くなると思い、私はしばらく見守ることにした。


「お父さんは会社に行ってね」

「お母さんは今日はリモートですよ」

「子供たちはもうすぐバスがきまーす」


 蟻は娘に摘ままれ、玩具のように箱の中を行ったり来たりしている。蟻とすればはた迷惑に違いないと思ったが、案外蟻も娘の思い描く役割を楽しんでいるのかもしれない。


「お父さんにお母さんに子供たち、か……」


 ふと空を見上げる。もしかしたらこの世界も何かの空箱の中で、空の上にいる何者かによって操られているのかもしれない。そうすると私は本来のお父さんなどではなく、箱の外では働き蟻として自我もなく働いているのかもしれない。


「なんて、な」


 自分の空想に思わず吹き出す。こういう夢見がちなところが娘に似てしまったのだろうか。娘はひたすら蟻を摘まんでいろいろ空想している。私は見えない手に操られるように娘を見守る。例え役割だとしても、私がこの子を愛していることには間違いないことだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空箱のアリ 秋犬 @Anoni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ