箱入り娘

真野てん

第1話

 三月某日。

 社長の勧めで取引先専務の娘さんとお見合いをすることになった俺こと羽柴はしば しょうは、おそらく自分には一生縁のないであろう高級料亭の一室へと通された。

 ぬれ縁を先導する女将おかみの後ろ姿は美しく、ベタではあるが庭でカコンッと鳴る鹿威しにはいたく感動した。


 こちらでございます――。

 女将に促されるようにして障子戸を開けると、すでに先方さんと、俺側の立ち合いをしてくださる上司夫婦が待っていた。


「遅くなり申し訳ございま――」


 見合い相手はお名前を高台院 ねねと仰り、大層な箱入り娘とは聞いていたが。


「せん」


 まさか本当に箱に入ってるとは思いもよらなかった。

 部屋の上座に座っている高台院家のご夫婦の間に、一辺が一メートルほどの正方形をした立体物が鎮座している。

 材質は一体なんであろうか。段ボールではなさそうだが。


「おお、羽柴くん。こちらこそスマンな、勤務中に。さあさ、中へ入ってくれ」


 高台院氏の招きにより、俺は上司夫婦の間へと座った。

 すでに食事が始まっていたらしく、目の前には懐石料理が振る舞われていた。ふと正面を見ると圧迫感のある箱。しかしながら彼女(?)の前にある料理には手が付けられた形跡があり、一体どんな風にして食事をしたのか気になって仕方がない。


「は、羽柴です。この度は自分には分不相応な席を設けていただきまして、大変恐縮しております。お嬢さまも本日はお時間をいただき誠にありがとうございます」


「――ねね、と申します。羽柴さまのことは父からよく聞き及んでおります。大変、誠実な方だと伺っております」


 遮蔽物を挟んでいる分、若干くぐもって聞こえるが、非常に可愛らしい声だった。

 たとえるなら鈴を転がすような――と安易に言ってしまえば陳腐になるが、見た目とのギャップもあり心底ホッとしてしまう。


「羽柴くんは第一営業部のエースでして、おもに海外との取引を任せております。上司の私が言うのも何ですが将来有望な若者ですよ、お嬢さん」


「まぁ……エリートでいらっしゃるのね……」


 先方の奥方が頬に手を当て上品に微笑む。


「いやぁ、自分ではあまり……」


「ほら、ご覧。謙虚さも素晴らしいだろう」


 はっはっは――。

 驚くほどスムーズに会食が進んでゆく。少し気負っていた自分がバカみたいだ。箱の中の彼女は会話の端々から優れた教養をのぞかせる。ご両親もまた日本的上品を絵に描いたような素敵な方々だった。

 そしてついに、あの言葉が上司の口から発せられる。


「ではそろそろ我々はおいとまして、若いふたりに任せますかな」


「そうですな」


 そう言って部屋をあとにする大人たちへ向かって俺は深々と頭を下げると、ふと取り残されてしまったこの状況にどう対応するか脳みそをフル回転させていた。


「あの……羽柴さま……」


「は、はいっ」


「今日は父のわがままに付き合ってくださいまして、本当にありがとうございます。もうそれだけで十分ですので……」


「や、そのぉ……なんと言いますか……」


「変に……思われてますよね……?」


 箱の中で声が震えている。

 どうやらこの状況は、彼女にとっても「普通」という訳ではないらしい。当たり障りのないところで「ご趣味は?」とか聞こうとしていた自分の浅はかさを呪った。


「あなたに何があったんですか。ぼくで良かったら聞かせてください」


 短い沈黙のあと。

 意を決したように彼女は箱の中からこう答えた。


「じつは大学時代にお付き合いをしていた男性にひどい別れ方をされてしまって……」


 ああそれで――とはならないだろう普通。

 しかし彼女の声からはふざけている様子は微塵も感じられない。先ほどの沈黙がすべてを物語っている。彼女はいたって真剣だと。


「それで……世の中のすべてを拒絶してしまったのですか?」


「……」


 彼女は何も答えない。

 だが時には沈黙が答えということもある。


「すごく……好きだったんですね。そのひとのこと」


「えっ?」


「だってそうでしょう。その恋にあなたは全力だった。だからこそそれを奪われた時、すべてを拒絶するほど世の中が嫌になってしまったんです。あなたは変じゃない」


「私が……変じゃ……ない……」


「ええ。恋愛って――まあ、あんまり分かったこと言うつもりもないですけど、それくらいのエネルギーを抱えてますよ、きっと。でも……それで人生棒に振っちゃうのもあんまりだ」


 俺は目の前にある「箱」が無性に可愛らしく感じられた。

 無機質なその表面にしっかりとした感情が伝わってくるのである。彼女は物なんかじゃない。ひとりの女性なのだから。


「あの――ねねさん、ご趣味は?」


「えっ。あ、はい、こうなる前はお散歩が好きでしたけど……」


「じゃあ、少し歩きませんか」


「えええええっ」


 彼女がいつ頃からこうして箱の中にいるのかは分からない。

 だかこの反応でそうとうな覚悟がいることを知った。この提案が吉と出るか凶と出るか。にわかにガタゴトと揺り動く箱に手を掛けて、俺は彼女に再度問う。


「開けますよ。いいですか?」


 彼女は無言だった。

 しかし焦った様子もないようだったので「開けます」と一言断り、俺は勢いよく手にした箱を上へと持ち上げる。

 すると中から出て来たのは――もう一回り小さい箱だった。


「………………厳重ですね」


「箱入りですから」


 一目惚れというのは実在した。

 二重の箱に守られていた彼女を見て、心底、元カレに感謝する。彼女には悪いが振ってくれてありがとうと。

 本人には聞かせられないが、俺は胸の中で叫んだ。


 箱の中とはいえ、しっかりと振袖を着込んだ彼女の愛らしさといったらなかった。

 俺は彼女の手を取ると、そっと障子戸を開けて庭へといざなう。


 カッコーンっと。

 鹿威しの音が一際鳴り響いた。

 まるでふたりの将来を祝福しているかのように。


 ずっと箱の中にいたにも関わらず足腰はしっかりしている。彼女と飛び石を歩いている時にどうしても気になっていたことを聞いてみた。


「あの――。さっきのお食事はどうやって?」


 すると彼女は唇にひとさし指を当ててウィンクをする。


「乙女には秘密がございますのよ?」


 ああ――。

 くっそカワイイぞ、このひと。


 それから半年後。

 俺たちは結婚することになった。

 彼女を守っていた箱は、ちょっと手直しして今では新しい家族のベッドになっている。箱入り娘の子はやっぱり箱入りだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱入り娘 真野てん @heberex

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説