憑家
銅座 陽助
第1話
「部屋を、探しているんです」
俺がこの不動産屋で働きはじめてから二十年ほどが経つが、そのような客を見るのは初めてのことだった。
「出来れば駅に近くて、コンビニとかからあんまり離れていないところで良いところってありませんかね。家賃は五万以下、できれば四万くらいで」
少しおどおどとした様子で要件を述べる男性客。こういった経験は少ないのか、そわそわと落ち着かない様子だが、前もって希望条件は纏めているようだった。
耳から入ってくる情報は、どこから聞いてもよく居る普通のお客様である。
だが私の耳とは関係なく、私の視線は目の前の顧客の様相に釘付けになっていた。
「えぇと、もしかしてもうこの時期って遅かったりするんですかね……?」
その客には、首が無かった。
首の真ん中のあたりから上がすっぱり切られたように無くなっており、頭があるべき空間から少し緊張したような声だけが聞こえている。
その切断面は酷く滑らかで、黄色っぽい脊髄とゼリーのように固まった頸動脈、やけに艶めかしい喉笛が、筋肉の収縮に合わせてぐちりぐちりと動き続けている。
あまりに非現実的な光景に呆然自失としていると、
「あの、澄川さん? で良いですかね。大丈夫ですか?」
急に名前を呼ばれたので、私はジャーキングを起こしたようにびくりとしてお客様の方を見た。
落ち着け、俺はこの業界で二十年近く働いているベテランだぞ。目の前に居るのがどう見ても異常な、見たことも無い有様のグロテスクな亡霊だとしても、客は客。
俺の仕事は、いつも通り応対して仕事をこなすだけだ。
「えぇ、えぇ、申し訳ございません。えぇと、駅とコンビニが近くの物件をご希望で、お家賃の予算は四、五万程度ということでよろしいですか?」
歴年の窓口応対経験が功を奏したか、半ば脊髄でお客様の要件は記憶していた。
はいその通りですと、文字通りの意味での脊髄トークを繰り広げるこのお客様も、なに、見た目に目を瞑れば今まで何度も応対してきた、いつものようなお客様と何も違いはありはしない。
それも開口一番怒鳴りつけて、こちらの耳が痛くなるようなことも、髪を掻いて頭垢(ふけ)をばら撒き、鼻が曲がりそうな悪臭を吐き散らすことも無い、どちらかというと優良な部類のお客様と来ている。
そう思えばなんだ、そのあたりの客よりもよっぽど立派に違いなかった。
私はカタログを手に取って、それならばこのような物件はいかがでしょう、少し築年数は長いですが、他にはこのような等と、すっかりいつもの調子に戻って仕事をする。お客様も理解が早いようで、日当たりが云々、水回りの等々と、少しうれしそうな声色をにじませながら、幾つかの物件に絞り込んでいった。
数十分ほどで三件ほどに絞り込めたので、それじゃあ内見の予定を立てましょうか。来週からになりますがどの日が都合よろしいでしょうかと聞くと、なるべく早くが良いという。
それならと丁度一週間後の、今日と同じ曜日に内見の予定を立てて、あとは必要事項を書類に書いてもらって、今日のところは一先ずお帰りいただくことになった。
宇津見さまというらしいそのお客様は、退店際にもありがとうございます、ありがとうございますと、無い頭を何度も下げてから立ち去りなさるので。平時の面倒極まりないお客様の応対で随分渇き切っていた私の心の臓腑に、じんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。
宇津見さまが帰られても、繁忙期なので来る日も来る日も仕事である。
ある日には異臭のする体液にぐっしょりと塗れたお客様の後始末をしたり、ある日には応対中だったお客様が急に自傷をし始めるのを止めたりと、不本意ながら日常茶飯事になってしまったそれらを片付けながら過ごしていると、あっという間に宇津見さまの内見の日になった。
約束した時間の少し前、店の入り口が開く音がしたかと思えば、一週間ぶりに見る、首から上の無い異様な客が入ってくる。宇津見さまである。
予定の時間の、早すぎない程度にすこし前の時間に来るとは、まったく出来た客に違いなかった。ほかの客も彼を見習って欲しいものだと内心ぼやきつつ、私はデスクから立って宇津見さまの方に向かった。
「お待たせいたしました、宇津見さま。本日は物件三件の内見のご予定ですが、お間違いありませんか」
「はい、間違いないです。澄川さん、今日はよろしくお願いします」
深々と首を下げようとするのでそれを押しとどめ、こちらこそお願いします、と言って社用車を取りに行く。
今日内見する住宅らは店舗からすこし離れたところにあるので、こうやって車で移動することになる。
宇津見さまが後部座席に乗り込んだのを確認して、ウインカーを右に出す。
前後に車の往来が無いのを確認して、ゆっくりとアクセルペダルを踏みこんだ。
タイヤがアスファルトを噛む音がして、景色がゆるりと動き始める。
大きな道に出て、信号待ちになったタイミングで、車内の静けさを打ち破るようにして、私は彼に声を掛けた。
「今日一番に向かうのは、メゾン・ド・■■というところです。その次は■■■コーポ、最後に向かうのがオール入居者ぶっ■しま荘です」
「やっぱり最後の物件だけおかしいですよね?」
彼の問いも
紹介できる物件リストの中にこの名前を見つけた時、正直自分の目を疑ったものだった。とてもじゃないが入居者を募集している物件の名前には見えない。大屋側からしても可能な限り部屋を利用させて家賃を取りたいはずなのだが、いくらなんでもそんな名前では人は寄り付かないだろうに。
「でも、最後の物件だけやたら条件が良いんですよね」
これもまた、彼の言うとおりである。
実際最後の物件だけは風呂トイレ別で家具備え付けの1LDK、それでいて家賃は共益費込みで月三万五千というのだから、名前以外は破格も破格なのである。
だからこそ、こうして内見の候補としていっぺん見ておこう、もし都合が良ければそのまま入居するのも一考だということで、今回内見に行くことになった。
部屋の広さや備え付けの家財なんかの条件も、その「オール入居者ぶっ■しま荘」は他の物件に比べて非常に良く、正直もう少しまともな名前をしていれば俺が入居したいくらいの好条件物件だし、何より俺自身も、その物件の詳細に興味があった。
「あ、着きましたよ、宇津見さま。メゾン・ド・■■です」
最後の物件についてやいのやいとの話しているうちに、一件目の物件に到着した。
鍵を開けて中に入り、軽く内見をしたものの、とりあえず三件とも見てからでないと決めかねるというので、続いて二件目に向かうことにした。
今回の物件は三件ともある程度近い位置にあるので、車に乗ってもそれほど話すことも無い。一件目の採光がどうだの、壁の薄さがどうだのと言ったことを軽く話しながらハンドルを回していると、不意に周囲の空気がずんと落ち込んだような、そういう暗い空気が辺りに立ち込め始めたように思えた。
そのまま少し進めて、二件目の■■■コーポに到着する。
車から降りて辺りを見回すと、異様な雰囲気の正体は明らかであった。
建物から道路を挟んで向かい側にずらりと墓が並んでいるのである。
「これは、家賃が安いわけですね」
彼はそう半ば引き攣ったような笑みで。失礼、引き攣った半笑いを浮かべたような声でそういうので、私も苦笑するしかなかった。
三件目ほどではないにしろ、二件目の■■■コーポも設備と築年数の割には随分とお手頃な家賃を提示していたのだが、その最大の理由はきっとこの墓石群なのだろう。鬱蒼とした木々の中に、数えるのも億劫になるほどの墓石がずらりと整列している様は、一種異様な圧迫感のようなものを感じさせた。
固まっている宇津見さまを横目に、まぁまぁ折角来たからには内見しましょうと■■■コーポの鍵を開けると、彼は上の空の返事で扉に手を掛け、ぎこちない動きで内見を始める。
しかしながらやはりお気に召されなかったようで、
「澄川さん、もう大丈夫です。次に行きましょう」
と、部屋中を数十秒見回しただけで次の物件を催促された。
その気持ちは大いにわかるので、ですよね、と私もそそくさと部屋を出る。
車の方でお待ちくださいと伝えて、扉に鍵を掛けていると、
「うわぁ!」
と、車の方から声が聞こえた。
先に車に向かった宇津見さまの身に何かあってはいけない。
急いで車に走ると、そこには社用車のフロントガラスにべったりと着いた手のひらの跡と、腰が抜けた様子の宇津見さまが地べたに座り込んでいる様子であった。
車のガラスに手跡が着いているというのは間違いなく一大事であったが、それよりも本人が首が無いという異様な様相なのに、こういったことに驚いている彼の奇妙な滑稽さのようなものがことさらに強調されて見えて。
俺は思わず、喉奥から笑いが零れ出そうになるのを、必死の思いで食い止めなければならなかった。
そうしているうちに彼もこちらに気付いた様子で、
「な、なに笑ってるんですか澄川さん!」
と、驚きに少しの怒りを混ぜたような声色で叫んで、
「もしかして、こういうのって仕事柄よくあることなんですか!?」
などと今度は泣きそうな声で言うものだから、つい噴き出してしまいそうになる。
「いや、さすがにそう滅多にあるもんじゃないんですけどね」
と、にやつく口角を必死に抑えながら車のロックを解除して運転席に乗り込み、ウォッシャー液で手形を洗い落とした。
墓が、それもおそらく無縁仏が多い時点で多少の霊障は起こるかもしれないとは思ったが、入居前からこの有様では、家賃の安さも納得である。
彼もそそくさと後部座席に乗り込んで、両手で肩を抱きかかえながらガタガタと震えた様子をしている。私はそれをなるべく見ないようにしながら、
「次は例のアパートですけど、どうします」
内見をやめておきますか、と言外に問う。
しかしながら彼はそこまで考えが及ばないのか、それとも単に一刻も早くここを立ち去りたいのか。早く車を出してくれと涙声で懇願するので、私は己の中に萌芽した一抹の加虐心を薄らと自覚しながらも、わかりました、と、できるだけ安心させるような声色で車を発進させた。
道中は無言だった。
バックミラーに映るはずの彼の表情を伺い見ようにも、その伺う表情が無いものだから困ったものだった。
あのような
信号に引っかかったので、後ろの方を振り返ってみれば、彼はありもしない頭を両の手に抱え込んで、必死に下の方を向いて己を守っているような姿勢で、祝詞か呪詛のような、得体のしれぬ独り言を必死に呟き続けているようだった。
俺はその様子を見て、俺の心の中にある昏い欲望が、インクの染みが広がるように、じわりと音を立てて満たされていくのを感じていた。
そうして浸っていると、後ろから軽いクラクションを受けて。もう青色になってしまった信号機に心の中で軽い悪態をつきながら、再び前を向いて走り始める。
少し走ると、すぐに件の住宅へ着いた。
車を停めても、後部座席の彼は一向に動こうとしないので、
「宇津見さま、着きましたよ」
と声をかけて揺すってやる。
彼はかすれたような声を出して、ようやく上体を起こして、力の入らない様子である手を車のドアのノブに掛けて、ほとんど転がり落ちるような格好で車の外に出た。
よろけた彼を支えてやりながら辺りを見渡せば、例の物件の周辺は、なんのことはない普通の住宅街の様相である。
そうこうしているうちに、彼もだんだんと落ち着いてきたようで、私の手を借りずとも立っていられる様子までに回復したらしかった。
「ここが三件目、オール入居者ぶっ■しま荘です」
相変わらず冗談のような名前だが、入り口にあるプレートにはしっかりと「オール入居者ぶっ■しま荘」と彫られている。もはや感嘆である。
今回内見するのは一番奥の部屋だ。敷地に入り、ゆっくりと廊下を歩いていく。
築年数は資料に合った通りすこし古いものの、どの設備も一定程度綺麗で、特別治安が悪い様子も見られない。近くに墓地があるわけでもなければ、線路や高架が通ってるわけでも無い。見たところ、何故これほどまでにお手頃なのかのわかりやすい理由は、まったく見当たらない様子であった。
部屋の前に辿り着き、そっと鍵を取り出す。
外観や立地、設備や周辺の治安に目立った要因が無いのであれば、残った部屋の内側に「
鍵を差し込んで、ゆっくり回す。
がちゃんと音がして、ロックが外れる。
ドアノブに手を掛けて、一息にドアを開いた。
部屋の中は、生活感に溢れていた。
ごちゃごちゃとした広告がドア脇の戸棚の上に積まれ、靴が何足も乱雑に脱ぎ散らかされている。その様子を見て、私と彼は全く同時に顔を合わせ、次の瞬間大急ぎで逃げ出した。
「「
言うまでもないことだが、人間の生気や感情を糧とする我ら化生は、家に憑いて家鳴、邪視、疑心暗鬼を起こしてそれを得る。
しかし霊感の無い人間というのには、これらがまったくもって通用しないのだ。
したがって霊感の無い人間が入居してしまった、所謂「事故物件」は、このようにして格安で募集が出るのである。
たいていは物件資料に記載があるものの、極々稀に、こうやって何も書かれていないにもかかわらず、霊感無しが憑いている住宅というのが存在するのである。
「で、どうしますか? 宇津見さま。また別のところを探しますか?」
「一件目のメゾンに決定でお願いします」
憑家 銅座 陽助 @suishitai_D
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