ペンギンコード
甘衣君彩@小説家志望
ペンギンコード
ペンギンは、空を飛べない。
ペンギンは、陸を走れない。
代わりに、ペンギンは水中を飛ぶ。時速十一キロメートルの速さで飛んでいく。やがて、凍りついた大地へたどり着く。天敵のいない、平和な地へと。
私は、ペンギンにとっての海を作りたかった。人間界にいる「ペンギン」が、寒い地に適応して息を吸えるように。
だから――
―――
1.
205X年にリリースされたSNSアプリ「ペンギンコード」は瞬く間に日本中に広まった。いや、広まったと表現する程でもないかもしれない。正確には「ペンギン型」と呼ばれる性格型の人の間だけで流行っている。
まずは「動物型性格診断」の話からしなければならない。これは、本当に日本中に根付いた性格診断だ。一昔前のMBTI診断やEQ診断と同じように、就職や進学にも活用されるようになっている。そして、ペンギン型もその一種だ。
ペンギン型については、長々と説明するより見て貰った方が早いかもしれない。都合よく、そのペンギン型の人間がここにいる。他でもない、この僕だ。
自分自身を客観視することは余り得意ではない。男。大学一年生。人文学部。深緑のパーカーにジーンズ。大学内の一室の、前から三列目に座っている。両頬杖をついて講義を聞き流しながらペンギンコードについて考えている。
大学において、僕は何者でもない。他者には何も影響を及ぼさない。僕は、大学に友達と呼べる存在を一人も作っていない。かつては持っていたこともあったし、持っていることによるメリットも知っている。しかし、誰かと共に居るだけで呼吸ができなくなる僕にとってはデメリットが大きすぎた。
ペンギンにとっての陸や空。他者にとってなんでもない場所。それが僕にとっては他者のいる空間だった。そして、僕のようにこの世界では生きづらいと感じる者達のことを、動物型性格診断はペンギン型と呼称した。ペンギン型と呼称して、世界から切り離した――
先生が講義を終えた。周りがいっせいに騒がしくなる。円盤型の清掃ロボットが一斉に扉から入ってきて、辺りを走り始めた。はしゃいだ声、暗い声、ため息、ロボットの駆動音、全てが混ざりあったこの空気も僕は苦手だ。さっさと立ち去って……いや、その前に、少しだけペンギンコードに入る時間があるだろうか。スマートフォンを取り出す。
息を吸い、氷とペンギンの描かれたアイコンをタップした。
―――
誰もいない。
誰も、いない。
この世界には「ぼく」だけだ。
ペンギンコードが他のSNSと違うところは、自分が生きやすい環境に設定できるよう強化されていることだ。だからぼくは、評価も、フォロワーの数も、コメントも、ぼくの方からは見えないように設定した。
『講義終わりました。次の講義も頑張ります』
その一文だけを、文章としてぼくらの海に流す。あとは、他の投稿を見たい「ペンギン」がこの投稿を見るだけだ。ただ、そんな人はきっといないだろう。いても、いなくてもいい。
そのままぼくはネットの海に横たわる。なんとなく周りを見回す。周りのペンギンもぼくからは見えない。声も聞こえない。それはSNSじゃないだろう、そう嘲笑する声すらも、全く聞こえることはないのだ。
自分が変わる必要は無い。自分にとって生きやすい環境を目指せば良い。アプリがリリースされるときの声明文で、開発者はだいたいそんな趣旨のことを述べていた。
そんな世界があるのか、ぼくは半信半疑だった。これまで無かったのだから、どこを探してもない。でも、どこかであることを信じてもいた。実際にあった。あったのだ。
ぼくにとって住みやすい環境は、他者と関係しなくて良い世界。それでいて、自分の想いを吐露できる世界。
目の前に、誰もいない静かな海がある。ぼくは海に飛び込み、波音を立てず優雅に泳ぐ。ほかのペンギンはどう泳いでいるのだろう。きっと、想像だけで十分だ。
―――
2.
ペンギンコードが浸食されている。そんな噂が偶然耳に入ってしまった。
大学の食堂。一つのテーブルが六つに区切られたブース型だ。騒がしく話す音、ロボット達が食事を運ぶ音、食器の音が混ざりあっている。だが、右とその右に座る二人組がそのような話をしているのははっきりと聞こえてきていた。冷やしうどんの麺を箸でつまんだまま、僕はじっとその会話を聞いていた。
「まーでも、荒らしがいないSNSなんてありっこないもんな」
「荒らしっつーほどでもなくね?『ペンギン型』以外の利用が増えてるってだけだろ。別にいいじゃねえか、ペンギン専用って明言もしてなかったんだし」
「それもそうだな。ただまー、ニュースで見た限りだとやばいな、もう別物のSNSって感じがしてさ」
「でも設定次第じゃ誰も見えないんじゃん? 言うて、影響あるのは見えるように設定した人だけだろ」
ペンギンでもない草食動物達は、軽い口調で話し続ける。だが、僕にとっては問題だ。ペンギンコードが浸食されている。他の動物によって。一体どういうことだろう。いつのまに、そんなことに。冷やしうどんの脇に置いた、スマートフォンに手を伸ばす。しかし僕はその手を止める。いや、いや。やっぱりどうだっていい。きっと、聞かないほうが、見ない方が、知らない方がいい。穏やかに見える海で、誰にも見えない状態で泳ぎ続けていればいい。自分からつらい環境に行く必要はないのだ。
冷やしうどんの麺を口に入れる。いつもと変わらない冷たさ。
―――
結局また来てしまった。広くて、誰も見えない、静かな海に。今日も、海のなかに一文を投下する。
『講義はこれで終わりなので、昼食を食べて帰ります』
それだけで良い。ぼくは海の中を優雅に泳ぐ。何もない海を。ぼくを受け入れてくれている海を。
本当にそうだろうか?
急に息が苦しいと感じる。そんな、空気が足りなくなったのか。違う。これはきっと、疑念のせいだ。ぼくが見ないようにしているだけで、本当の海は穢れているのではないか?本当に、他の動物に侵食されているのでは?もし、そうだとしたら。ぼくの投稿を見ているのは、「ペンギン」だけではないかもしれない。
見なければいい。見なければいいのだ。綺麗なままだと思い込んでいた方が、この海は生きやすい。解っていても、心の方はもう手遅れだった。現実世界の「僕」の手が、設定画面を開く。他者の投稿を見られる状態にする。少しだけ、陸地に近づく。
また海に戻ってきたとき、ぼくは……嘴をあけ、大声で鳴いた。
一番最初、設定をしていない頃に見た光景は。嬉しかったこと。悲しかったこと。心の痛むニュース。昨日仕上げた作品。好きなアニメのキャラクター。明日の朝ごはん。飼っている猫の死。そのような投稿ばかりで、他者の生活感や価値観に辟易したものだった。
だが本当の海は、想像と乖離していた。想像以上に酷かった。
他人への悪口。度が過ぎる批判。誰が悪いのかを探す投稿。誰かの投稿を晒す投稿。
本当にペンギンが書いたものなのか、と疑う。違う。ペンギンは、こんなことを書かない。生きづらい世界を忌避して、海に逃げ込んできたはずなのだから。
ぼくは水中でUターンし、その場から逃げ出した。やっぱり見なければよかった。見なければ。本当の海を知らなければ。穏やかに見える海で、誰にも見えない状態で泳ぎ続けていれば。息が詰まる。息、が詰まる。苦しい。
もっと、もっと住みやすい環境へ――
―――
3.
ペンギンコードは、爆発的な人気を博した。主に、ペンギン以外の人達に。
『ペンギンコードというよりアニマルコードだよね』
『動物いっぱいの方が賑やかでいいじゃんね』
『そもそもペンギン限定にするのがおかしいと思いませんか? 今は多様性の世の中ですよ?』
今日もこちらの設定を貫通した数々の投稿で溢れている。環境設定はもう機能していない。なぜなら、面白がったマスコミがテレビで紹介し、インターネットのそこかしこでペンギンコードの内部画像が流出し、更には他人の環境設定を壊すツールまでもが登場したからだ。
中には、ペンギン達の投稿を撮って晒すような投稿も見受けられる。
『✕✕✕✕さんの投稿これね』
『今日のペンギンサンはこちら』
僕はアプリを閉じて、スマートフォンをベッドの上に投げ出した。自分にとって生きやすい世界なんて、結局はどこにも無かった。少しでも期待した僕が間違いだった。そのような世界が、どこかにあるのかもしれないと。
そのような中で「ペンギンコードVR」がリリースされた。
当然、批判が批判を呼んだ。このような酷い状態の中で、新コンテンツの製作など馬鹿げていると。僕は知っている。声を上げた者達は、殆どがペンギンではないのだと。聞こえてくるのは、ライオンの咆哮、ゾウの足音、イノシシの鼻息。
でも、僕は……
ぼくは……
丁度その時、インターホンが鳴った。
弾かれるように起き上がる。パジャマのまま、みっともない格好で、僕は玄関まで走る。ドアを開けると、そこに居たのは荷物配達のロボットだった。
《こんにちは! お届け物に参りました! 差出人は株式会社ペンギンコード様です。内容物を読み上げます。VRセット、ペンギンコードVR:プロトタイプのソフトが一本――》
信じられない。本当に届いた。
僕は言葉を失っていた。興奮のせいもあるだろうし、あまりに他者を避けすぎたせいかもしれなかった。性格など持たないロボットは、淡々と定型文を読みあげている。
まだ、あるだろうか。もう一度、信じてもいいだろうか。自分にとって生きやすい世界があることを。
―――
大きな海が、目の前には広がっていた。
ぼくはSNSを通してではなく、本物の海を見ていた。
ここは砂浜だ。手元に目をやると、ペンギンの翼と足が見えた。周りを見回すと、他にも多くのペンギンが自分の姿を確認している。ペンギン達が何事かを話している。
『ペンギンコードVRすごいね』
『こっちなら自由に話せる?』
話していることが投稿されて、こちらまで聞こえているのだ。
息が苦しい。他の誰かが周りにいるのが。また、声が聞こえてくるのが。苦しい。
ぼくはそっと、視界から彼らを消そうとした。そのとき、ひとつの輪の中に小さなひよこがいるのを目にした。周りをペンギンが取り囲んでいる。
『ひよこにも使いやすかったのにな……』
ひよこの呟きが、こちらまで聞こえてきた。ペンギン達が項垂れている。
『……そうだよね、ごめんね』
『わたし達がほかの動物に合わせられないから』
『ボクたちは、変われないから』
ひよこは一生懸命ペンギン達を見上げる。
『みんな海にいっちゃうの?』
『ああ。オレは、もっと遠くに移動することにするよ』
『あたしも。誰も来れないくらい遠くて、寒くて、価値のない所に行くの』
ぼくは、近づきたくなかった。だから、遠くで話している情景を見ているだけでいた。ひよこの後ろに、別の動物が次々に生まれていく。うさぎが、ハムスターが、そしてライオンが。
『じゃあ、ひよこは見送るね。ひよこはあたたかいところを探して走るよ』
『ありがとな。じゃあ、行くぞ』
ペンギン達が、次々に海へ飛び込んでいく。
―――
私は、画面越しに世界を眺めていた。映し出されているのは景色ではない。リアルタイムで変化していく、数々のグラフだ。グラフはいい。グラフを読めば、誰の意見に左右されることもなく世界の全貌を読み解ける。
面白いことに、株価が大暴落している。
世界は激震の最中にある。ペンギン達が突然、他のすべてのSNSから消えたからだ。
私はデスクに頬杖をつき、画面を切り替える。ひとつだけ景色がうつった画面もある。ペンギンコードVRの内部の景色。私が開発した世界だ。陸よりも遥かに、空にだって匹敵するほど広い海だった。ペンギン達が固まって、嘴を海の方に伸ばしている。
ペンギンコードVRにログインした動物達の殆どは、海から先に入ることはできなかった。
今回は、微細な行動を検知して姿が自分に近い性格の動物に変わっていくようになっている。だから、陸地に残った者は新規のペンギンが数十匹と、何匹かの観測者達だった。今度もペンギンを探し出そうと息巻いている猛獣達。鳥達は空からペンギンを探した。しかし、今度は変わっていく気温に耐えられずに去っていった。実際には寒冷地に住む動物しか住めないエリアを作っただけだ。
目を向けると、傍らのロボットが機械的に定型文を読み上げているところだった。
《続いて、本日の配達数を読み上げますね! ペンギンコード:プロトタイプが千八十五本、VRセットが二百五セットです! 昨日と比べ――》
現実のロボットから目を背け、海の景色に向き直る。丁度一匹のペンギンが、海へ飛び込んでいくところだった。飛び込んだあとは早い。操作方法も開かないまま、優雅に海を泳いでいる。
もっと早くからこうしていればよかったと思う。私の先見のなさだ。
私は、ペンギンにとっての海を作りたかった。人間界にいる「ペンギン」が、寒い地に適応して息を吸えるように。なのに、逆にペンギンを苦しませてしまったのだ。
自分と同じ境遇の誰かを救いたい、そんな独りよがりの夢が。
だけど、もう引き返せない。引き返さない。天敵のいない環境は、私が護ってみせる。今の混乱が落ち着きを見せるまで、私は戦い続ける。
だから――
だから、どうか気がついて。自分が変わる必要は無い。その翼で、その身体で、自分にとって生きやすい環境を目指せば良いのだから。
―――
4.
誰もいない。
誰も、いない。
この世界には「ぼく」だけだ。
いや、正確にはペンギンがいる。他のペンギン達が思い思いに過ごしているのを眺める。今日も平和だ。安心して、ペンギン達の姿を目の前から消した。
『穏やかな一日になりますように』
それだけを呟いて、もうあとは何も喋らない。
ここは大きな氷の上。背中側には氷山がそびえ立つ。冷たくて混じり気のない空気。何もノイズのない、最高の世界。
ぼくは気まぐれに、海へ飛び込んだ。行き辛い世界なんてどこにもなかった。日中もずっとここにいる。大学に行くのはやめて、講義の配信を見るようになった。将来はペンギンコードVRと提携した、リモートワークの仕事に就くつもりだ。
静かな海が広がっている。ぼくは、音を立てず優雅に泳ぐ。いつまでも水中を飛んでいく。ペンギンは、天敵のいない平和な世界を見つけたのだ。
ペンギンコード 甘衣君彩@小説家志望 @amaikimidori
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