怪異不動産

壱ノ瀬和実

怪異不動産

 大津不動産の高見陽子が見せる営業スマイルは、あまりにも胡散臭いものだった。

 どうにかしてこの部屋を目の前の人間に借りてもらうのだと息巻いているようにも見える。

「わざわざ来られなくても、今時オンラインでも内見できますのに」

「ええ。そうですね。僕もそう思います。ただね、こればっかりは来てみないと」

 古道こどう春人はるとは微笑みを返した。

 玄関扉を開き、築五年のアパートの中に足を踏み入れると、なるほどこれじゃあ誰も借りないわけだ、と古道はすぐに察した。

「この部屋だけなんですよね? このアパートで誰も借り手がいないのは」

「そうなんです。事故物件というわけではないんですよ? それなのに何故か、ここに住んだ方は皆さんすぐに引っ越されて……」

 古道は十五畳のリビングを見回して言った。

「そう、でしょうね」

「あら、何かお感じになります?」

「いやいや。なんとなくですよ」

 古道は目を細めて笑った。

 なんとなく、などではない。

 古道春人にはその理由が見えていた。

 この部屋には二人、制服姿の女子高生が住み着いている。ベージュ色のブレザーを着た黒髪の少女と、紺色のセーラーを着た灰色の髪の少女。二人は家具一つ無い部屋の隅で肩を寄せ合いながら、体育座りでこちらを見ていた。

 無論、人間ではない。

「見えてそうだね」ブレザー姿の少女が言った。

「オンラインだと気付きにくいことってありますからね」と言って、古道は返事に代えた。

「ここにいるって分かってたの?」

「不思議なことが続くときは目に見えない何かが影響している、なんてのはよくあることです。感じやすい人には、分かるのかもしれませんが」

 話しかけられていると感じたのか、高見は愛想笑いのようなものを零した。

「やめてくださいよ~。怖いじゃないですか」

 すると、タイミング良く高見の携帯が鳴った。画面を見るなり高見は古道に頭を下げ、部屋を出ていく。

 静かになった室内で古道は息を吐いた。先程までの余所行きの声音ではなく、低く響く声で。内見に来た客ではなく、古道春人の役目として。

「お前たち妖怪だな。名前は」

 ブレザーの方が言う。「ミイ」

 セーラー服の方は答えない。ただこちらを見ているだけだった。

「こっちはマヤカ」代わりにミイが言った。

「最近の妖怪は見た目じゃ分かんないな。街ですれ違ったら違和感一つないだろう。まあ妖怪だって、人間が禍々しく描いて勝手に名前を付けただけで、普通に人間と変わらないことの方が多いんだが。で、ミイ、マヤカ。お前らはなんでここに住み着いている」

「妖怪だって屋根のあるところに住みたいし」

「廃屋とかで良いだろう」

「なんでそんな汚い所……私たち、妖怪の前に女の子だから」

 女の子の前に妖怪だろう、と言いかけたが、すんでの所でやめた。

 ミイが何かを言う度、マヤカはミイの制服の袖をぎゅっと握っていた。マヤカが古道を見る目には怯えがある。古道が怖いのか、それとも――。

「一つ聞きたい。この部屋を借りた人間は程なくしてここを出て行くらしい。悪さでもしているのか」

「別に」ミイは可愛らしい顔立ちだが、どこかぶっきらぼうな態度を取る。「揃いも揃って、勝手に出て行くだけだよ」

 古道はポケットに手を入れ、

「人間がいると不都合でもあるのか」

 お前たちの仕業だろうと決めつける。妖怪が住み着いていて、そこにやって来た住人は皆早々に去って行く。無関係であるはずがないのだ。

「ミイちゃん」

 マヤカがミイに抱きついた。灰色の髪をミイの胸の中にうずめて、不安げな声を漏らす。

「はあ、なるほど。そういうことか」

 古道は二人に近付いて屈み、二人に目線を合わせた。

「どうやって追い出した」

「はあ?」

「人間が邪魔だったんだろ? ミイ、マヤカ、お前たち二人にとっての、愛の巣には」

「!」ミイが明らかな動揺を見せる。

「時代だなあ。女子高生妖怪が付き合ってるってか。そうかいそうかい、そりゃあ人間は邪魔だわな」

「べ、別に、そういうんじゃ……」

「違うのか? 随分照れているように見えるが」

「お、おいマヤカ! ちょっと離れろって!」

 ミイはマヤカを離そうとするが、

「バレても、良いよ。わたしがミイちゃんを好きなのは変わらないから」

「ちょっとマヤカっ……んんっ!」

 マヤカがぱくりと、ミイの唇に吸い付いた。

 粘度のある音がねっとりと室内に響く。

「ふぅ~。お熱いこって」

 と、はやし立ててはみるものの、絡み合う二人は唇だけに飽き足らず、マヤカの手はミイの胸部に伸びていき、ミイの手もマヤカの腰に回されると、制服がするすると乱れていく。

「おいお前ら、俺もいるんだぞ? 何おっぱじめようとしてるんだ」

 吐息が艶めかしく、二人は二人の世界にのめり込んでいく。

「まさか、この部屋の住人がいなくなる理由って……」

 二人は妖怪だ。見た目には人間にしか見えないが、そもそも妖怪は自ら姿を見せようとしない限りは人間には見えない。この二人も何かしら人ならざるものとしての力を有しているだろうし、その気になれば人に害を与えることも容易だろう。

 だが、二人は人に危害を加えていないと言う。

 ということは、

「お前ら、住人がいても構わずイチャイチャして、このエッチな音を聞かせてたのか」

「んっ……聞かせてたわけじゃ……んぁっ、ないけど……」

「話すときくらいイチャつくなよ」

 古道は髪を掻きながら、

「そりゃ気持ち悪くなって出たくもなるわな。それに、理由も話しづらい」

 玄関扉を開ける音がした。高見が戻ってきたのだろう。嘆息しながら古道は自分のスマホを操作する。すると、またも高見のスマホは鳴り始め、部屋に入ってくるなり「すみません何度も」と言って、また部屋を出て行く。

「いい加減イチャつくのやめろ。本題に入れない」

 古道は少しばかり語気を強め、妖怪たちにとってはあまりいい気のしない、独特のオーラを放った。

 幾許か冷静さを保っていたミイが、乱れた髪を直しながらマヤカを離す。

「本題ってなに。もしかしてあなた、霊媒師か何か? 悪いけど、私たち幽霊じゃないからそういうの効かないよ。前に一度お祓いに来たけど全然平気だったし」

「はずれ。俺は霊媒師でも神職でもない」

「じゃあなに」

「俺は、不動産屋だ」

「……は?」

「名刺出すよ。ちょっと待ってろ」

 古道は胸ポケットから名刺入れを取り出し、一枚をミイに渡した。

「古道……怪異不動産?」

「そう。お前たちみたいな人ならざる者に居場所を提供するのが俺の仕事だ。今日は、部屋に住み着いた怪異にうちの物件を紹介したくてここに来た」

 物件情報の書かれた紙を数枚差し出すと、まだ抱きつこうとするマヤカを腕で遠ざけながらミイはまじまじと情報に目を通す。

「俺はお前たちに何かを言う権利はない。だからここを出て行けとは言わないし、人に危害を与えるなとも言わない。ただ、誰にも邪魔されない、二人だけの部屋を借りてみないかと提案することはできる。自分たちだけの部屋を手に入れればイチャイチャし放題だ。人向けの部屋より防音はしっかりしてるし、お前たちにはぴったりだろ」

 目を輝かせたのはマヤカだった。

「ミイちゃん!」

「え、マヤカ乗り気?」

「可愛い部屋、憧れる。そこでミイちゃんと、もっと色んなこと、したい……」

「マヤカ……」

「はいはいイチャイチャ禁止ね」

 古道は立ち上がって、室内をぐるりと見回した。

「まあ、近いうちに内見に来るといいよ。部屋は実際に見てみないと分からないことだらけだ。殺風景な部屋を自分好みにしていくイメージを膨らませて、新生活をより良いものにしていく。それが部屋探しの楽しみでもある。怪異不動産営業担当、古道春人がお前たちを担当することを約束しよう。これでも、客からの評判は良い方なんだ」

 二人の表情が明るくなっていく様に手応えを感じながら、古道はリビングを出た。

 靴を履いて玄関を出ると、電話を終えた高見と鉢合わせた。

「お客様? 内見は……」

「見たいところは見ましたので帰ります」

「え、でも……」

 きっとそう経たないうちにあの二人は部屋を出て行くことになる。そうなればここの借り手はすぐにでも見つかるだろう。

 古道は胡散臭い営業スマイルを顔面に貼り付けた。

 家は妖怪や幽霊と切っても切り離せない関係にある。

 この業界にいる以上、きっとまた高見とも会うことになるだろう。そう思いながら、古道は同業者に軽く会釈した。

「何か見つけましたら、そのときはまた、お世話になります」

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怪異不動産 壱ノ瀬和実 @nagomi-jam

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