スイーティーハウス

悪本不真面目(アクモトフマジメ)

第1話

「大丈夫だよ。今日の人はきっと気に入ってくれるよ。」

気持ちが悪いと思う人もいるだろうが、私はむしろ好印象だった。不動産屋の青年は家にやさしく話しかけて扉を開ける。不動産屋として家を愛する心というのはもってもらうとこっちとしても気分がいいもんだ。妻もきっとそう思うだろう。

「それではどうぞ、こちらが玄関です。」

これは驚いた。マイホームは私と妻の夢で何件も見て回っているが、妻は良いと言うが、私にはどれもしっくりこなかった。ところが、ここは入った瞬間、玄関だというのに随分と落ち着く。まさに私の帰る場所に思えて仕方がない。別に大理石でできてるとかそういう訳ではない。私は鏡を見てはいないが、うっとりした顔で少しボーっとした。

「どうやら、気に入っている様子だ、良かったな。」

また。不動産屋は家に話しかけている。しかし、本当にこの家と会話が出来るなら一度してみたいものだ。

「こちらスリッパです。どうぞ中へ。」

玄関を上がると、優しい風に包まれるような感覚。首筋や足首が優しくなでられてくすぐったい。

「ぐっ!」

四十にもなって、照れてしまうではないか。笑いをこらえておそらく顔が赤いことだろう。妻には見せられない顔だな。今まで内見をしてこのようなことは一度もなかった。それなのに不動産屋の青年は少しも動揺していない。想定内と言うのか?この家は一体何なのだ?しかし、この疑問は不気味に思っているでも恐れているでもない。それは好奇心ゆえの疑問。私はこの家を隅々と見て回りたい。いや、肌で感じたいのだ。

「こちらの廊下を出ますと、リビングです。」

不動産屋が扉を開けると、今度は耳がくすぐったい。広さはそれほど広くない。これから子供などと考えると少々心配な広さだった。けれど一人でくつろぐには申し分はない広さだ。それにしても耳がくすぐったい。何かが聞こえるが、本当にそれは何かである。温かく心に残る音。妖精か天使かその類のものに感じる。

「どうですか、それほど広くないですけど一人だったら十分にくつろげる広さではありませんか?」

私は妻と一緒に住むんだ。とは言え、頭の中では一人でくつろいでいる姿が浮かんでくる。それはとてもいいものに感じた。何故私は今こんなにもドキドキしているのだ?私は不動産屋の許可をとらず置かれていた一人用の赤色のソファに座った。するとそこから見る景色がなんとも落ち着く。体の力がどんどん抜けていき、だらんと下に落ちていく。ああだから落ち着くんだと納得。落ち着いている私に、またしても音が聞こえてくる。

「・・・・・・イ・・・・・・ロ・・・・・・。」

「え!?」

「どうかされましたか?」

私はパニックになった。落ち着いてはいたが、どこか別の場所で一人になる必要がある。私は催していないがトイレの場所を聞いた。

「トイレですか?あそこの廊下を出て左の扉です。ちゃんと水は流れるので安心してください。」

「はい、分かりました。」

私は急いでリビングを出て、さっきとは違う廊下を渡りすぐさまトイレに入った。扉は他にもあったが、なんとなくトイレはあの扉だと分かった。トイレはいたって普通の様式トイレで広くもなく狭くもない一人で落ち着くにはちょうどいい場所だった。

「ど、どういうことだ!?こ、声が聞こえたぞ。」

そうだ。あれは確かに声だった。それもどこか聞いたことのある、思い出の声。ときめくあの思い出の声だ。思い出してみよう。私は過去を遡る。その思い出に当たるのはそんなに時間がかからなかった。まるで導かれているようだ。そう、大学生の頃に友達に誘われて行ったメイド喫茶だ。


メイド喫茶なんて行きたくなかったが、友達が面白そうだからといって仕方なく行った。

「いらっしゃいませご主人様。」

何がご主人だ。どこをどう見れば私がご主人様に見えると言うのだね。この時私は頭が固くプライドが高い生意気学生であった。こんな子供騙しなもので喜ぶなんて馬鹿げていると私はそう思っていた。私はわざとそっぽを向いた。それでもメイドは笑顔で私たちを席へと案内する。ふん、営業スマイルが。

「いや~、可愛いなぁ。」

友達は初めて見るメイドに分かりやすく鼻の下を伸ばしデレデレだった。

「可愛いのは服のおかげだろ。結局あのシックな衣装を着れば誰でもそれなりに品よく可愛く見えるもんだ。君が着たって同じことさ。」

友達は男性で、動物で言うとカバに似ていた。その私の発言にメイド達がこっちを一瞬見たように感じた。

「お、おい、そんな言い方はないだろう。」

「でも一瞬振り返ったように見えたぞ。つまりは図星なんだよ。」

本当に厭な奴だったと思う。だから私の友人は彼しかいなかった。メイドが水を持ってきた。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

笑顔を崩さず明るい声でそう言った。それに私は負けた気になり彼女に直接こういった。

「そんな短時間で決まる訳ないじゃないですか。そもそも私を本当にご主人様と思うならそっちから聞くっていうのはどうかと思いますけど。」

敬語のですます調がよりトゲに鋭さを増す。ワザと相手をイラつかせる発言を私はした。この時の私は何も恐れていなかったのだろう。

「おい!いくら客だからって・・・・・・。」

「大丈夫ですよご主人様。」

明らかに笑顔は引きつっているように見えた。そして私の方ではなく体は友人の方に向けられていた。結局はメイドと言ってもその程度なのだ。そう私は何か勝ち誇っていた。

「あ、オ、オムライスを二つ。お前もそれでいいよな。」

本当に今振り返っても彼は良い奴だと思う。今でも時々連絡をとったりする仲だ。普通ならもっとキレてもいいだろうし、口を聞きたくなくなるのが大抵だと言うのに。

「かしこまりましたご主人様。」

彼はカバみたいな顔だが愛嬌があった。それで女性にはそれなりにモテていた。私と違って。しばらく待つと注文が来た。しかしさっきのメイドではなく別のメイドだった。私を接客するのを厭がって交代でもしてもらったのだろうか?彼女は赤みがかった茶髪のおかっぱに、大きな瞳のつり目で赤い危なっかしい色の口紅を付けていた。メイド服のリボンは少し緩い気がする。私は彼女には何かあるように思えた。

「それではオムライスにケチャップで何か書かせていただきます。」

低く温かみのある声で彼女への興味が増した。彼女はニヤリとした。それはワザと私に分かるように目を合わせてだ。何なのだ彼女は?彼女の握っているケチャップに力がどんどん入っていく。

「あ、すみませーん。」

ケチャップがうっかりではすまない程に私の白いシャツにかかった。すると彼女はそのシャツにかかったケチャップを口で吸いだした。

「な、何をするのであるか!?」

私は戸惑いを隠せなかった。ちゅぱっと吸ったシャツに赤いシミがついた。それはケチャップのシミだとは思うが、彼女の危なっかしい赤も混ざっているように思えた。

「大丈夫ですかご主人様。」

笑顔だ。間違い用もないほどの作り笑顔だった。そして彼女は耳元で私にささやく。

「あんた童貞?」

ウェスパーな息混じりの声は私にはくすぐったく、思わず笑ってしまった。

「ウヒ!」

苦しかった。恥ずかしくもあるがもっとこう何かが燃えているように熱かった。彼女は私の方を見て口パクで何かを言っている。おそらくこうだろう

「サイテイヤロウ。」


私が今の様に丸くなっているのはこのお日様のような妻と出会ったからだった。そんな妻との初デートの時のこと、確か渋谷だったと思う。デート中に私は偶然にも彼女、あの危なっかしい赤のメイドが寂しそうにしている姿を目撃した。実際に彼女かどうかは定かではない。あの危なっかしい赤色の口紅はしてなかった。もちろんメイドではなく、年相応の二十代前半の女性の格好。年相応の中でも薄茶色の上着に黒いズボンと地味な印象であった。それでも私には彼女だと思って仕方がなかった。私は妻と手をつないでいた。それでも彼女が気になる。彼女からスーと涙が流れた。私は思わず一歩前へ出た。しかし彼女と手を繋がっていた為それ以上は進まなかった。ただあの姿。そう私も寂しかった。寂しかったからあの時ああしたんだ。今妻と出会って寂しさはなくなかったが、でも彼女はきっと今寂しいんだろう。私たちは同じように思えた。妻にはない、もっと近いなにかで私たちは結ばれているのではないかと妄想をした。彼女を見ているとなんだか落ち着く。本当の意味で落ち着く。けれどそれ以来彼女を見ていない。


そうか、そうだったのか。私はトイレで体育座りで丸まっていた。忘れてはいなかったが、忘れようとした思い出。あの時のシャツはどうしたんだろう。そうか彼女なのか、彼女だったのか。なにか腑に落ちた。思い出したときめき興奮、初恋だった。あのメイド喫茶の時に、私は彼女が寂しいのも分かっていたんだ。そしてあのメイド喫茶の頃から私は彼女が好きだったんだ。私は決めた。ここに住もう。


用を足さず、トイレを流し、リビングへと戻る。

「どうしたんですか、スキップなんかして。」

気が付かなかった。まさか私がスキップをしていると?だとしたら何十年ぶりなのだろうか。とにかく、私は今の気持ちを不動産屋の青年に言った。

「私、ここに住みます。」

「本当ですか、それは良かったです。」

「はい、ではまた家内と一緒にここへ来ます。」

「あ・・・・・・。」

私は早く妻に報告して、この家に住む準備をしたかった。しかし、扉を開けようとしても開かない。出られないではないか。

「ど、どういうことだ?扉が開かないぞ。」

「実はこの家は、強い想いをこめられ作られた、愛情を注がれた家なのです。」

「それはなんとなく分かります。それが何で扉が開かないんですか!?」

「嫉妬ですね。」

「家が妻に嫉妬したんですか?」

「家は家に嫉妬します。あなたさっき家内と言ってしまいましたよね?」

「家内は確かに家という漢字が入ってますが、まさかそれで!?」

「ええ、とても嫉妬深くてそれが原因で皆様に断られていたのです。」

「ど、どうやったら出られるのですか?」

「そうですね、私が説得すれば出来ると思いますが、それはこの家があなたのことを嫌いになるということです。つまりは二度とこの家に住めなくなります。」

「・・・・・・。」

「どうなさいますか?」


「ただいま。」

「おかえりなさい、サイテイヤロウ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スイーティーハウス 悪本不真面目(アクモトフマジメ) @saikindou0615

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ